第178話 動機純粋

「んあ…、ゆう…、ゆう…、はあ…」

「あや…」

「あふ…、お願い…、私…、もう…」

「ほら、一緒に行こう…」

「ああ、ゆう…、は…、だめ…」

「もう少しだから…」

「あ…、いや…、は…、ぁぁ…」


 ドサッ…


 彩菜が力尽きて倒れかかった。

すんでのところで抱き留めたものの、腕の中で荒く息を弾ませている。


「無理させたかな、ごめんな?」

「はあ、はあ、違う…、はあ、私が…」

「喋らなくて良いよ、まずは息を整えようか。」

「うん…、はぁ…、ごめん…」


「ゆうくん、あやねえ大丈夫?」

「ああ、もうすぐ落ち着くと思うから、少し休憩しよう。」


 心配した涼菜が寄ってきて、彩菜の様子を窺う。

涼菜の方は姉とは対照的に、何事もなかったかのようにケロッとしている。

普段から体力差があるのは分かっていたが、こうして同じ運動量を課してみるとその差が明確になる。

姉妹と言えどもまるで違う女性なのだと、あらためて感じられる場面だ。




 今日はバレンタインデー、世間ラブコメではチョコレートを巡って様々なドラマが生まれる日なわけだが、実のところ、俺と清澄姉妹にはあまり縁のないイベントだったりする。

 学生であれば、チョコレートの受け渡しは主に学校で行われると思うけれど、俺と彩菜が通う稜麗学園も、涼菜が通う前武中学校も、2月14日は創立記念日に当たるため、毎年校内でそれらしき光景を目にすることはほとんどないのだ。

 そして俺と清澄姉妹はと言えば、俺がチョコレートを使ったケーキや菓子を振る舞うのが恒例になっているくらいで、逆に彼女たちからもらうことはなかったりする。

女性からの意思表示が本来の目的だというのであれば、二人から敢えてもらう必要などないということだ。

ちなみに、ホワイトデーを意識することもないのは、言うまでもないだろう。




 話を戻すが、そんなわけで俺たち三人は、今日は休校日となっている。

いつもの休日であれば、平日には出来ない用事を済ますとか、ただのんびり過ごすことが多いのだが、今日は三人揃って近所をジョギングしながら巡っていた。


「ありがとう、ゆう、もう大丈夫。」

「なら良かった、ほら、スポーツドリンク。」

「うん。」


 直ぐ近くにあった小さな児童公園のベンチで暫し休憩しているうちに、彩菜は呼吸も整い飲み物を口に出来るほどになっていた。


「ぷはっ、ふ〜、生き返ったぁ、ってあれ、もうない、ゆう、お代わり。」

「あや…、500ml 一気飲み出来る程度には、回復してるってことだな。」

「ねー、まだ足りないー、もっと飲みたいよー」

「お前…、字面だけ見ると、すずにそっくりだぞ…」

「え、何のこと?」

「こっちのこと。兎に角、どうする? ジョギング、まだ続けるか?」

「……歩く。」

「それが良いよ、さ、行くぞ。」


 先に立ち上がり、座っている彩菜に向かってスッと両手を差し出すと、彼女はムッとしたまま上目遣いで仕方なさそうに両手を差し出してきた。


 今日俺たちが三人揃ってジョギングをしているのは、ほかでもない彩菜の発案だった。

昨晩、急に何を思ったのか、もう少し持久力をつけたいから朝の日課にジョギングを加えたいと言い出したのだ。


 彩菜のように突如思い立ってジョギングを始めた人は経験があるだろうが、この場合、ほとんど長続きしない。

三日坊主で済めば良い方で、大体が初日の筋肉痛が抜けてから再開するなどと言いつつ、そのままフェードアウトしてしまう。

簡単に始められるもの=簡単にやめられるもの、の典型なわけだ。


 彩菜の性格上、初日が最終日になる可能性が高い(と言うか、ほぼ間違いない)のだが、言い出したら聞かないので、それではテストをしようと言うことになり、今に至っていた。


「なあ、あや、そろそろ教えてくれても良いんじゃないか? 何で急に持久力をつけたくなったんだ?」

「む〜、言いたくない。」


 歩き始めてからまもなく、彩菜が何を思って事に至ったのかを聞いてみたが、言葉どおり『む〜』っとした表情で黙秘を続けている。

仕方ないので、こちらの推測をいくつか並べて、彼女を自供に追い込むことにした。


「今、この時期に、だよな。3月の定期試験明けにマラソン大会があるけど…」


 チラリと彩菜を窺うが1ミリの反応もない、最も可能性が高そうなものからぶつけてみたのだが、これは違うようだ。


「そうでなければ、大学受験に備えてとか…」


 これもありそうなことだと思ったが、やはり反応はない。

そもそも志望大学が彩菜の実力から見れば取るに足らないと言えるのだから、除外というところか。


「あやに限ってダイエットはあり得ないだろうし…」


 当然、無反応だ。

ベッドの上で触れていても、そんな必要はつゆとも感じないのだから。

そうすると一体…。


「お誕生日が近いけど、関係なさそうだよねー」

「(ギクッ)」


 まさに無関係かと思われた涼菜の発言に、彩菜がピクリと反応した。

はたして誕生日と持久力に、どのような相関関係があると言うのか。


「あやねえ、まさかとは思うけど、こないだ言ってたことが理由なの?」

「うぐっ。」


 ここまで来たら、自供したも同然だ。

涼菜からの情報を要約して一言で言えば、彩菜は俺と丸一晩睦み合えるだけの体力がほしいと言うことらしい。

これと誕生日を照合して得られる動機は…


「つまり、誕生日の夜に、俺と一晩明かせるようになりたいと。」

「だって、すずも愛花ちゃんも、ゆうと明け方まで愛し合えて、羨ましかったんだもん。私は、体力ないから、いっつも早めに眠っちゃうし…」

「あや…」


 俺としては睦み合う時間の長短が、個々へ注ぐ愛情を左右するとは思っていない。

けれど、彩菜にそのような思いを抱かせたと言うのなら、これは俺の落ち度にほかならない。


 俺は立ち止まり俯いてしまった彩菜を抱き寄せて、正直な想いを綴った。 


「お前にそんなことを思わせるなんて、俺がいけないんだよな、ごめんな? あや。これからは、お前にもっと愛情を感じてもらえるように努力する。だから、お前は無理をしないでくれ。」

「ゆう…」


 愛情を表現できるのは、決して夜だけではない。

日常における何気ない振る舞いにも、気持ちを乗せることは出来るのだ。

それを怠っているつもりはないけれど、最愛の人にしっかりと想いが届けられるように、心して日々を送ることにしようと思った。


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