創作百合#003
「貴方って、いつからここにいるの? 私が子供の頃からここにいるけれど」
いつものように鳥居の下で足を伸ばしながら空を眺めていると、突然目の前にやってきた少女にそんなことを聞かれたので、数えてみる。
『いち、に、さん……』両手の指をひとつずつ折っていって、2巡したくらいの所で飽きた。
「300年くらいかなぁ」
正確には数えてないが、まぁ大体そんなものだろう。
「こんなところで300年も何してるの? 」
「罪を償ってる」
「何の? 」
「忘れた」
自分がどんなことを過去にしたか、なんてもう忘れてしまった。ただ、今、自分が受けている罰の内容は覚えている。“世界の終焉を見ること”それが私に課せられた罰であった。
「どうして、ここにいるの? 」
「ここにいろって言われてる」
「ずっとここで生きていくの? 」
「そう。ここでずーっと。これからも」
「ふぅん、へぇ」
聞いておいてその態度はないだろ、と思いながら彼女を観察してみる。
とにかく彼女は髪が長い。腰くらいまで長さがある。そういえば、と自分の髪を触る。随分と長く生きているくせに髪は伸びていない。それに他の所も成長していない。罪を犯した時の身体のままだ。多分これも罰の内だろう。300年もあったら、今ごろは空を突き破るくらい成長していたかもしれないのに。私はこのようになったことを惜しんだ。
胸の方まで視線を落とす。こっちの方は私と同じくらいだった。何故だか安心した。
「貴方は、恋とかしたことある? 」
「忘れた」
私という存在への好奇心から、いきなり年相応と言った質問になる。私が恋をしたことがあるかなんて聞いてどうするのか、質問の意図を掴みかねる。
「記憶に無いなら、これが初めてってことで」
目を瞑った彼女の顔が急に迫る。唇をつけるつもりなのだろうが、勢い余って歯までぶつかる。
私は面食らって、数秒間その場で固まっていたが、慌てて彼女を引き剥がす。
「初対面にいきなり、そんな事するのはいけないでしょお嬢ちゃん。それに下手だし」
「ああ、それはごめんなさい。でも、また明日貴方に会いに来るから、今度は上手くやってみるわ。それまで私のこと、忘れないでね」
そう言うと彼女は恥ずかしいから逃げるというわけでもなく、涼しい顔をして去っていった。
「忘れるわけないだろぉ」
いつも、そこにある神社で何かしらお祈りをしていく人は稀にいたが、私を構っていく人間は初めてだ。まぁ、私が覚えていないだけかもしれないけれど。
そもそも、私は普通の人に見えているのだろうか。彼女が何か特別な存在なんじゃないか。色々と、考える事ができた。
明日、彼女が来るまでは退屈しなさそうだった。
目の前を通った人に対して『おーい』なんて叫びながら手を振る。反応は無い。
「やっぱり見えてないのか」
自分は今まで認識されていなかったんだなぁと虚しくなってくる。その虚しい心の隙間を彼女は埋めてくれるだろうか。
昨日のことを思い出していた。彼女は何故、初対面の私にあのような事をしてきたのか、理由が気になる。
私が普段眺めている神社の前の道路では人が出会っても、そんなにちゅっちゅしていない。頭を少し低くするくらいだ。
「今日来たら聞いてみよう」
彼女の来訪が楽しみになってきた。分からないことが分かるようになるのはきっと楽しい。
その彼女が来たのは夕方だった。夕陽が空だけでなく、彼女の顔までも染めている。
「私のこと覚えてる? 」
「昨日の今日なのに忘れるわけないでしょ」
「なら、良かった」
安心したような表情を浮かべた後、少しの沈黙があって、彼女は切り出した。
「それじゃあ、今日は落ち着いてするから。昨日みたいなことには、ならないはず」
名前も知らない相手とそう言うことを2回もしたいなんて、彼女ははっきり言って異常だ。
「何でそんなにしたいの? キス魔? 」
「んー。理由は……じゃあ、忘れたってことで」
適当にごまかされてしまった。『じゃあ忘れた』ってなんだ、と言いたくなる。理由を追求されるのは都合が悪いらしい。
そんなことを考えているうちに、彼女の震えた唇が私のに当たる。当たっているだけで、吸うとか、舐めるとか、そういうことはない。
彼女は痛みに耐えるみたいに目を閉じている。
昨日と言い、今日と言い彼女はこういう類いのことに慣れていないんじゃないかと思う。彼女は蠱惑的な人物を演じたいみたいだが、上手くいっていない。
「どうだった? 」
「相変わらず、下手」
「なら、見本を見せてよ」
そう言って私にキスをさせる。そこまで考えていたなら、なかなかやるな。
「いや、まだ互いに名前も知らないのに、そんなにしたら駄目でしょ」
「そう? 貴方は満更でもなさそうだけど? 」
痛い所をつかれる。そりゃ300年間誰とも関わってないのだから、人が恋しくなってしまうわけで。
「じゃあ、君のことをもう少し教えてくれたら、してあげないこともない」
彼女は少し残念そうな顔をしたが、すぐに元の涼しい顔に戻る。
彼女は自分の名を名乗った。名代 深幸 というらしい。“名前の代わりに深い幸せ”と覚えてくれと言ったが、私にはよく分からない。それて、年齢は秘密で、私とこんなにも接触したがる理由も秘密だそうだ。
「せっかくだから、貴方のことも知っておきたいな」
そう言われて、私は固まってしまう。自分のことを覚えていない。名前も生まれも何もかも。
「忘れた」
「忘れたなら、思い出せばいい」
彼女はそう言って、私の頭に優しく手を置く。
私は必死に記憶の中を逆行していく。けれども、頭が痛くなるばかりで何も掴むことができない。
「無理かも」
