幕間

- 幕間 - 彼女と彼女

 私が部屋に戻ると悠樹がいなかった。

壁際に置かれたバッグの横には、彼が昼間着ていた洋服が綺麗に畳んで置いてある。

多分、風呂にでも行っているのだろうと思い、私も準備をすることにした。


 着替えやコスメ類を用意しているところで、悠樹が帰って来て扉をノックした。

下着が出しっぱなしだったので慌ててランジェリーポーチに入れてことなきを得たが、これでノックがなかったらと思うとゾッとしない。

彼の良識ある振る舞いに、感謝せねばなるまい。


 夕食後、担任として受け持つ生徒三人と一緒に、時間を忘れてついつい話し込んでしまった。

時折、悠樹は今、何をしているのだろうと気になっていたが、表情を見る限り、彼は彼で充実した過ごし方をしていたようでホッとした。


 いよいよ浴室へ向かうため部屋を出ようとした時、悠樹から普段は感じない香りがしていることに気づいた。


「お前、何かつけてるのか? 薔薇の香りがする。」

「ローズオイルですね、今までリビングで、まりちゃんと一緒だったんですよ。」


 『まりちゃん』、鷹宮麻里亜、この旅行に参加している悠樹と仲の良いクラスメイトの一人だ。

ほとんど話をしたことはないが、目鼻立ちがはっきりとした大人っぽい顔立ちが印象的で人好きのする雰囲気を持っている、私とはまるで正反対な女子生徒 。


「ふん、そうか …、じゃあ行ってくる。」


 何だろうか、胸の奥にチクリと痛みがあったけれど、すぐに消えてしまった。

私は然程気にすることなく、階下に降りた。




 この家には浴室が2つあり、1つを女性用として使わせてもらった。

聞けば親類が大勢で泊まりに来ても良いようにしたとのこと、2階の部屋数もそうだが、何とも贅沢な作りにしたものだ。


 湯から上がり今一度シャワーを浴びてから、体に付いた水気を拭う。

愛用のボディークリームで肌ケアをしながら、ふと前を見ると、鏡に映った自分の姿が目に入った。

 少し童顔で背はやや低め、太っても痩せてもいない身体つき、胸はやや大きめだと思うが平均の範疇を超えてはいないだろう。

こうしてあらためて見ると、我ながら容姿はまあまあだと思う。

 けれど中身はと言うと、口調は男勝りで性格にやや(大いに?)難あり、家事能力は皆無 …、私が男なら多分こんな女は彼女にしない。


 はたして悠樹はこんな私のどこが良かったのだろうか、何を見て好きになってくれたのだろうか …。


私の中で、小さな不安が頭をもたげていた。




 部屋に戻る前にリビングに立ち寄ることにした。

ほんの少しとは言え、沈み気味の気持ちのままで悠樹と顔を会わせたくなかったからだ。

 リビングの扉を開けると先客がいた。

先ほど悠樹の口から名前が出て来た鷹宮が、ソファーでスマホを弄っていた。


「あれ? 前田先生、今、お風呂だったんですか?」

「ああ、さっきまで1年生に捕まってたんでな。」


 どうしようかと思ったところで、彼女に話しかけられてしまった。

今は誰かと会話したい気分ではなかったけれど、無視するわけにもいかない。

仕方ないので適当に話を合わせて、早々に切り上げることにしようと思う。

 彼女の隣に腰を下ろすと、微かに薔薇の香りを感じた。

先ほど悠樹が纏っていたのと同じものだ。


「あちゃー、そりゃ大変でしたねー。じゃあ、ゆーちゃんとすれ違いってことかー」

「風呂に入る前に会ったよ、お前と一緒だったそうだな。」

「ゆーちゃん、先生いなくて寂しそうだったから、アタシが話し相手になってあげたんですよ。」


 『話し相手』、そう彼女は言った。

だが、はたして話をしていただけで、彼女が使っているローズオイルの香りがあれほどしっかりと悠樹に移るだろうか。

今、彼女から漂っているこの程度の香りで …。


 そう思った途端、私の中で何かが渦を巻いた。


「お前 …」

「はい?」

「あいつと …、悠樹と、何をしていた。」


 何も考えられなかった。

にも関わらず、私は彼女を詰問していた。

