第179話 幼き日

「最近さー、思い出したことがあるんだよねー」

「そうなんだ、どんなこと?」


 アタシは今日、ゆーちゃんと二人っきりで、前武町を散策していた。

明日が誕生日のアタシは、先月誕生日があった由香里の真似をして、ゆーちゃんに誕プレ代わりのデートを申し込んだのだ。


 デートをすると言っても、由香里と違ってアタシはゆーちゃんに恋愛感情を抱いていない。

初恋の人ではあるけど、それはお互い幼稚園に通っていた時のことだ。


 今日、ゆーちゃんとここを歩いているのは、たまたま母親と小さな頃の話をしていた時に思い出した懐かしい場所に、彼と一緒に訪れてみたくなったからだった。


「アタシさー、ゆーちゃんと遊んだのって、幼稚園でだけじゃなかったんだよー、覚えてる?」

「え、そうだった? ごめん、どこでだろう。」


 記憶力の良い彼でも、流石に覚えていないようだ。

斯く言うアタシも、実はそれほどはっきり覚えているわけじゃない。

何となくだけど、同い年の男の子ともう一人誰かと、これから行くところで遊んだ気がするだけなのだ。


「もうすぐ着くよ、あと5分くらいかなー」

「あれ、この先ってことは、前武神社?」

「そうそう、さっすが地元民、直ぐに分かっちゃうねー」

「正月に初詣に行ったしね、今年に入って2度目ってことだよ。」

「そうなんだ、じゃあさー、アタシと一緒に初詣しようよ、今年まだなんだよねー」

「まりちゃん、俺、今、初詣に行ったって言ったよね。」

「まーまー、お願い事は何度したって、神様は聞いてくれるよ、さ、行こ行こ。」


 ぶつぶつ言っているゆーちゃんの手を引いて、神社へと足を向ける。

なんだかんだ言いながらも、ゆーちゃんは優しいからアタシの頼みを聞いてくれるし、こうして不意に手を繋いでも振り払ったりしない。

 学園で何かの拍子に男子と手が触れると、相手の方がパッと手を引っ込めて顔を赤らめることがあるけど、ゆーちゃんの場合は女の子と手が重なったとしてもまるで動じることなく、『手が触れちゃって、ごめんね?』だとか『きみの手は温かいね』などと、薄く笑みを浮かべながらさらりと言ってのける。

しかも、こんなセリフが意識することなく自然に出てしまうというのだから、まったく、天然のたらしというのは恐ろしい。


 ただ、逆に言うと、そんな天然たらしの手を普通に握ることができたり、普段から揶揄って楽しんでいるアタシは、一体何者なんだということかも知れないけど。


「ひゃー、ふっるい神社だねー、こんな所だったんだー」

「小さい頃のことなんだから、覚えてないのも無理ないよ。寧ろ、良く遊んだのがここだって分かったね。」

「母親に聞いたら、神社はここしかないって言ってたんだよ。」


 神社の境内に足を踏み入れたけど、見覚えのある景色はない。

本当にここだったんだろうかと、自分の記憶を疑いたくなってきた。


「まりちゃん、この先、奥に行けるけど、行ってみる?」


 社務所をぐるりと回って林を抜けると、ちょっとした広場になっていた。

その中心にあったのは…


「うわー、でっかい木、幹太いねー」

「クスノキじゃないかな、こんなに大きくなるんだね。」


 アタシは樹木に詳しくないけど、これは巨木と言っても良いくらいだと思う。

この神社のご神木なのだろうかと思ったけど、しめ縄が巻かれているわけでもないのでそうではないのだろう。


 見上げると、大きく広がった枝々を覆うたくさんの葉が、ざわざわと微かな音を立てながら蠢いている。

ぼうっと突っ立ったまま枝葉の騒めきに耳を傾けているうちに、ふと脳裏に何かが映し出された。

それはあの日、アタシが見た、とても美しい光景…



『ゆうちゃん、ほら、こっちだよ』

『ゆいねえ、捕まえちゃうぞ』

『あはは、ほら、あともうちょっと』

『待てぇ、待て待てぇ』

『わあ、捕まったぁ』

『よーし、ゆいねえ、もう離さないからね』

『うん、絶対離さないで、ゆうちゃん、絶対だよ』


  いつまでも、一緒にいてね

  大好きな、ゆうちゃん



 それは、木漏れ日の下で姉弟のような二人が見せてくれた、優しく温かい、けれどなぜか胸が締め付けられそうなほど切ない、儚くも尊い戯れだった。

気がつけば、アタシの頬には涙が伝っていた。




 ゆーちゃんと二人で、境内の隅に置いてある古いベンチに座っていた。

クスノキを仰ぎながら泣いていたアタシを心配したゆーちゃんが、ここまで連れてきてくれたのだ。

アタシは一頻り涙を流して、ようやく気持ちが落ち着いたところで、泣いた理由を彼に話した。


「そっか、確かにそんなことがあったよ、ちょうど、今ぐらいの季節じゃなかったかな。」

「うん、まだ、春になってなかったし、アタシが引っ越す少し前のような気がする。」


 その年の3月にアタシはこの街を離れて、ゆーちゃんに再会するまで足を向けることはなかった。

はたして、あの頃を思い起こさせるただ一つの記憶かも知れないあの情景が、ノスタルジックな感傷となって涙を流させたのだろうか。


 そう言えば、あの女の子は誰なんだろう。

ゆーちゃんは、あの子のことを『ゆいねえ』と呼んでいた。

『ゆいねえ』、その呼び方は、もしかしたら…


「ねえ、ゆーちゃん、『ゆいねえ』って…」

「うん、あの人は、清澄の長女だよ、清澄…、いや、御善結菜って言うんだ。」

「え…、それって、どういう…」

「俺の兄貴と結婚したんだよ、でも、その直ぐあとに、二人とも事故で亡くなったんだけどね。」


 アタシの中に衝撃が走った。

それは、彼女が亡くなっていた事実を突きつけられたからじゃない。

彼女が、ゆーちゃん以外の男性と結婚したことが、とても信じられなかったのだ。

だって…、だって、だって!

あの時のあの人の瞳は、表情は、間違いなく、ゆーちゃんが好きだと語っていた。

大好きだと、言葉にもしていた。

たとえ子供の頃の幼い感情だったとしても、あんなに純粋でキラキラと輝く想いが消えてしまうとは思えない。

なのに、なぜ…。


アタシは俯いて、唇を噛み締めながら、再び涙を流していた。


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