第200話 幼な子

 3学期も残り5日となった月曜日、彩菜と組む司書当番もいよいよ最終日となった。

この1年、この場所で様々なことがあったけれど、思い返してみればあっと言う間だった気がする。

 4月からは一緒に当番を務めてくれる相方が1年生に変わるわけだが、出来れば俺がよく知っているあの子に隣に座ってほしいと思っていた。

はたして俺の希望が現実味を帯びるのかどうか、まもなくそれが判明する。


 今、放課後の図書室には、これまで1年間1度も顔を見せたことがなかった客が来ていた。

試験主任教師の前田が、俺に用事があって訪れているのだ。

 前田の用事とはほかでもない、涼菜とアデラインのクラス分けのことだ。

内容が内容なだけに他の教職員に聞かれると不味いと言うこともあり、俺の方からここを指定して足を運んでもらった。


「なるほど、図書室とは盲点だったな。」

「いつも利用者が居ないわけじゃないですけど、ここなら先生が居ても不思議はないですし、職員室よりはゆったりと話が出来ますよ。」


 狭い職員室では、たとえ小声で話していたとしても話が漏れてしまうのではないかと気が気でないし、こそこそ話をしていると寧ろ目立ってしまいかねない。

 誰にも知られず密談するのであればスマホを使う手もあるけれど、俺も彼女も相手の表情を見ながら駆け引きをしたいタイプなので、自ずと直接会うことを選択していた。


「ところで、私はお前とサシで話をするつもりだったんだが?」


 前田が俺の両隣に座る彩菜と愛花に、交互に視線を送る。

彼女の表情に険しさは見受けられないので、単なる確認と考えて良いだろう。

俺の恋人二人も、同じように受け取ったようだ。


「この二人も涼菜と同様、俺の大切な恋人で家族ですからね、話を聞かせる必要があります。」

「相変わらず、他人ひとに言いづらいことをキッパリと言い切るやつだ。それとも、独り身の私に対する当てつけか?」

「先生の恋愛事情に興味はありません。そろそろ本題に入りましょうか、あまり長く職員室を離れているわけにもいかないでしょう。」


 俺が前田の冗談をサラリと受け流すと、彼女はつまらなそうに『フン』と鼻を鳴らしてから、資料を1枚、テーブルの上に置いた。


「新1年1組の名簿だ、全てお前の希望どおりになったな、これで借りは返したぞ。」


 資料を手元に引き寄せて、彩菜、愛花と共に内容を確認すると…


      :

  5 清澄 涼菜

      :

  25 御善 アデライン

      :


五十音順に記載された三十名の生徒の中に、涼菜とアデラインの名前があった。

前田の言うとおり、これで俺たちの要望が全て通ったわけだ。

 彼女は入試の際の俺と愛花の功績とアデラインがこうむった過去の出来事を材料に、学園相手に上手く立ち回ってくれたに違いない。

俺が見込んだとおり、前田の手腕は確かなもののようだ。


 資料を前田に返そうとして、ふと名簿に目を止めると、もう一人、気になる名前があった。


  担任 前田 紗代莉さより


「前田先生って、紗代莉さんだったんですね。」

「そうだ、何か文句でもあるのか?」

「いえ、可愛い名前だなと思って。」


「っ?!(ボンッ!)////」


「…え?」


 俺が素直に思ったことを告げると、彼女は目を丸くして一瞬で顔を真っ赤に染めたかと思うと、無言で俯いてしまった。

これには俺だけでなく、彩菜と愛花も唖然としている。

まさか、前田にこのような一面があるなどと、誰が思うだろうか。


「あのぉ、前田先生?」


 恐る恐る声をかけると、前田は顔を赤くしたまま潤んだ瞳で上目遣いに俺を睨みつける。

けれど、まるで幼い女の子が必死に強がっているようにしか見えず、寧ろ愛らしさを見事なまでに演出していた。

これはもう名前どころではない、よもやこの学園に、これほど可愛い20代がいるとは思わなかった。


「…可愛いって言うな…」

「いや、でも、可愛いですし。」

「うう…、恥ずかしいから…、やめろ…」

「そう、可愛く言われても。」

「もう…、やめてよぉ…、ぐすっ…」


 可愛さのあまり弄り続けると、前田はついに泣き出してしまった。

しかし、これが俺の庇護欲を呼び起こすことになる。


 俺はぐすぐすと鼻を啜る前田の隣に座り直し、掌をふわりと頭に添えて…


「良い子だから泣かないで、ほら、良い子良い子…」


幼な子をあやすように出来るだけ優しく囁きながら、やんわりと頭を撫でてあげた。

既に俺の心の中では、ここにいるのは泣く子も黙る試験主任の前田ではなく、泣きじゃくる気弱な女の子・紗代莉ちゃんになっていた。


「うう…、コラァ、御善…、私は、ひくっ…、ガキじゃ、ないぞ…、えくっ…」

「女の子がそんなこと言っちゃいけないよ? それに、泣いてると折角の可愛い顔が台無しになっちゃうよ、さ、泣き止もうね。」

「ぐすっ、また可愛いって…、ぐすぐすっ…、恥ずかしいのにぃ…」


 俺は前田の頭を胸に包み込むように抱き寄せて、背中をポンポンと柔らかく叩く。

鼻腔をくすぐるシトラス系の爽やかな香りは、彼女が使っている香水だろうか。

前田はぐずぐず言いながらも、俺を突き放すことなく、大人しくされるがままになっていた。


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