第302話 恋人同士

 小雨がそぼ降る午後、陽が落ちるまでには間があるものの、窓の外は既に薄闇が広がっている。

前田家の新居を見学した後、俺と紗代は彼女の家で週末の甘いひと時を過ごし、シャワーも浴びることなく、そのままベッドで身を寄せ合っていた。

飾り棚に置かれた時計が示す時刻はまもなく17時、俺たちが触れ合っていられる刻限までは残り僅かしかない。


「来週は…、会えないんだな…」

「ええ、試験が終わるまでは…」


 5月に行われた中間試験の際は、試験期間にもかかわらず、我慢できずに彼女に会いに来てしまった。

あの後、二人の将来のためには耐えることも必要なのだと、あらためて思い直した。

 明日からの2週間、試験準備期間と期末試験期間は互いの温もりを感じることは叶わないのだ。


「もう、行きますね。」

「やだ…」

「紗代…」


 帰ることを告げて、髪に指を通して梳くようにしながら頭を撫でると、彼女は俺をギュッと抱きしめてきた。


「帰っちゃやだ…」


 この人と離れたくないという想いは俺も同じだ。

しかし、今の俺たちには、どう足掻いても切り崩すことの出来ない壁がある。


「紗代、俺も気持ちは同じです、でも…」

「分かってる…、だから…お願い…、もう少しだけ…」


 俺は、俺の胸に顔をうずめてこいねがう紗代の頭をふわりと撫で、両腕で彼女の体を優しく包み込んだ。




 翌朝、いつもの時刻に登校した俺は、自分の教室に立ち寄ってから、4階にある3年1組に顔を出していた。

普段は彩菜に用事があって訪れることがほとんどなのだが、今日は紗枝莉さんと約束があるのだ。


「おはようございます、紗枝莉さん、お待たせしました。」

「あ、王子さま、おはよう、じゃあ、早速行こうか。」


 先に登校していた紗枝莉さんに朝の挨拶をすると、彼女はランチバッグを持って席を立ち、教室の後方にある彩菜の席に近づいていく。

しかし、その顔にはなぜか笑顔がない。


「清澄さん、ちょっと王子さま借りるね。」

「ダメよ、ゆうは私の恋人なんだから。」

「えー、この人、わたしの彼氏でもあるんですけどー」

「分かってるわよ、冗談に決まってるでしょ?」

「その割には、目が怖かったなー」

「良いから行きなさい、ほら、時間なくなるわよ。」

「はいはい、”学園の姫君” には逆らえませんからねー」

「何よそれ、文句があるならハッキリ言いなさいよ。」

「言ってやるわよ、いつもいつも、本妻ヅラしてるんじゃないわよ。」


 突如始まった俺を巡る恋人二人の攻防に、教室に居る先輩諸氏が一様に目を丸くした。

普段は仲の良い二人に一体何があったのかと、皆、固唾を飲んで見守っているようだ。


「おい、二人ともやめろ、ここは教室だぞ。」


「ゆうは黙ってて、これは私たちの問題なの。」

「そうよ、王子さまは関係ないんだから、引っ込んでて。」


「良い加減にしろ! 二人ともちょっと来い!」


 止めに入っても言い争いをやめない二人の腕を掴み、有無を言わさず教室から連れ出す。

俺は静寂が一転して騒めきに変わるのを背後に感じながら、尚も睨み合いを続ける恋人二人を引き連れて階段へ向かった。


 俺たちは階段を下り、やがて2階に降り立った。

そして無言のまま視線を合わせて…


「「「ぷっ! あははは!」」」


三人揃って大笑いした。




 昨日の午後、新・前田宅に伺った際、紗枝莉さんから皆に相談があった。

最近、彼女が俺の恋人になったことを疑う声があると言うのだ。


「本当に付き合ってるのかって聞かれることがあってね、そのうちバレるような気がして。」


 俺と彩菜のイチャつきを見慣れたクラスメイトからすれば、紗枝莉さんの振る舞いは如何にも淡白過ぎると言うことらしい。


「そもそも、比べる相手が間違ってるよねー、あやねえのデレデレぶりは真似できないよー」

「涼菜さんがそれを言うのはどうかと思いますけど…、でも、確かに桜庭先輩が彩菜さんと同じようにするのは無理でしょうね、キャラが違い過ぎます。」

「もう、恋人なんだから、イチャついたって良いじゃない。」

「いやいや、普通は教室であんなにイチャつかないよ? まったく親の顔が…って、ヤバい、口が滑った!」

「あら、良いのよ? 存分に見て頂戴、ほら、ほらほら、ほらほらほら!」

「きゃー、ごめんなさいー!」

「紗枝ちゃん、声がデカいよ、近所迷惑になるだろ!」


 ここに集った八人中の六人が、わいのわいのと騒ぎ出してしまった。

はたしてこのマンションの防音性能がどのようになっているのか、俄かに心配になってきた。


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