第198話 怒り

「いったー、何なのあいつら?! 人を突き飛ばしといて!」

「お怒りごもっとも、ちょっと染みるけど動かないで。」


俺はポケットから消毒用のウェットシートを取り出し、彼女の左手首を片手で握って傷口を拭った。


「痛っ?! 何するの!って、あれ? それって消毒シート?」

「うん、応急処置用に持ってきてたんだよ、役に立ったね。」


 中学生の時に集団走で転倒して擦り傷だらけになって以来、似たようなシチュエーションの時は必ず消毒用のシートを持ち歩くようにしていた。

ちなみに絆創膏も常備している。

使わないに越したことはないが、このように役立つこともあるのだ。


「ほかは大丈夫? どこか痛めてない?」

「ありがとう、大丈夫だと思う…、いっ!」


 女子生徒は立ち上がって歩き出そうとしたところで、痛みに顔を歪めた。

左膝を押さえているので、擦りむいただけでなく打撲もあるのではないかと思う。


「あーもー、どんどん抜かれてく、折角、1位が取れると思ったのに。」


 男女ともに、上位の生徒が次々と通り過ぎて行く。

ゴールまでの残り距離は然程もないのだから、彼女が転倒することなく走り続けていれば、1位は間違いなかっただろう。

悔しそうにしている女子生徒を目の前にして、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

直接的ではないにしても、少なくとも俺が彼らを刺激しなければ、このようなことにはならなかったかも知れないのだ。


「巻き込んじゃって、ごめん、こっちがエキサイトしちゃったから。」

「ちょっと、何言ってるの、御善くんは悪くないじゃない、悪いのはあいつらだよ。」


 責任を感じて謝罪すると、女子生徒は俺のせいではないと否定してくれる。

けれど、瞳が潤み始めているところを見ると、やはりよほど悔しいのだろう。


「悠樹、どうしたの?」


 愛花が残り1kmまでやって来た。

ここまで9km走って来た筈なのに、汗はかいているものの、まるで何事もなかったかのように平然としている。

俺の予想どおり、彼女は長距離走に向いているようだ。

ならば、愛花に一つお願い事をすることにしよう。


「まな、頼みがあるんだけど。」

「うん、なに?」

「この子が足を痛めたんだ。今から連れて行くから、先に行って救護班に知らせておいてほしいんだよ。」

「分かった、足なら抱っこだよね?」

「うん、そのつもり。」

「じゃあ、直ぐに着くね、またあとでね。」


 言うや否や、愛花は脱兎の如く駆け出した。

彼女の体力は、まだまだ余裕がありそうだ。

俺の傍では、愛花と並走していた、まりちゃんと由香里さんが、呼吸を整えながら呆気に取られて見送っていた。




 怪我をした女子生徒を抱き上げたまま早足で学園の校門に近づくと、救護班と思しき職員二人が歩道へ飛び出して来るのが見えた。

救護班を呼んでくれた愛花と、ゴールで俺を待っていてくれた彩菜も一緒だ。


「はい、お待たせ、ここまでだね。」

「う、うん、ありがとう、あの…、重たかったよね?」

「ううん、全然。じゃあ、ちゃんと治療してもらってね。」


 校門で女子生徒を職員に任せてから、恋人二人を振り向いた途端、彩菜が抱きついてきて、耳元に労いの言葉をくれた。


「お疲れ様、ゆう、大変だったね。」

「まさか、ゴール間際であんなことがあるとは思わなかったよ。」


彩菜を抱き返して耳元で返事をすると、少し離れた所にいる愛花が苦笑いしながら声をかけてきた。


「お二人とも、校門を塞いでますから、取り敢えず校庭に行きましょうか。」


 周りを見ると、ゴールに向かう生徒たちが、俺たちを避けるようにして直ぐ傍をすり抜けて行く。

俺と彩菜は顔を見合わせてクスリと笑い、愛花と共に校庭へと歩みを進めた。




「うちと反対側に行った所にあったんだよ。今度行ってみようかと思って。」

「スーパーねぇ、ゆう、良くそんなの見つける余裕あるね。」

「悠樹らしいじゃないですか、今日、このあとにでも行ってみます?」


 結局、俺も愛花もゴールしたのかどうか分からないまま走り終えて、全ての生徒が戻って来るのを校庭で待ちながら、彩菜を交えて談笑していた。

直ぐ傍では、まりちゃんと由香里さんが、座り込んだまま動かなくなっていた。


「御善、悪い、ちょっと良いか。」


 暫くすると、見慣れない男子生徒が声をかけて来た。

誰だろうと思ったが、後ろにいる二人の男子と共に伏せ目がちにしている様子から、女子生徒に怪我をさせたガチ勢の一人だと分かった。


「ああ、なに?」


 俺が敢えてつっけんどんに返事をすると、彼は一瞬怯みながらも、何とか顔を上げて用件を告げる。


「その…、さっきは悪かったよ、それを言いに来たんだ。」

「何のことだ?」

「いや、ほら、俺がぶつかって転ばせた女子を助けてくれたろ? だから…」

「彼女には謝ったのか?」

「え?」


 俺が問うと、彼は意外なことを言われたかのように呆けた。

あまり関わりたくないので適当にあしらおうかと思っていたが、どうやらそうも行かないようだ。


「聞こえなかったのか? お前が転倒させた子には謝ったのか?」

「い、いや、あとで行こうと思ってさ、まずはお前に…」


 俺は久しぶりに怒気を覚えた。

多分、学園に入学してから初めてのことだと思う。

これまでは多少気に食わないことがあっても、自らの身に降り掛からなければ見て見ぬ振りをして来たのだが、彼の発言は許せなかった。

これも、内側に籠ることをやめて、周囲に目を向けることにした故のことだろうか。



* * * * * * * * * * * *


所用により5日間空けてしまいましたが、予定どおり更新再開しました。

いつもお読みいただいている皆さま、お待たせしました。

お初の方は初めまして、これから読んでいただけると嬉しいです。

まだ暫くは書き続けていくつもりですので、引き続きどうぞよろしくお願いします♪


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