第237話 素直な気持ち
一番風呂をいただき、ゆっくりと湯船に浸かって1日の疲れを落とした。
今はリビングの窓際で、火照った体を冷まそうと夜風にあたっている。
今夜はこの季節にしては気温が下がらず、今も20度を下回った程度らしい。
それでもあまり長い時間風に晒されれば、湯冷めしてしまうだろう。
窓を閉めて部屋に戻ろうかと立ち上がったところ、薄い水色のスウェットの上下に身を包んだ、まりちゃんが顔を見せた。
彼女も風呂上がりらしく、上気した顔は何時ぞやのように素顔のままだった。
「まりちゃん、一人なの? まなと由香里さんは?」
「二人とも先に上がったけど…、こっちには来なかったんだね。」
浴室と2階へ上がる階段とは、リビングを通らなくても行き来できる。
愛花と由香里さんは、そのまま部屋へ向かったようだ。
「ゆーちゃんは、部屋に行かなくて良いの? 彼女が待ってんじゃない?」
「紗代莉さんは1年生組に捕まってるよ、あの様子じゃ、風呂も遅くなりそうだね。」
先ほど食事の後片付けを終えて部屋に戻ろうと2階に上がったところで、紗代莉さんが涼菜たちに連れ去られてしまった。
きっと今頃は俺とのことを根掘り葉掘り質問されて、わたわたしている筈だが、これも可愛い教え子たちとのコミュニケーションだと思って頑張ってもらいたい。
「そっかー、それじゃ部屋戻っても寂しいねー、よし、アタシがちょっとだけ、話し相手になってあげよー」
「くすっ、それは有難いことで。」
まりちゃんの申し出を受けて、窓を閉めてから二人で一緒にソファーに座った。
彼女が言うとおり、紗代莉さんが居ない部屋に戻れば寂しい気持ちが湧いてくるのだと思う。
たとえそうでなくても、まりちゃんが話し相手になってくれるのであれば、また楽しいひと時を過ごせるだろう。
ここに愛花や由香里さんが居れば面白おかしく弄られることもあるだろうが、まりちゃんは二人きりの時はそのようなことはして来ないので安心して話していられる。
座ってまもなく、まりちゃんは俺との隙間を埋めるようにピタリと身を寄せて、左の掌に右手の指を絡めて来た。
この子とこうして手を繋ぐのは3ヶ月ぶりだ。
「にひひ、こうすると、神社でのことを思い出すね。」
「そうだね、あの時はまりちゃんのおかげで、凍えずに済んだよ。」
あの時、クスノキの幹にもたれて過ごした時も、まりちゃんの温もりを心地好く感じていた。
それよりも今この時の方が彼女を温かく感じられるのは、湯上がり故のことだろうか。
「大袈裟だなー、アタシはただ、ゆーちゃんとああして居たかっただけだもん。」
「じゃあ、今の俺と同じだね、まりちゃんとこうして居たいから。」
「へへ、アタシもおんなじ。」
まりちゃんが左肩にコテンと頭を預けてきた。
ふわりと漂う微かな香りは薔薇の花だろうか。
「良い香りだね、これは薔薇?」
「うん、お風呂上がりにローズオイル使ってるからね、髪にもお肌にも良いんだって。」
「そっか、だから、まりちゃんは肌が綺麗なのかな。」
まりちゃんの頭が肩からずれないように気をつけながら、顔を覗き込むように体を傾ける。
右手を伸ばしてサラッとした前髪がかかった額に触れて、滑らかな肌の感触を確かめた。
「どお? ゆーちゃん好みになってる?」
まりちゃんにしては珍しく、頬を赤くしながら上目遣いで尋ねてくる。
体に触れる彼女の体温が、少し上がったように思えた。
「俺好みにならなくても良いんじゃない? まりちゃんにはまりちゃんの魅力があるんだから。」
「んー、そう来るよねー、ゆーちゃんはゆーちゃんだもんなー」
まりちゃんは、俺の言葉の意味をきちんと理解してくれているのだと思う。
彼女は俺が口にする言葉が嘘偽りのない素直な気持ちから出ていることを知っている。
それは幼稚園の頃から何も変わっていないのだから。
そう、幼稚園の頃から…。
「俺は、変わらないよ。」
「そっか…」
それから暫く、二人とも何も言わずにただ寄り添っていた。
やがて、まりちゃんがポツリと呟いた。
「明日、結菜さんに会いに行くんだよね…」
「うん、急に大勢で行ったら、ゆいねえ、驚くだろうな。」
しかも妹二人のほかに女子ばかりが八人も押しかけるのだから、きっと目を丸くしたあと、大笑いされるに違いない。
そして、多分こう言うのだ…
「結菜さんなら、きっと、『わたしの大好きなゆーちゃんをよろしくね』って言ってくれるね。」
まりちゃんの言葉がすんなりと心に入って来た。
この子がなぜ3ヶ月前に結菜と会うことが出来たのか、今なら分かる気がする。
「そうだね、多分間違いないよ。」
俺が繋いだ手の指に力を入れると、まりちゃんもキュッと握り返してくれた。
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