第180話 面影

 清澄家にお邪魔して、客間に通してもらう。

小さなお仏壇に飾られた卓上型の写真立てには、こちらに視線を向けて静かに微笑む、うら若き女性の写真が収められていた。


 可愛らしい女性ひとだった。

穏やかで温かみのあるとても優しそうな笑みが、あの時、神社でゆーちゃんと遊んでいた女の子と重なる。

アタシはお線香を上げさせてもらってから、遺影に手を合わせ、彼女のご冥福を祈った。


 ゆーちゃんがリビングに案内してくれて、ソファーに腰を落ち着ける。

結菜さんの母親・美菜さんが、温かいお茶を出してくれた。


「鷹宮さん…、だったわよね。今日はお線香を上げてくださって、ありがとうございます。最近は、来てくれる人もほとんどいなくなったから、あの子もきっと喜んでるわ。」

「いえ、知り合いでもないのに、突然すみませんでした。でも、どうしても、結菜さんに会いたくて…」

「たとえどんなご縁でも、そう思ってくれる人がいるって、嬉しいものよ? だから、遠慮なんかいらないわ。」

「まりちゃん、俺からもお礼を言わせてよ、来てくれて、本当にありがとう。」

「ゆーちゃん…」


 アタシがこの家を訪ねたいと思ったのは、ここに来れば『ゆいねえ』に会えるのではないかと思ったからだ。

もう亡くなっていると聞かされたにも関わらず、何故かそう思えてならなかった。

あの笑顔がまた見られると、そう思えて…。


「結菜さんの写真、あの時とおんなじだね、凄く優しそうに笑ってた。」

「うん、そうだね、俺はあの人の笑顔が、大好きだったよ。」

「大好き…か、結菜さんも、あの時、そう言ってたよね。『大好きな、ゆうちゃん』って。」

「そうだったかな、『離さないで』って言われたのは、覚えてるけど。」

「うん、さっきも、はっきりと…」


 そこまで言って、アタシはにわかに違和感を覚えた。


 


 先日、母親と話をして神社での出来事を思い出した時は、まるで掴みどころのない朧気おぼろげな記憶だった筈なのに、先ほどは何故あれほどまでに鮮明に思い出せたのだろう。


「まりちゃん?」


 戯れる二人の屈託のない笑顔、瞳に映るお互いの陰影、楽しげに舞い踊る髪先、そして、結菜さんがゆーちゃんに向ける想いの込められた眼差し。

揺れ動く木漏れ日の小さな日差しの一つ一つさえ分かる、まるで今その場で見ているような、手を伸ばせば届くのではないかと思えるような、それほどまでに、まさにはっきりとした光景が目の前に広がっていたのだ。


「どうかした?」


 そして、ゆーちゃんの記憶に残っていなかった、結菜さんの言葉。

あれは、本当に10歳の女の子の声だったろうか、今思うと、まるで大人の女性の声のようではなかったか?


 あの情景は、本当にアタシが覚えていたものだったのか?


「まりちゃん?!」

「あ…、ゆーちゃん?」


 突然体が揺さぶられたと思ったら、ゆーちゃんが大きな声でアタシの名前を呼びながら、両肩を掴んでゆさゆさと揺すっていた。

アタシは考え事に没頭するあまり、周囲のことが見えなくなっていたようだ。


「良かった、乱暴に揺すってごめん、大丈夫?」

「う、うん、大丈夫。こっちこそ、ごめん、なんか、ぼーっとしちゃってた。」

「鷹宮さん、顔色が良くないわ、気分が悪いなら客間にお布団を敷くから、少し横になっていたら?」


 客間、今は仏間代わりに使われている、結菜さんが居る部屋…。


「あの、すみません、少しだけ、横にならせてください。」


 自分の言ったことに驚いた。

普段のアタシからは考えられない言葉が、口をついていた。




 クスノキを見上げていた、これは神社の裏手にあったあの巨木だ。

ざわざわと揺れ動く枝葉の間から木漏れ日が降り注ぐけど、不思議と眩しさを感じない。

アタシは漠然と、ここが現実うつつじゃないことを理解していた。


『まりちゃん、お線香を上げてくれてありがとう』


 視線を下ろすと、クスノキの根元に女性が一人、座っていた。

彼女は優しげに目を細めながら、アタシを手招きで呼び寄せる。


『ここに来て座らない? 立ったままじゃ疲れちゃうよ』


 ここは夢の中なのだから、そんなことはないだろうと内心苦笑しながらも、言われるままに結菜さんの隣に腰を下ろした。


『会うのは初めてだよね、わたしは、ゆうちゃんから、まりちゃんのことを聞いてたから、名前は知ってたんだけど』


 結菜さんの言うとおりなら、アタシが朧気ながらも覚えていた情景は、一緒に遊んだのではなく、たまたまその場に居合わせただけだったと言うことだろうか。


『って言うか、実は焼きもち焼いたりしてたんだけどね、わたしも子供だったなぁ』

「焼きもち、ですか? アタシに?」

『そ、だってね、ゆうちゃんったら、幼稚園から帰ってくると、まりちゃんと遊んだ話ばっかりするんだよ? あやとすずよりも、たくさん遊んだんじゃないかな』

「え、いや、アタシはゆーちゃんしか友達いなかったから、そうかも知れないけど、ゆーちゃんは…」

『ゆうちゃんって、幼稚園に入った頃は、引っ込み思案だったから』

「え…」


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