後編
「はぁ」
……あの時は若かったよなぁ、俺も。
そう思いつつ、俺は寝転びながら卒業写真をじっと見つめる。先輩の笑顔は何度見ても眩しい。だから写真にうつる先輩の顔を指先でそっと触れた。
先輩と出会ったのは、新入生の部活勧誘の時。
部活に入る気もなかった俺は帰宅部になるつもりだった。けれど、学校の規則で必ず一回は体験入部しなければならなくて、渋々選んだのが弓道部だった。
理由は簡単、座って見ていればいいと言う話だったから。
――でも、そこで俺は先輩に出会ってしまった。
興味なんて一つもなかったのに、先輩が弓を引く姿に一目惚れして、俺はその日の内に入部届けを出した。そして、それから俺は先輩にただ近づきたくて毎日部活に通ったのだ。周りの奴らは俺の事を熱心だと言ったけれど、動機は誰よりも不純だ。俺は先輩に会いたかっただけなんだから。
でも、仕方ないだろう? 俺と先輩は学年も違うし、校舎だって違った。会えるのは部活ぐらいしかなかったんだ。
けど同じ部活だったおかげで、先輩後輩になれて、帰り道も、地方への遠征も一緒に行けた。休みの日は一緒に映画館やゲームセンターに行ったりして、先輩の家で勉強をみてもらったこともあった。
まぁ、先輩の部屋だって事に緊張しまくって、全然勉強に身が入らなかったけど。
今思い返せば俺の青春は本当に甘酸っぱい、青いオレンジのようだった。
先輩は、俺の輝かしい青春の全て――。
でも、俺は告白をしなかった。好きだからこそ、先輩に嫌われる事を恐れて。
あの時の選択は今でも俺に深い後悔を残している。でも、もう戻れはしないのだ。あの頃には。
……もしもあの時、告白していたらこの後悔はなかったかな。
俺はその想いを閉じ込める様にふっと目を閉じた。
でもその時、部屋のドアが予告もなく突然開いた。
「よ、ヒロ。……って、おいおい。片付け、全然終わってないじゃん」
少し呆れたような声が俺に届いた。目を開ければ、そこには一人の男がいる。
「
「何しにって、恋人にいうセリフか?」
俺が尋ねると篤は呆れた顔で言った。そう、篤は俺の恋人なのだ。
「様子を見に来たんだよ。それより、コレ、どういう状況?」
散らばった写真と本を見て、篤は俺に聞いた。なので俺は体を起こして答える。
「上の押し入れ棚を片付けようとしたら、倒れちゃったんだよ」
俺が押し入れを指さして言うと、篤はそれだけで理解したようだ。
「なるほどね。怪我はしてないのか?」
一番に自分の心配をしてくれる恋人に、俺は嬉しさを感じながら「大丈夫」と答える。そして篤は写真を一枚一枚拾いながら目を細めた。
「これ、高校の頃の写真か。これも持っていくのか?」
「いや、あの本を持っていきたかっただけなんだ。そしたら全部落ちてきちゃって」
俺は床に落ちている一冊の本を指さした。俺のお気に入りの本だ。
でもなぜ、本を取ろうとしたのかと言うと、俺は一週間後に引っ越すことが決まっていて、本も一緒に持って行きたかったからだ。
篤と住むマンションでも読みたくて。
「ヒロ、借りた部屋はあんまり広くないんだから、必要ないものは置いていけよ?」
小言のように言われて俺は「わかってるよ」と答えた。でも篤は俺が持っている写真に気が付き、覗き見た。
「それ、卒業写真か。お前の顔、酷いな」
くくくっと笑いながら篤は言った。確かに写真の中の俺はいかにも泣きましたって顔で無理やり笑顔を作っていたから。正直、自分でも酷い顔だと思う。
だけど本当のことを言われて、俺は思わずむっとする。
「うるさいな」
俺はそう言って写真を隠す。そんな俺をやれやれという顔で篤は見つめた。だがその後、すぐにテーブルの上に置いてある結婚式の招待状に気が付き、そっと手を伸ばした。
「これ、サンプルだろ? いい出来じゃん。さすがデザイナーだな」
招待状を手に取った篤はじっくりと見て、俺に言った。
「別にそれくらい簡単だよ」
俺は褒められたことが照れくさくて、そう返事をする。でも篤はにっこり笑顔だ。
「けど俺達の結婚式の招待状に弓と的を入れるなんて」
篤がふふっと笑うから、俺は恥ずかしくてそっぽ向く。
「だって俺達の出会いだから」
「そうだな。……あの頃のお前、可愛かったのにこんなに大人になっちゃって」
「それはお互い様だろ」
俺は篤を見て言った。
でも言葉とは裏腹に俺は、篤はあの頃と変わらない、と思っていた。大人になったけれど、短髪の黒髪に爽やかな笑顔は昔のままだ。俺の好きな先輩のまま。
そして篤の持つ結婚式の招待状には、篤と俺の名前が書かれていた。
あの卒業式から、俺達の関係は先輩から恋人へ変わり、この春からは恋人から一生のパートナーになるのだ。
全ては卒業式のあの日から――。
◇◇
――十年前。
出て行った先輩を追いかけられもせず、告白もできなかった俺はただただ泣いて手の甲で涙を一人拭った。そして貰ったキーホルダーが入った袋をぎゅっと握る。
でもその時、小さな紙袋の中に何か、硬いものが入っている事に気が付いた。
だから俺は泣きながらも、紙袋の中を覗き、中に入っているモノをみた。
……折りたたまれたメッセージカード?
