第229話 お節介

 俺と愛花は、愛情を深め合う行為のあと、寝物語を楽しんでいた。

幾つかの話題に続いて、彼女の口から紗代莉さんの名前が出てきた。

俺と紗代莉さんは我慢をせずに、もっと会う機会を設けた方が良いと言うのだ。


「二人が考えた末の結論なのは、分かってるけど…」

「ありがとう、まな、俺たちも出来ればそうしたいんだけどね。」


 年齢差のある男女の恋愛とだけ見れば、それでも良いのかも知れない。

けれど、紗代莉さんの社会的な立場を考えれば、これ以上の踏み込みはリスク以外の何ものでもないだろう。


「…私だったら、我慢できないから。」

「まな?」

「先生は大人で、私は子供だからかも知れないけど、私には我慢できないよ、だって、悠樹が好きなんだもの。」


 愛花は涙を流していた。

彼女は紗代莉さんの気持ちを思い、泣いてくれているのだろうか。

思えばこの子は、俺のことを想い続けてくれた女性ひとだった。


「私も我慢しようとした、でもそうしたら、余計に君への気持ちが膨らんで行ったの、だから、きっとあの人も…」


 ひょっとしたら紗代莉さんも今、同じ想いで枕を濡らしているかも知れない。

自分は大人だから、我慢しなければいけないと…。


「俺は勘違いしてたのかも知れないな…」

「悠樹…」


 俺たちは、諦めが良すぎたのではないか。

互いに我慢をするのではなく、我慢せずに居られる方法をもっと探すべきではないか。

別のリスクを取ることで、最大のリスクを回避することが出来るのではないか。

俺の頭には、様々な考えが巡り始めていた。




「それで、うちに来たというわけか。」

「ええ、もう少し足掻いても良いかなと、思い直しました。」


 翌朝、紗代莉さんに連絡を入れて、昼過ぎにお宅へ伺う許しを得た。

恋人たちには事後承諾となってしまったが、三人とも快く送り出してくれた。

愛花だけでなく、彩菜と涼菜も同じ気持ちだったというわけだ。


「まったく、お前の彼女たちは、揃ってお節介やきだな。」

「紗代ちゃん、もっと素直になりなよぉ、今日も王子さまに会えて嬉しいんでしょ?」

「え、いや、まあ、その、なんだ…////」


 桜庭さんの一言に、紗枝莉さんは頬を赤らめて俯いてしまった。

俺が顔を見せれば喜んでくれるとは思っていたが、このような反応を見せてくれるとこちらもとても嬉しくなる。


「ねえねえ、聞いて聞いて、紗代ちゃんったら、昨日、王子さまが帰ったあと、すっごく寂しそうだったんだよ?」

「うわっ、ちょっと紗枝ちゃん、やめろ!」

「それが、朝、連絡もらった途端に、ソワソワしちゃって…」

「もう良いから! 悠樹、お前も聞くな!」


 俺は紗代莉さんが桜庭さんを止めようとして口走った言葉を聞き逃さなかった。

彼女は今、間違いなく俺の名前を呼んだのだ。

今まで紗代莉さんは、俺のことをほぼ『お前』としか言っていなかったのに…。

俺は思わず、彼女の両手を取って問い正した。


「紗代莉さん、今、俺の名前、呼んでくれましたよね?」

「ひゃっ! あ、いや、その…、……、うん…呼んだ…、ふえっ?!」


 俺は何も言わずに、紗代莉さんを強く抱きしめた。

彼女は目を丸くしたけれど、振り解こうとはしなかった。


「嬉しいです、俺、ずっとあなたにそう呼んで欲しかったから。」

「う…、ご、ごめん…、でも、名前でなんて…、恥ずかしくて…、…」


 これまで恥ずかしくて言えなかった言葉が、咄嗟のことで出てしまったらしい。

つまりは、紗代莉さんは俺のことを名前で呼びたいと思ってくれていたということだ。

たったそれだけのことが出来なかった彼女が初々しくもいじらしいだけでなく、俺も名前呼びされただけでこれほど舞い上がってしまうのだから、やはり俺たちは紛うことなき『恋愛初心者』なのだ。


「なるほど、わたしは、今日もこんなの見せつけられるわけね…」


 すぐ傍で桜庭さんがぼやいていたが、俺は構わずに暫く紗代莉さんの温もりを感じていた。




「ねえ、紗代ちゃん、一度見に行ってみない?」

「そうだな、まずは物件を見ないことには、話が進められんな。」


 予想外の展開だった。

昨日、我が家で話題に上った賃貸の家賃相場と売買物件のことを話したところ、紗代莉さんたちが興味を示したのだ。

しかも、賃貸ではなく売買物件に注目している。


「まだ人が住んでるので、見られるかどうか分かりませんけど、清澄に聞いてもらいましょうか。」

「ああ、頼む。平日は難しいから、土日だと有難い。話さえ通してもらえれば、あとは私が不動産屋と遣り取りする。」


 紗代莉さんは大学を卒業して稜麗学園高校に採用された際、3年経って学園が性に合うようなら家を買って定住するつもりでいたのだそうだ。

紗代莉さんの親も、彼女の性格上結婚は難しいだろうから好きにして良いと言っていて、資金の支援もしてくれるらしい。


「私が子供の頃から、母親が積み立ててくれてたんだ、まあ、元は結婚資金のつもりだったようだが。」

「ただ、家を探したくても、紗代ちゃん、ずっと仕事が忙しくてね。」

「この辺りに手頃な出物がなかったのもあるけどな。」


 早速、美菜さんにメッセージを入れると、すぐさま着信メロディーが鳴ったので驚いた。

スマホの画面を見ると、なんと音声通話だった。


「もしもし、美菜さ…」

『ほーらご覧なさい、わたしの情報、役に立つでしょ? 約束は来週で良いかしら、て言うか、悠樹くんじゃ話にならないから、本人に代わってよ、ほら、早く!』


 通話ボタンを押して話し出そうとした途端、美菜さんが矢継ぎ早に捲し立てる。

彼女が通話にした目的は、紗代莉さんと話をするためのようだ。

紗代莉さんに尋ねると二つ返事で代わってくれた。


「私が話すよ、世話になるし、生徒の保護者だからな。」


 儀礼的な挨拶のあと幾つか遣り取りがあり、彼女は通話を終えた。


「不動産屋の都合を聞いてくれるそうだ、お前経由で連絡をもらうことになったから、すまんがよろしく頼む。」

「分かりました、…それだけですか?」

「…そのうち顔を出せと言われたよ、食事をご馳走してくれるそうだ、まったく、清澄ってのは親まであんな感じなのか。」

「そうですね、皆、温かい人たちです。」


 お隣が清澄家でなければ、俺という存在はなかったのだと思う。

俺が紗代莉さんと出会えたのも、心が通じ合えたのも、全ては清澄家との縁から始まっているのだ。


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