第189話 桃の節句

 3月に入って最初の金曜日、俺と恋人三人は夕方から清澄家で過ごしていた。

以前から毎週月曜日には晩御飯をいただきに上がっていたわけだが、最近は俺が和食のレパートリーを増やすべく美菜さんに師事を仰いでいることもあり、さらに週に2・3度お邪魔するようになっていた。


 食事を終えて皆で温かいお茶をいただきながら、女性陣が世間話に花を咲かせていた。

ここのところちょくちょく顔を出しているので話をする機会が増えているにも関わらず、目の前では四人の女性が次から次へと話題を変えながら、笑顔を交えて会話を弾ませている。

いつもながら良くも毎回ネタがあるものだと感心しつつ、俺は黙して美菜さんが淹れてくれた緑茶のふくよかな香りを堪能していた。


「そうだ、彩菜、涼菜、あれ、どうしようか、こっちで片付けちゃって良い?」

「うん、そうだね、飾るのもお願いしたし、適当な時に片付けてもらえると助かるかな。」


 美菜さんが唐突に彩菜と涼菜に話題を振ると、一人だけ話が見えない愛花が首を傾げる。


「涼菜さん、あれって、何のことですか?」

「あはは、あれじゃ、分かりませんよね、あれのことです。」


 結局『あれ』と言っている涼菜が指差す先には小さな飾り棚があり、そこには一対の内裏雛が飾られていた。


「わあ、素敵な雛人形ですね、私のものとは大違いです。」

「あれね、旦那の実家が買ってくれた時は、三段飾りだったのよ。」

「あ、じゃあ、官女が居たってことですよね。でも、そうすると?」


 皆の視線が、一斉に彩菜に集中した。

事情を知らない筈の愛花でさえ、まるで事の顛末を承知しているかのように、迷いなく目を向けている。


「え、えっと、皆さん、私に何かご用でしょうか…」


「いいえ、特に用はないわよ? ただ、ちょっと、官女の行方が気になっただけでね。」

「あたしは、あやねえの部屋で、お着物の人形を見たことがあるなーって、思っただけだよー?」

「俺は、子供の頃に、誰かさんに頼まれて、お垂髪おすべらかしの人形を接着剤で修理した覚えがあっただけだよ。」

「私は、こういう時は、彩菜さんが関わっているに違いないと、勘が働いただけですよ?」


「うう、申し訳ございません…」


 ここまで来ればお分かりだと思うが、念の為説明すると、かつて三段飾りの中段に居た三人官女は、彩菜が子供の頃に2度と飾ることが出来ないほどに破壊してしまったため、引退を余儀なくされたのだ。

 一応、彩菜の名誉のために言葉を添えておくと、あの時、彼女は雛人形を自らの手で片付けようとしていた。

しかし、類まれな片付け下手である彩菜が手を出せば、何が起きるのかは火を見るよりも明らかだった。

内裏雛は結菜によって無事保護されたものの、三人官女は俺の懸命な救命措置も虚しく帰らぬ人(?)となってしまった。

そしてそれ以来、彩菜は雛飾りに手を触れることを禁止されたのだった。


 このネタの冒頭で美菜さんが姉妹両方に声をかけているが、実は、あれは主に涼菜へ向けてのものだったのだ。


「まあ、もう何年も前のことだから、今更どうこう言うつもりはないけどね。ただ、あなたの産む子が女の子だったら、雛人形一つ飾ってあげられないことになるのよね。」

「美菜さん、それは俺がやりますから、大丈夫ですよ。」

「しょうがない、あたしも手伝うよ。」

「そうですね、皆で手分けしてやりましょう。」

「うう…、みんな、ありがとう…」

「はあ〜、まったく、みんな甘いんだから、困ったもんだわ。」


 などと、溜息を吐く美菜さんだが、言葉とは裏腹に、その表情は優しさに溢れていた。

多分、彼女は俺たちが手を出すまでもなく、孫娘のために率先して雛人形を飾るに違いない。

はたして最も甘いのは誰なのか、それが分かるのはまだまだ先の話だろう。


 このあとも別の話題で盛り上がり、まもなく俺たちは我が家へ戻ることにした。

皆が腰を上げかけたところで、美菜さんから少々重めの紙袋を手渡された。


「はい、これ、持って行って、いつもの差し入れよ。」

「ありがとうございます…、って、これ、いつもより、多くないですか?」


 美菜さんからの差し入れと言えば、当然、夜の営みに欠かせないゴム製品なのだが、紙袋に詰め込まれている量が、普段と比べて明らかに多い。

来週末に涼菜が中学校を卒業し、3週間後には俺と彩菜、愛花が春休みに入るとしても、特段、致す回数が増えることはないと思うのだが…。


「だって、もうすぐ、アデラインさんがうちで暮らし始めるんだから、一人分増やさなきゃいけないじゃない。」

「いや、美菜さん、それ違いますから、そんな予定ありませんよ。」

「またまたー、そんなこと言って、どうせ直ぐに必要になるわよ。」


 一月ほど前に自らが発起人になり、アデラインを俺の『義理の妹』に認定したばかりだというのに、今度は夜のお相手扱いしてしまうとは、美菜さんの発想のぶっ飛び方は相変わらずだ。

ただ、こちらが何を言っても無駄なのは分かっているし、直ぐに腐るものでもないので取り敢えずは有難くいただいて帰ろうとしたところで、今度は彩菜が予想外のことを言い出した。


「それだと足りないかも知れないから、もう少しあった方が良いかもね。」

「あら、アデラインさんって、そんなにイケる口なのね。」

「ちょっと待った、あや、お前まで何を…」

「違うわよ、あと二人、ひょっとしたらと思う子が1年生にいるの。」

「彩菜さん、それを言ったら、2年生にも一人いますよね。」

「ああ、そうか、じゃあ、三人かな。」

「流石に、そこまでは手持ちがないわね。明日、買ってくるから、追加分はあとで渡すわ。」

「ゆうくん一人に、女の子が七人かあ、順番待ちが大変そー」

「そうですね、私たちが週1で、悠樹は毎日って感じでしょうか。」

「あらあら、お盛んで羨ましいわ♪ わたしも混ぜてもらおうかしら。」


「俺、もう、帰って良いですよね…」


 新たな話題でキャイキャイ騒ぎ出した女性陣を尻目に、俺は一人静かに席を立つ。

こちらへ来る前に取り組んでいた試験対策など目ではないほど、心が疲れ切ってしまった。

今夜は少し長めに湯に浸かって、リフレッシュした方が良さそうだ。


 出来ればこのまま眠ってしまいたいところだが、それでは愛する恋人たちを悲しませてしまう。

兎に角、まずは風呂の準備をしてから、いただいた差し入れをベッドの傍らにセットしておくことにしよう。


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