理性の欠片もない、ただ浮かび上がる感情のままに。


「え、だから話を …」

「それだけであいつから、お前の匂いがするわけないだろ。」


 感情に任せて言葉を投げかける私に、彼女は一瞬キョトンとしてから、まるで全てを察したかのようにため息を吐いた。

そして、徐に私の手を握って、体をピタリと密着させて来た。


「アタシがこうしたんです、ゆーちゃんにべったりくっついたんですよ。」


 激情が消し飛び、頭が真っ白になる。

私はまるでその場に縫い付けられたかのように、身動きが取れなくなっていた。

そんな私の内心を知ってか知らずか、彼女はなおも言葉を紡ぐ。


「でもね、そこまで。それ以上のことはしてません。だって、アタシはゆーちゃんの彼女じゃないから。」


 思わず彼女を凝視した。

今、彼女が私にしているようなことを見れば、きっと誰しもが恋愛関係にあると思うだろう。

それをこの子は、そうではないと言うのか。


「ゆーちゃんは優しいから、自分に好意を寄せる人を拒まないし、こんな風にしても許してくれる。アタシはそれに甘えちゃったの、ただ、それだけ。」


 彼女の言葉が胸の真ん中にストンと落ちた、そして理解した。

私は、私には出来ないことをする彼女に、激しく嫉妬したのだと。


 私は悠樹が学園に入学してからずっと彼を見て来た。

だから、悠樹がそういう人だと分かっていたつもりだったのに …。


「お前は、悠樹のことが …」

「好きだよ、幼稚園の頃からずっと好き。」

「え …」


 この子と悠樹が幼馴染だということを初めて知った。

彼女が私の知らない悠樹を知っているのだと思うと、また少し胸が痛んだ。


「と言っても、気づいたのは去年なんだけどね。だから、ゆーちゃんには言ってないんだ。」

「… 言わないのか? 言えば、お前ならきっと …」


 幼い頃から知っていてこれだけ近しい間柄なら、悠樹はきっと彼女を恋人にするだろう。

私にはそう思えた。

けれど …


「言えないよ、ゆーちゃん、今、誰かさんに夢中だもん。言っても、困らせちゃうだけじゃん。」


彼女はこともなげにそう言った。


「だからさあ、アタシに焼き餅なんか焼くことないよ。ゆーちゃんの『好き』は絶対だから。じゃなかったら、校内放送であんなこと言わないよね。」


 悠樹は校内放送で言ってくれた。

どさくさ紛れではあったものの、私の名を呼び、大切にすると。


 彼女の言うとおりだ、私は何を考えていたのだろう、ただ、悠樹の言葉を信じていれば良いだけなのに …。


私の中にあった不安や嫉妬心は、まるで初めからなかったかのように霧散していた。




 私は悠樹が待つ部屋の前で、呼吸を整えていた。

まもなく、扉をノックしようと右手を上げる。


 先ほど、リビングを出る時に鷹宮に言われた。


『兎に角、早くやることやって、彼女らしくなってよ。アタシも義妹いもうとちゃんも、ついでに由香里も、順番待ってるんだから。頼むよ? 紗代ちゃん。』


(まったくあいつは、気安く『紗代ちゃん』とか呼ぶなよ。)


 心の中で毒づきながら、口元には笑みが浮かんでしまう。

扉を開ければ、きっと彼は笑顔で迎えてくれるだろう。


 今夜、悠樹に私の気持ちをきちんと伝えることにしよう。

彼に想いを伝えられない彼女たちのためにも。


 私は想いを胸に、部屋の扉をノックした。



* * * * * * * * * * *


お読みいただき有難うございます。

1日置いての更新となりましたが、次の更新もちょっとお時間をいただくことになります。

実は、前話の終わりから今話を含めて、この後の第6幕を全面改稿することにしました。

詳しいことは後ほど近況ノートに書こうと思いますが、続きを頑張って書き始めていますので、次の更新をお待ちいただければ幸いです。

どうぞよろしくお願いします。


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