「思い出すのが無理なら、新しく始めればいい。私が名付けてあげる」
今度は彼女の方が考え込む。そんな悩める彼女を私は黙って見ていた。
「じゃあ、なな で。名無しだから
名付け方が安直な気もしたが、響きは気に入った。
「それが、今から貴方の名前。忘れたら駄目だから」
それじゃあ、と彼女は目を閉じて口を尖らせる。
私はしばらくきょとんとしていた。
「ほら、約束」
彼女にそう言われてやっと思い出す。
「ああ、そうだそうだ」
改めて彼女の顔と向き合うと少し気恥ずかしい。けれども、一度約束してしまったことだから逃げるわけにはいかなかった。
初めて私の方から彼女の唇に触れた。前の2回では気づかなかったが、今は意識してしまう。
彼女の唇は柔らかい。ずっとつけていると、私の体温で溶けてしまうんじゃないかと心配になる。
「参考になった。今日はこれで。また明日来るから」
今日は涼しい顔ではなく少し笑みを含んだ顔で帰っていった。帰り際に手を振られたので、振り返した。
❇︎
雨が降っている。こんな日は、屋根のある所まで移動して賽銭箱と一緒に雨宿りだ。今日も彼女は来るだろうか。傘をさして、そこからやって来る彼女の姿を想像する。
出会ってから彼女とは毎日やって来る。少しの雑談と、キスをして彼女は帰る。
たったそれだけのことが、私にとっては素晴らしいものになる。彼女と出会ってから私は孤独というものを感じ始めた。彼女が、私の止まった時間を動かしたようなものだ。
だから私は、彼女が来る瞬間を心待ちにしている。
そうしているうちに夜になった。雨は未だ止みそうにない。
昨日彼女は確かに『また明日も来る』と言っていた。その言葉を何度も反芻する。彼女には何か事情があるのかもしれないと思うが、同時に裏切られたのではないかと心配にもなる。
そんな時に、向こうから傘をさした人影がこちらへ近づいてくる。暗くて顔はよく見えない。
夜目でやっと顔が見えるまで人影は近づいて来た。最近は毎日見ていた顔だった。
「お待たせ」
最近は毎日聞いていたその声で、人影は言う。
「誰? 」
「あんなに毎日会っていたのに覚えてないの? 」
決して、彼女のことを忘れてしまったわけではない。むしろ、彼女を鮮明に記憶しているからこそ、目の前の人影の僅かな違和を感じとったと言える。だが、その違和感の正体、模倣された彼女の僅かな綻びをうまく言い表すことができない。
「君に似た人なら毎日会ってるけど。君は誰だかさっぱり」
「そう。じゃあ、私が本物だと言ったら? 」
やはり、目の前の人影は彼女かもしれない。私の直感以外の全てはそう認識している。けれども、私は己の直感を信じ続ける。
「なら、こうしよう。今から、私が君を本物かどうか確かめる。その方法は、私が本物の彼女と毎日していること」
「キス? 」
「そう」
人影はそんなことまで知っている。私の直感の確信が揺らいでいく。
そんな張り詰めた精神状態の私を人影は笑った。
「やっぱり、貴方って本当に面白い。さすがは今世の大罪人ね」
「何をそんなに笑っているわけ? 私は早く確かめたいんだけど」
「その必要はないよ。降参降参。私は本物のあの子じゃない。貴方の為に変装して会いにきただけ。それに、そういうつもりはなかったし」
ふと、記憶の破片が目の前の人影に符号する。この人物とは、以前に出会った記憶がある。それはこの所数日ではなくて、もっと前のような気がした。
「誰? 」
再び同じ言い方で、言葉を省略し、知りたいことだけを聞く。
「私は、ここの神だよ。罪を犯した貴方をここに幽閉している張本人でもあるね」
神は、1つずつ確認するかのように私に説明する。
「貴方の罪は“永遠の命を手に入れようとしたこと”そして、それに対する罰は“世界の終焉を見ること”」
「……」
「罪を犯した動機は、貴方には愛した人がいて、その人との死別を酷く恐れたから。
でも結局、貴方が永遠を手に入れる前にその人は死んでしまった」
「……」
「そこで、貴方も命を絶とうとした所で私に捕まった。それで、罰を与えると言う名目で私は貴方をここに置いている。どう? 思い出した? 」
ここの神と名乗った人影は、私が聞いた以上に私についてのことを話した。
しかし、私はたった今話された内容のほとんどを思い出すことができなかった。思い出そうとすると、脳が痛んで記憶の再生を拒む。
「いや。全然」
「まあ、無理もないね。これもまた再三のことになるけど、貴方はこんな存在になったといっても元は人間。人間は忘れる生き物なんだよ。人間は見たり、聞いたり、感じたりしたことを全て覚えてはいられない。だから忘れる」
「……」
私は黙っていることしかできなかった。どうにも、話されたことを自分のことのように考えられなかった。
「今日は、もう止めにしようか。全てを無理に思い出す必要はないから。
私はもう行くけど、まだ何か聞きたいことはある? 」
「……明日、彼女は、来ると思う? 」
相手にとって予想外の質問だったようで、しばらく沈黙が続く。その間、雨が地面を打つ音だけが聞こえた。
「来るよ。貴方は察しているかもしれないけど、今日あの子はここに来れない理由があった。けど、それは私の口から言うことじゃない。それは明日あの子が来た時に聞くべきだよ」
「本当に? 」
「神は信じられるのが仕事だからね」
その言葉を信じて、私は明日を待つことにした。今は、曖昧な記憶しか持たない自分自身よりも、他人の言葉の方が信用できた。
九十九以下合 桂花陳酒 @keifwa
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