第185話 あの日のこと

 放課後になって、俺と彩菜は自習室として開放されている図書室の管理のために居残っていた。

今日を含めて今の学年での司書当番はあと3回、つまり彩菜との当番もあと3回で終わりを迎えるのだ。


「と言っても、ここには来るけどね。」

「だよねー、ゆーちゃんが居るのに、姫君が居ないわけないわー」


 司書当番をするのは1・2年生の図書委員なので、4月に3年生になる彩菜は、新学期からはお役御免となる。

けれど、俺の当番日となれば当然の如く彼女も居残るわけで、更にはあと三人…


「てことは、妹さんと神崎さん、あと、あの叔母さんも一緒ってこと?」

「まだ分からないけど、多分そうなるんじゃないかな。」


 つまり、我が家の家族である彩菜、涼菜、愛花の三人とアデラインが、毎週月曜日は俺と共に、ここに集うことになるわけだ。


「で、そうなると当然、由香里も舌舐めずりしながら、ここでゆーちゃんを押し倒すチャンスを虎視眈々と狙うってことだね。」

「ちょっと、まりちゃん、わたしって何者なわけ? ハイエナ? ハゲタカ?」

「折角、"虎"って言ってるのに、そんなに自分を貶めたいわけ? ひょっとしてドM?」

「ひどっ! まりちゃん、わたしたち親友だよね?!」


 本当に機会を窺うのなら皆がいない時を狙うべきではないかと思うが、ここで口を挟むと話を広げてしまうだけなので傍観しようと思っていた。

けれど、まりちゃんはそうさせてはくれないようだ。


 彼女はぴとっと俺に寄り添うと、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、由香里さんに向けて爆弾を投げ込んだ。


「由香里には黙ってたけど、アタシ、こないだ、ゆーちゃんと寝たんだよねー。だから、実はこっち側の人なわけ、You understand ?」

「へ? なに? まりちゃん、何言ってるの?! 一体どういうこと?!」

「由香里さん、図書室では静かに、まりちゃんも、いい加減なこと言わないでよ。」

「もう、ゆーちゃん、いっつもアタシが嘘つきみたいに言うよねー、ホントのことじゃん。」

「いや、確かにそうかもだけど…」

「うわぁ、やっぱりホントなんだぁ、もう何もかもお仕舞いだぁ。」


 まりちゃんは、絶望の淵に追いやられたように頭を抱える由香里さんを、ニマニマしながら眺めていた。

 まりちゃんが由香里さんや俺を揶揄うのはいつものことだが、良くこれで友人関係が壊れないものだと、我ながら感心してしまう。

その辺りの絶妙な匙加減が、まりちゃんの弄りの真骨頂と言えるだろう。


 などと、現実逃避をするように感慨に耽っていると、俺の右隣に居る彩菜が肩を震わせながら俯いていた。

彼女はまりちゃんの告白にワナワナと怒り心頭に…、ではなくて、必死に笑いを堪えている。

やがて、耐えきれなくなった彩菜は、声を上げて笑い出してしまった。


「あははは、もう、鷹宮さん、勘弁してあげなよぉ、見てるこっちは楽しめるけど、南雲さんが可哀想だよぉ。」


 笑いすぎて溜まった目尻の涙を拭いながら助け舟を出す彩菜に苦笑いを浮かべながら、まりちゃんは由香里さんに事実を告げた。




 8日前、まりちゃんと二人で再び前武神社を訪れて巨大なクスノキと対面した時、なぜか急激な眠気に襲われて木の幹を背もたれにして居眠りをしてしまった。

それから暫くしてふと目覚めると、まりちゃんが俺の肩にもたれて、気持ちよさそうに寝息を立てていた。

掌に熱を感じて手元を見ると、彼女の掌と指を絡めて繋ぎ合っている。

2月半ばの、まだ冷たい空気の中であまり寒さを感じずに眠っていられたのは、彼女の温もりのおかげだろうか。


 まもなく陽も傾いてくるので流石にこのままでは二人とも体が冷え切ってしまうと思い、まりちゃんを起こそうと顔を覗き込むと、彼女の少し薄めの唇から吐息のような囁きが漏れた。


「ゆーちゃん…」


 何か幸せな夢でも見ているのだろうか、まりちゃんは口元に薄らと笑みを浮かべている。

そんな表情をされてしまうと、今すぐ起こすのが忍びなくなってきた。

俺は暫し、彼女の穏やかな寝顔を眺めて過ごした。




「それでね、うちに帰ってきたら、二人とも寒そうにして、ブルブル震えてるの。呆れちゃって、ものも言えなかったわ。」


 結局、日が傾く頃に、まりちゃんが目を覚ますまで、そのままクスノキの根元で過ごしていた。

おかげで二人とも、すっかり体が冷えてしまい、帰宅後直ぐに風呂に浸かることになってしまった。

ただ、流石に一緒に入るわけにはいかないので、先にまりちゃんに入ってもらい、あとから俺が体を温めた。

幸いにも、俺も、まりちゃんも、風邪を引くことはなかったが、もう2度と寒空の下で居眠りはすまいと心に誓ったのは、言うまでもない。


「もう、まりちゃんったら、思わせぶりなこと言ってぇ、二人で居眠りしちゃっただけじゃない!」

「そんなに怒んないでよー、大体さー、アタシがハーレム入り出来るわけないじゃん、顔も頭もボーダーに届かないんだから。」

「でも、鷹宮さん、すっぴん、綺麗だったじゃない、ね? ゆう。」


 風呂に入れば当然メイクを落としてしまうわけで、まりちゃんは俺たちに見られるのを少しばかり恥ずかしがっていたけれど、彩菜の言うとおり、とても綺麗な肌と顔立ちだと思った。

なぜそれをメイクで隠してしまうのか、不思議に感じたほどだ。


「うん、綺麗だと思ったよ、俺が彼氏だったら、そのままでいてほしいかな。」

「うーん、素に近い感じって、無防備に自分を晒してる気がして、好きじゃないんだよねー」

「まりちゃん、中学の時もメイクしてたもんねぇ、わたしも、すっぴん見たことないもん。」

「学校には散々言われたけどねー。まあ、でも、ゆーちゃんが、そのままでって言うなら、ちょっと変えてみようかなー」

「え、俺が言ったからなの?」

「うん、だって、綺麗って言われたの嬉しかったし、ゆーちゃん好みになるのも良いかなって。」


 決して俺好みだと言ったつもりはないのだが、綺麗だと思ったのは確かだし、自分をどのように見せようとするかは本人次第だ。

きっと明日には、今までとは少し違ったまりちゃんが見られるに違いない。

俺はそんな彼女の変化を心待ちにしている自分に気づいて、苦笑いを浮かべた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る