第219話 家庭訪問

 水曜日の放課後、俺と彩菜、涼菜、愛花、そしてアデラインは、学園の教職員用出入口の外で、前田が出て来るのを待っていた。

今日は彼女が、アデラインの家庭訪問をすることになっているのだ。


「待たせて済まない、それでは案内してくれ。」

「承知しました、みんな、行こうか。」


 この学園では原則として家庭訪問を行っていない。

高校によっては生徒の家庭と良好な関係を築くために積極的に実施している所もあるようだが、稜麗学園は1学年から個別面談を行っていることもあり、わざわざ教師から出向くことをしていないのだ。


 今回前田が家庭訪問をするのは、アデラインが中学生の時に転校を余儀なくされた出来事があり、その際の心の傷をケアする必要があると判断してのことだ。

前田は先週初めに学年主任の了承を得て、正規の手続きを踏んで今日に臨んでいた。


「アデラインの転校は本当だし、実はゆうのココアが飲みたいからうちに来るとは、誰も思わないよね。」

「おい、清澄姉、声がデカい、周りに聞こえちゃうだろ。」

「ゆうくんとお付き合いしてるって堂々と言えると良いのに、先生と生徒って面倒臭いですね。」

「だから、周りに聞こえるって言ってるだろ、本当にお前たちは姉妹揃って…」


 前田は彩菜と涼菜を睨みつけるけれど、薄ら涙目になってしまっているので、まるで迫力がない。

それどころか、そんな拗ね顔の彼女が、俺には最早可愛い紗代莉ちゃん(5歳)にしか見えなくなっていた。


「ほらほら、そんな顔しないの、紗代莉ちゃんには笑顔が一番似合うんだから。」

「うう…、お前まで…、ぐすっ、みんなに見られちゃうじゃないか…」


 頭をやんわりと撫でてあげると、紗代莉さんはあまりの恥ずかしさに、頬を染め肩を窄めて縮こまってしまう。

これではたとえ学園生に見られても、いつも仏頂面で超然としている前田と結び付けられることはないのではなかろうか。


「なあ、みんな、今の紗代莉さんを見て、前田先生だって分かるか?」

「ああ、分かんないかも、前田先生って、いっつも機嫌悪そうだし、泣いた顔どころか笑ってるのも見たことないもの。」

「うっ、いや、そこまで言わなくても…」


 俺の問いかけに彩菜が答えると、紗代莉さんは恥ずかしさに情けなさが混じった何とも言えない表情を見せる。


「うん、これなら先生も、ゆうくんと一緒に歩けるんじゃない?」

「ちょっと待て、私はいつもこんなに恥ずかしい思いをしなきゃいけないのか?」


更には困惑の面持ちを加えることで、豊かな表情(百面相とも言う)とは然もありなんと言う手本を見せているかのようだった。


「普段は難しくても、休日にお出かけは出来そうですよ? そう思わない? 悠樹。」

「そうだね、ショッピングモールで見かけた時も、初めは紗代莉さんだと気づかなかったしね。」

「え…、そうなのか?」

「ええ、可愛らしい感じの大学生かと思いました。」

「え、いや、可愛らしいとか、その…(やっぱり恥ずかしい…)////」


 涙こそ引っ込めたものの頬の赤みを深めて恥ずかしがる紗代莉さんを見ていると、胸がほんわか温かくなる。

俺は暫しこの可愛い人を愛でながら、我が家への帰路をゆっくりと歩いて行った。




「どうぞ、楽にしてください、今、飲み物を用意しますね。」

「う、うん、おかまいなく…」


 我が家のリビングでソファーを勧めると、紗代莉さんはぽすんと腰を下ろして室内をキョロキョロと見回している。

その様子を見ていたアデラインが、紗代莉さんに問いかけた。


「どうかしましたか?」

「いや…、普通に暮らしてるんだな…」


 紗代莉さんの気持ちはよく分かる。

彼女にはあらかじめ、清澄姉妹と愛花とは一つ屋根の下で暮らしていることを話してあった。

高校生の男女が同棲していれば、性の乱れもさることながら、生活自体が乱れていることは容易に想像できる。

それが微塵も感じられないのだから、戸惑いを覚えても何らおかしなことではないだろう。


「お兄さまたちは、本当に普通に暮らしていらっしゃいます。寧ろほかのご家庭よりもしっかりしていらっしゃるくらいだと思います。」

「そのようだ、お前は良い環境で生活できているんだな。」

「はい、仰るとおりです。下宿先にも良くしていただいていますし、私は恵まれています。」


 同じソファーに座ったアデラインが胸を張って言い切ると、紗代莉さんは優しい眼差しで彼女を見つめ、満足げに頷いた。

その面持ちは、担任教師の前田のものに戻っていた。


「そうか、安心したよ、これで今日の家庭訪問はお仕舞いだな。」

「あの、先生は、本当に家庭訪問をされるおつもりでいらっしゃったのですか?」

「当たり前だろ? あいつがあれだけ気にかけてるんだ、私だって、担任として気にするさ。」

「ありがとうございます。私は、良い方々に囲まれているのですね。」

「何度も言うが、当たり前のことだ。先生ってのは、お前たちが思っている以上に、生徒のことを見ているものなんだよ。」

「分かりました、これからもよろしくお願いします。」

「ああ、大船に乗ったつもりでいろ。多少揺れるかも知れんがな。」

「私は乗り物酔いはしませんので、きっと大丈夫です。」


 二人の間には柔らかな空気が流れていた。

 俺には紗代莉さんとアデラインが、教師と生徒と言う繋がり以上の絆で結ばれたように思えた。


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