第188話 Makeup

 俺たちはあらためて、学園に向かって歩き出す。

はたからは仲の良い三人が、いつもと同じように他愛ない会話に興じながら、登校しているようにしか見えないだろう。

けれど、俺たちの胸の内側は、いつにも増して、澄んだ青空のように晴れやかになっていた。


「じゃあ、放課後にね。」


 彩菜と分かれて、教室へと歩を進める。

登校に少し時間をかけてしまったと思っていたが、教室に着いた時刻は普段と然程変わらなかった。

三人とも歩くペースを無意識に早めていたのかも知れない。

これも毎日の登校で身についた習慣の賜物というものだろうか。


「おはよう。」「おはようございます。」


 挨拶をしながらまだ人が少ない教室に入ると、クラスメートの反応がやけに薄い。

どうやら皆、別のことに気を取られているようで、教室内のとある1点に視線を向けていた。


「悠樹、あれって…」

「うん、そうだね。」


 出入口に近い愛花の席に彼女が鞄を置いてから、二人で俺の席に近づき、クラスメイトの注目を集めている女子生徒に声をかけた。


「おはよう、まりちゃん、由香里さん。」

「おはようございます、鷹宮さん、南雲さん。」

「おっはよ、二人とも、今日も仲良しだねー」

「悠樹くん、神崎さん、おはよう。ねぇねぇ、凄いよね、まりちゃん大変身!」


 皆の眼差しの先にいたのは、まりちゃんだった。

今日の彼女は、普段の少し派手さのある濃い目のメイクをしていなかった。

いつものメイクも、まりちゃんの明るく快活なイメージを上手に映していて、とても似合っていると思う。

けれど、今、目の前にいる彼女が施しているナチュラルメイクも、まりちゃん本来の綺麗な顔立ちをしっかりと際立たせて、更に魅力的に仕上げていた。

なるほど、普段のまりちゃんとのギャップもさることながら、見慣れない美少女が突如降臨すれば、皆の視線が集まるのも当然のことだろう。


「うん、やっぱり、綺麗だね。素顔も良かったけど、この方が、まりちゃんのクッキリした目鼻立ちが際立つよ。いつもより、時間がかかったんじゃない?」

「そうなんよー、こういうのって、あんましたことないから、30分くらいかかっちゃった。」

「鷹宮さんは、メイク上手ですから、直ぐに慣れるんじゃないですか?」

「そう言えば、神崎ちゃんもナチュラルだよね、なんかコツとかある?」

「私は、スキンケアを念入りにするくらいですけど、彩菜さんなら、もっと詳しいと思いますよ?」

「そっか、姫君に聞いてみようかな、ちょっと行ってくるねー」


 言うや否や、まりちゃんは教室を飛び出して行った。

思い立ったら直ぐに行動に移せるのは、彼女の良いところだと思う。

ただ、話の途中で放っておかれる俺たちのことを、もう少し考えてくれると有難いのだが…。




 時間は流れて同じ日の放課後、俺と彩菜、愛花は、家路についていた。

学年末試験を控えているので、今日は帰宅して直ぐに、試験対策に勤しむ予定になっている。


 …筈だったのだが、今朝になってスケジュールが変更されていた。


「コツって言っても、やってることは、みんなと変わらないと思うよ?」

「それでもさー、姫君のが、一番上手いと思うんだよねー、やっぱ、綺麗じゃん。」

「そーお? そう言われると、悪い気はしないよね。でも、試験前だから、ちょっとだけだよ?」

「ありがとうございます! そのちょっとが重要だったりするんだよねー」


 まりちゃんは今朝、彩菜の教室に押しかけて、メイクの仕方を教えてもらう約束を取り付けていた。

彩菜は初めこそ流石に試験前だからと留保を求めたようなのだが、『そこを何とかコツだけでも!』と拝み倒され、結局引き受けることにしてしまったのだ。


「それじゃあ、メイクは、ちゃちゃっと終わらせて、まりちゃんも、俺たちと一緒に試験対策だね。」

「いやいや、そう言うわけにはいかないなー、やっぱ、復習って大事じゃん? あとほら、鉄は熱いうちに打てって言うし、何回も練習しないと、身につかないからねー」


 まりちゃんは実にもっともらしいことを言うけれど、そのような戯言をかの鬼教師が許す筈はなかった。


「確か、鷹宮さんは、今回は古文だけじゃなくて、英語もヤバかったんじゃないですか? 今日がダメなら、明日みっちりやりましょうか。」

「あ、あれー? そう言えば、アタシ、用事があったのすっかり忘れてたわー、姫君すみません、メイク指導は、また後日ってことで…」


 まりちゃんは形勢が不利と見るや、引きつった笑みを浮かべながら掌を返すように断りを入れて、この場から逃げ出そうとするが、鬼教師にかかればそうは問屋が卸さない。


「た・か・み・や・さん? どこに行くんですか? さ、うちに行きますよ。」

「うわっ、神崎ちゃん?! 手ぇ離して! って何その馬鹿力?! わっ、ちょっと、やめてー!」

「取り敢えず、この前、判らないと言っていたところを叩き込んで、ひたすら復習ですね。『鉄は熱いうちに打て』でしたよね? 鷹宮さん?」

「ひーっ?! お願いだから、お手柔らかにしてくださいー!」


 結局このあと、まりちゃんはメイク指導を受ける間もなく、愛花の懇切丁寧なご指導を賜ることになった。

そのおかげで、学年末試験を乗り切ることが出来たのだから、結果オーライとすべきだろう。


 もちろん、試験明けにはあらためて彩菜からメイク指導を受け、しっかりと自分のものにしていた。

この時のまりちゃんの目の輝きたるや、鬼教師に睨まれながら必死にシャーペンを走らせていた時とは比べものにならなかったのは、言うまでもなかろう。


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