第186話 頑張る理由

 月曜日の放課後、私は司書当番の悠樹と彩菜さんを学園に残して、帰宅の途についていた。

涼菜さんの勉強に付き合うためだ。


 学園の入学試験に見事首席で合格して、これで一息つくのだろうと思っていたら、涼菜さんは週明け直ぐに勉強を再開した。

流石に受験対策ほどではないにしても、毎日机に向かいコツコツと学習を進めている。

私も毎日机に向かって積み重ねていくタイプだけど、彼女の飽くなき姿勢には頭の下がる思いだ。

来週は学年末試験を控えているし、私も彼女に負けないように、集中して学習に臨むことにしようと思う。


「ただいま、涼菜さん、もう始めてるんですね。」

「あ、愛花さん、おかえりなさい、今始めたばっかりです。」


 帰宅してダイニングを覗くと、既に帰ってきていた涼菜さんが、ダイニングテーブルに参考書とノートを広げていた。

私は自室に入って着替えてから、学習道具を携えてダイニングに向かった。




 二人で黙々と自習を進めていた。

涼菜さんから時折、質問をもらうけど、応用での本当に難しい部分や誰でも一度は躓く箇所に限られている。

つまり彼女は基礎はもちろんのこと、応用においても、高1の学習範囲のほとんどを自習のみで理解していると言うことだ。

 昨年5月に悠樹の学習方法を聞いてとても驚き、そんな人に敵うわけがないと思ったし、同じことが出来る人はほかにいないだろうと思っていた。

けれど、目の前にいる涼菜さんは、まさに悠樹と同じ学習方法で、入試を首席で合格しているのだ。


 以前、彩菜さんが、涼菜さんの学習に対する姿勢の原点は、悠樹への想いなのだと教えてくれた。

彼の隣にいても恥ずかしくない、彼に相応しい人になりたいのだと。

そしてもう一つ、彼女には頑張る理由があるのだとも。

彩菜さんからは教えてもらえなかったその理由を、私はまだ、涼菜さんから聞けていない。


 はたして、彼女が首席合格を果たした今なら、私が家族として認められて同じ家で暮らし始めたこのタイミングでなら、教えてもらうことが出来るのではないだろうか。




「涼菜さん、今、お話ししても良いですか?」

「はい、大丈夫です、…何かありましたか?」


 私が背筋を伸ばして声をかけると、涼菜さんはその様子から大事な話だと気づいたのだろう、居住いを正して私に問い返した。

私が初めてこの家にお泊まりした時に彩菜さんからもらった宿題のことを告げると、彼女は困ったように微笑み、やがて静かに話し始めた。


「愛花さん、ゆうくんとあやねえを見て、どう思います?」

「え? あの…、とても仲睦まじくて、お似合いのカップルだと思いますけど…」

「あたしもそう思います、あの二人なら、良い夫婦になるだろうなって、ううん、今だって、とっても仲良しの夫婦だなって、そう思う時があるんです。」

「そうですね、悠樹と彩菜さんには、何か特別な絆を感じますから、きっと素敵な夫婦になるでしょうね。」

「だから、あたしは、二人の邪魔しちゃいけないなって思ったんです。二人と一緒にいちゃいけないって。」

「涼菜さん、そんなこと…」

「でも、二人が言ってくれたんです、あたしも一緒に居て良いって、あたしたちは三人で一つだからって、あ、今は愛花さんも居るから、四人で一つですけどね。」

「四人で一つの、"家族"、ですよね。」

「愛花さん、あたしののことって、知ってますよね。」

「…はい、彩菜さんに、教えてもらいました。」

「あたしは、今までたくさん二人に迷惑をかけて来たんです。多分これからも、迷惑や心配をかけちゃうんです。それなのに、あたしも居て良いって、こんなに幸せなことって、ありませんよね。」

「それが、家族の絆なんじゃないでしょうか。」

「あたし、二人に並んでいたいって思ったんです。家族なら尚更、ただ大切にされたり、可愛がられるだけじゃなくて、今、あたしが出来る精一杯のことをしたいって。そうじゃないと、あたし自身が納得出来ないんです。」

「涼菜さん…」


「あたしは、いつかきっと、壊れてしまいます。」


「え…」

「だから、余計に今、頑張りたい…、頑張って生きていたい…」

「涼菜さん、あなた…」

「愛花さんにお願いがあるんです。これからも、あたしに、勉強を教えてください。」


 その言葉を聞いた私は徐に立ち上がり、座ったままの涼菜さんを後ろから抱きしめる。


「…そんなこと、頼まないでください。」

「あ…」


彼女はほん一瞬ピクリと身じろぎしたものの、黙って抱きしめさせてくれていた。


「頼まれなくても、いつだって、いつまでだって、サポートします。」

「愛花さん…」

「私たちは、これからもずっと一緒です。みんなで歳を取って、お婆さんやお爺さんになっても、仲良く暮らして行くんです。だから、誰か一人でも欠けるなんて、私は許しません。」

「う…、くっ…」

「だって、私たちは家族ですからね、ほかの何処にもない、四人で一つの家族ですから。」

「はい…、はい…、ありがとぅ…」


 涼菜さんは涙声で礼を言ったあと、俯いて何も言わなくなった。

私からその表情は見えないけど、彼女を抱きしめている腕は、温かな滴が落ちて来ているのを感じていた。


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