第233話 お散歩
ソファーから立ち上がり、美菜さんに声をかけようとキッチンに足を踏み入れる。
彼女は昼御飯の準備を始めるところだった。
「美菜さん、少し散歩に出ても良いですか?」
「良いわよ、1時間後に食事にするから、それまでデートしていらっしゃい。」
振り向きざまにニヤリと意地の悪そうな笑みを見せる美菜さんに、苦笑いを返してキッチンを後にした。
「お前、本当に強引なやつだな、知り合いに見られたら、どうするんだよ。」
「大丈夫ですよ、さ、行きましょう。」
「待て待て、手を離せよ、恥ずかしいよ。」
リビングにいた桜庭さん、涼菜、アデラインに断りを入れて、紗代莉さんを強引に外に連れ出した。
その際、当然の如く手を引いて来たわけだが、案の定、紗代莉さんは恥ずかしがって振り解こうとする。
しかし、どさくさ紛れだろうが何だろうが、初めて想い人と手を繋いだこの機会を逃すことなど出来るわけがない。
「嫌です、今離したら、もう、一生繋げないかも知れないじゃないですか。そうだ、決めました。今日は一日中こうしていましょう。」
「一生繋げないとか、あるわけないだろ! ホントはいつだって繋ぎたいんだから……、ぁ……////」
紗代莉さんは俺の一方的な言葉に抗おうとして思わず本音を漏らしてしまい、気づいた途端、真っ赤になって固まってしまった。
本当にこの人は、可愛らしいにも程があるだろう…。
俺は徐に、紗代莉さんの手を離した。
彼女は我に返って自分の右手を握ったり開いたりしてから、俺を見上げて戸惑いの表情を見せる。
「紗代莉さん。」
俺が目を細めてあらためて左手を差し出すと、紗代莉さんはその手をじっと見つめながら、おずおずと右手を持ち上げて、5本の指をそっと添えるように置いてくれた。
「紗代莉さん…、大好きです…」
「わ…、私も…その…、……、……////」
俺が身を屈めて耳元で静かに囁くと、彼女は消え入るほどの小さな声で返事をくれた。
二人で肩を並べて歩いて行く。
ゆったりと流れる時間に身を委ねながら、どこか目当てがあるわけでもなく、ただ、のんびりと…。
やがて、紗代莉さんがポツリと呟いた。
彼女はもうすっかりと気持ちが落ち着いているようだ。
「学校か…」
視線の先には、先月まで涼菜が通っていた前武中学校があった。
「俺と清澄姉妹が通っていた中学校です。」
「随分近いんだな、10分とかからん。」
「ええ、おかげで、朝、慌てて家を出ても、走れば間に合いました。」
「ふっ、お前が慌てる姿など、想像できんな。」
彩菜が支度に手間取って、先ほど家を出た時のように手を引いて走ったことが何度かあった。
あれから3年以上が経っている。
「その頃、私は既に教師だったわけだ、それが、こんなことになるとはな。」
紗代莉さんは俺と繋いだ左手に視線を落とし、薄らと笑みを浮かべた。
彼女が社会人になった頃の俺は、中学校に上がったばかりだった。
二人とも、4年後にこのような関係になっているなど、想像だにしていない。
けれど…
「でも、俺は、あなたと出会いましたから。」
「ああ…」
「あなたが、教師になってくれて良かった。」
「…私は、お前が
「…え?」
稜麗学園高校の入試問題は、入学後のコースの振り分けを考えて構成されている。
各教科ごとに5段階にレベル分けした問題を配置して、解答状況に応じて最適な振り分けが出来るように工夫されていた。
高1レベルの問題が配置されているのもそのためだ。
そして、それを提案したのが、紗代莉さんだったのだ。
「従前は、緩いレベル分けだったんでな、学年が上がる時にコース変更する者も多かったんだ。しかし、それでは生徒の負担が大きい。」
彼女は入試の改善を訴え、それが試行的に採用された。
さらに前任の試験主任が辞職することになり、あとを任されることになった。
採用2年目の抜擢人事、出る杭が打たれたのかも知れない。
「初年度は芳しくなかった、特に難問配置は非難されたよ、平均点数を下げるだけだとな。」
最高レベルの問題は、正答者がいなかった。
それでは、出題していないのと同じだ。
しかし、それでも効率が落ちたわけではなかったのと、試行は2年間とされていたこともあり、翌年も実行された。
紗代莉さんにとっては背水の陣だった。
「信じられなかったよ、まさか、全問正解者が出るとは思わなかった。神崎も惜しかった、あれは、コンディションが悪かったのかも知れんな。」
その時の問題に、出題ミスがあったことにのちほど気づいたそうだ。
今年の入試時に生徒の手を借りてまで出題ミス探しに拘ったのは、多分それが理由だろう。
結果的に受験生の負担に繋がってしまいかねないものを放って置くことが出来なかったのだ。
「入学式で初めてお前を見た時は驚いたよ、背が高くて、その…、イケメンで…、父親に…パパに似てる気がしたんだ。それから、ずっと、気になってた…」
紗代莉さんの思いもよらぬ告白に、俺の方が驚かされた。
よもや1年以上も前から見ていてくれたなどと、誰が思うだろうか。
「なあ…」
「はい。」
「本当に…、私で良いのか?」
「あなたが、好きですから。」
「そうか…」
「はい。」
「私も…、お前が、好きだよ…悠樹…」
紗代莉さんは、今度はしっかりと俺に伝わるように想いを口にしてくれた。
俺は何も言わずに、彼女の右手を握る手にキュッと力を入れた。
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