俺はそっとカードをつまんで取り出し、折られていたそれを開いた。
『ヒロ、好きだ』
その一言だけが書かれていた。でも、その一言だけで俺には十分だった。
……先輩ッ!
俺は目を見開き、そしてすぐに教室を飛び出す。誰もいない廊下を走って、俺の走る足音に気が付いた先輩が廊下の先で振り返った。
「ヒロ?」
怪訝な顔で俺の名前を呼ぶ先輩の胸に、俺は飛びついた。けど、あまりに勢いがついていたのか、先輩はちょっとよろめく。
「うわっ、おい、急になんだよ? ていうか、なんでお前、泣いてんの?」
心配そうに先輩は俺を見て言ったけど、俺は自分の気持ちを伝える為に泣きながらも口を開いた。今日、この時、この瞬間に伝えなければ一生伝える事は出来ないとわかっていたから。
けど、涙に詰まった俺が言えたのは。
「お、おれもぉぉっ!」
これだけで。
……でも、先輩は俺の握りしめるメッセージカードを見て、俺の言葉をわかってくれた。そして先輩は照れくさそうに、でも嬉しそうに春の日差しを受けて笑ったのだ。
「バカ、泣いて言うなよ」
あの時の笑顔は今でも俺の宝物だ。
◇◇
――あれから十年。
色々とあったが、今年俺達はパートナーになって一緒に暮らすことになった。この、篤先輩と。
「あの時、俺が告白しなかったら、どうなっていたんだろうな?」
篤は窺うように俺に尋ね、問いかけられた俺は考える。今では一緒にいないことなど考えられないが、あの時篤が告白してくれなければ俺達はこうして一緒にはいられなかっただろうし、もしも俺が追いかけなかったら、それぞれきっと違う人生を歩んでいただろう。
そう思うと恐ろしい。でもそんな事を考える俺に篤は笑って言った。
「ま、告白しないなんて考えてなかったけど」
篤はにっと笑って俺に告げた。篤のこういうところに、俺は今まで何度も救われてきた。プロポーズだって篤からだった。だから俺は申し訳ない気分になる。
だって俺の方が篤を好きだから。――なのに。
「俺のプロポーズも受けてくれて、ありがとな。ヒロ」
いつも篤はこう言う。
篤は自分が告白したから、俺よりも自分の方が好きだと思っている。
だけど、ずるい俺は篤に本当の事は言わないでいる。好きな人に惚れられる心地よさを、もう俺は知ってしまったから。でもその代わりに俺は何度だって篤に告げるんだ。あの時、自分から告白しなかった後悔をバネにして。
「俺も好き、だょ……プロポーズして、くれて、ありがと。こ、これからもよろしく」
俺は恥ずかしさを抑えて、なんとかごにょごにょと口に出す。すると篤は嬉しそうに目を細めて柔らかく笑った。
誰でもない、俺だけに見せてくれる極上の笑顔で。
だから、俺を幸せにする魔法みたいなこの笑顔が皺くちゃになるまで傍にいるんだ。
青かったはずのオレンジが色づくように。俺達も。
「これからもよろしくな、ヒロ」
「うん。……先輩」
もう春は来ている。新しい扉を開けて、俺達はこれから二人で一緒の道を歩んでいく。それはきっと楽しい事だ。
――――そう春の匂いが俺達に告げていた。
おわり
春の匂い 神谷レイン @rain-kamitani
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます