第199話 ファンクラブ
「お前、彼女がどんな怪我をしたか知ってるか?」
「あ…、いや、知らない…、怪我したとは聞いたけど…」
「だろうな、突き飛ばしたのに逃げておいて、彼女に会ってもいないんだからな。」
「い、いや、それは…」
「今回は偶々打撲と擦り傷で済んだけど、転び方によっては大怪我だってするし、最悪の結果になることだってあるんだぞ。」
「そんな大袈裟な…」
「ふざけるなよ。」
俺の口からは、はたしてこれが自分のものなのかと疑うほどの、底冷えのする声が発せられた。
目の前の男子生徒から、サッと血の気が引いた。
「人間、いつ、どこで、どうなるかなんて、分からないんだ。」
脳裏には、父と母、兄と結菜の笑顔が映し出されていた。
俺の身内は、皆、不慮の事故で逝ってしまった。
兄と結菜は即死だったが、両親は発見が早ければあるいは助かっていたかも知れないと聞かされた。
女子生徒が負った擦り傷だってそうだ、侮って放っておけば重い感染症になってしまうことだってある。
「まずは、自分が何をすべきか良く考えろ。」
「あ、ああ…、分かった…」
眼光を鋭くすると、三人の男子はジリッと後ずさる。
「分かったら、さっさと行け。」
最後に一言くれてやると、三人は何も言わずに踵を返し、逃げるように去っていった。
あとにはシンと、静寂だけが残った。
ふと気づくと、周囲には10kmを走り終えた生徒たちが集まっていた。
俺たちのただならぬ雰囲気を察知して、様子を窺っていたのだろう。
バツが悪くなり頭を掻きながらこの場を立ち去ろうとすると、両脇に彩菜と愛花が寄り添ってくれた。
「お疲れ様、ゆう、カッコ良かったよ。」
「ふふ、私は、惚れ直しちゃった。」
笑顔を浮かべる二人から労いの言葉をもらい、思わずこちらも笑顔になる。
俺を突き動かしていた怒りは、既に霧散していた。
「二人とも、校舎に入ろうか。」
「そうだね、ここにいても仕方ないもの。」
「鷹宮さん、南雲さん、私たち戻りますけど、どうします?」
「アタシも行くよ、早く着替えたい。」
「右に同じぃ、あぁ、疲れたぁ。」
俺たち五人は10kmマラソンの終了を待たずに、校舎へと戻って行った。
教職員を含めて、俺たちを止める者は誰もいなかった。
「うわー、そんなやつ居るんだー、学園のイメージ悪くなっちゃうよー」
「でも、お兄さまが懲らしめてくださったのでしょう? これで、一安心といったところでしょうか。」
「俺は自分の怒りをぶつけただけだからね、そんなにカッコ良いものじゃないよ。」
我が家に帰って来て愛花と二人でシャワーを浴びてから、涼菜とアデラインに今日の顛末を話して聞かせた。
二人は俺と愛花の順位が有耶無耶になってしまったことを残念がっていたが、所詮お遊びランなのだから、気持ち良く走ることが出来ればそれで十分だ。
ただ、ゴール間際での出来事は、最後まで気持ち良くとはさせてくれなかったけれど。
「ねえ、ゆう、あの子、大きな怪我はなかったんだよね。」
「ああ、養護の先生は、膝の痛みが引けば大丈夫だって言ってたな。」
「瀬谷さんはバレー部のレギュラーですから、膝の怪我は怖いでしょうね。」
運動部に所属しているのであれば、どの競技であろうと膝は要となる。
レギュラーポジションを勝ち取っているなら、なおのことだ。
あの時、彼女の瞳が潤んでいたのは、転倒させられた悔しさや1位になれなかったことを残念がっていたわけではなかったのかも知れない。
翌朝、いつもの時刻に登校すると、まりちゃんと由香里さんがニヤニヤしながら俺と愛花を待ち構えていた。
朝、四人で談笑するのはいつものことだが、今日は少しニュアンスが違っているようだ。
「おはよう、まりちゃん、由香里さん。」
「おっはよ、二人とも、待ってたよー」
「おはようございます。お二人とも、笑顔が怖いんですけど…」
「あはは、ちょっと悠樹くんに伝えたいことがあってねぇ。」
一体何を聞かされるのかと身構えた。
二人の話は10kmマラソンにおける、俺の行動についてだった。
俺はランの最中に女子の最後尾の二人に声をかけていたわけだが、実はあのあとも様子が気になる女子を見かける度に調子を尋ねていた。
そのあたりの情報が、女子のネットワークを介して、まりちゃんたちに入ったようなのだ。
「最初はさー、ゆーちゃんが走りながらナンパしてたって話だったんよー」
「え、そんなことになってたの?」
「そしたら、悠樹くんに気遣ってもらったって子が何人も出て来てねぇ。」
「あと、校庭で男らしかったーって、声が上がってさー」
「うんうん、みんな、悠樹くんを褒め讃えてたよねぇ。」
「でさー、ゆーちゃん、そのあとどうなったと思う?」
「そう言われても…、まなは分かる?」
それだけの情報で、まりちゃんの問いに答えられる筈もなく、直ぐ傍にいる愛花に振ってみると、どうやら彼女には思い当たることがあるようだ。
「多分アレでしょうね、今までは水面下だったみたいですけど。」
「おっ、神崎ちゃんは分かってるみたいだねー」
「今までは、噂が広がる前に消えちゃってたもんねぇ。」
何の話なのかさっぱり分からないので腕組みをして首を傾げていたら、愛花が答えを教えてくれた。
「ねえ、悠樹、君のファンクラブが出来たみたいだよ?」
「…え? 今、なんて?」
女子三人の表情を見る限り、聞き違いではなさそうだ。
しかし、俺にそんなものが出来る理由も意味も分からない。
「ゆーちゃんって、顔良いし、背ぇ高いし、頭良いし、優しいし、前々から女子には人気あったからねー」
「でもほら、清澄先輩とのことがあって、みんな諦めてたんだよぉ。」
「そのあと、涼菜さんと私のことがあって、別の意味で注目度が上がってたみたいなんだけど…」
「昨日のことで一気にファンが増えて、正式にファンクラブを作っちゃえー!ってことになったってわけ。」
「はあ、そうですか…」
そもそも女性に優しくするのは当たり前だし、顔だったら俺より良いやつは大勢いるだろう。
ほかのことがあるにしても、何故そうなるのか理解できない。
はたして、これが男性と女性の志向の違いと言うものなのだろうか…。
「でさ、会長は椿がやるみたいだから、そのうち顔出すんじゃないかなー」
「椿?」
「瀬谷さんのことだよ、彼女、瀬谷椿さんって言うの。」
「もうさー、会長は自分がやるって、譲らなかったみたいだよ? やっぱ、お姫様抱っこの威力は抜群だねー」
斯くして、俺の知らないところで、摩訶不思議な団体が発足したようだ。
どのような活動が行われるのかは分からないけれど、俺たちがこれからも平穏無事に学園生活が送られるのであれば、何も言うことはあるまい…。
* * * * * * * * * * * *
昨日今日(10/1・2)は、早めの時刻に更新しました。
明日(10/3)からは22時更新に戻しますので、ご承知おきください。
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