第175話 入学試験
2月の第2木曜日、今日は稜麗学園高校の入学試験が実施される。
校門の外には開門時刻の7時45分を待たずに、既に大勢の受験生が詰めかけていた。
「みんな、こんなに早く来てるんだな、俺は8時過ぎに家を出てたよ。」
「ふふ、私もそう、家が近くだと、のんびりしちゃうよね。」
昇降口に設けられた受付の準備を終えて、俺と愛花が一息つきながら1年前のことを思い出していると、隣の受付を担当する事務員さんが苦笑いを浮かべていた。
「受験生は、あなたたちのような、成績上位の子ばかりじゃないの。あの中の三人に二人は不合格になるんだから、みんな必死なのよ。」
「確かにそうですね、450人中の150人に入らなくちゃいけないんだから、大変ですよね。」
この学園は、推薦入試や書類選考による合否判定を行なっていない。
全ての合格者が今日の試験のみで決定されるのだから、皆、必死になるのは当然だ。
「今居るのは、遠方から来て、ホテルなんかに前泊してる子が多いかしらね。早く教室に入って、最後の追い込みをしたいのよ。」
「合格発表を待たずに、アパートを契約する受験生も居るんでしょうね。」
「そうね、寮があれば受験したいって意見がくることもあるしね。」
遠方からの入学であれば、部屋を借りたり仕送りをしたりと、親の負担も大きいだろう。
にも関わらず、県内各地から多くの受験生が集まるのだから、この学園の人気の高さが窺える。
「でも、何でわざわざ遠くから、
思わず漏れてしまった俺の本音に、事務員さんがすかさず食いついた。
学園職員としては、聞き捨てならない一言だろう。
「ちょっと、それ、首席さまが言う? あなた、まさか家が近いから受験したとか言わないわよね。」
「俺は、そうですけど…」
「うわー、学園長に聞かせられないわー、ねえ、ひょっとしたら、あなたもそうだったりするの?」
「私は、学習レベルの高さが半分ですね。」
「あとの半分は?」
「家が近いからです。」
「はあ〜、成績上位の子って、意外と近所に居るものなのね…」
そのような遣り取りをしているうちに、いよいよ開門時刻になった。
受付は俺たちのものを含めて3ヶ所に分かれていて、それぞれが、2〜4階の普通教室5クラス分、計150名の受験生を捌くことになる。
俺と愛花が担当するのは、受験番号1〜150番の150人分、試験会場は2階の5クラスだ。
初めのうちは、兎に角、忙しかった。
一人一人受験票を預かって、バーコードを読み取り、名簿に記載された内容と照合した上で、名乗ってもらい、顔写真を突合し、受験票を返却して、試験会場の教室を伝えてから、次の受験生を受け付ける。
この一連の作業を、脇目も振らずにひたすら繰り返していた。
そうこうしているうちに、突然、ふっと受付に並ぶ受験生がいなくなった。
どうやら、一山越えたようだ。
もう1時間あまりもあくせくしていたように感じるが、時刻を確認すると開門からまだ15分しか経っていない。
既に精も根も尽き果てるほどだと言うのに、まだ45分も受付時間があるのかと思った途端、俺と愛花は揃ってテーブルに突っ伏していた。
そんな情けない状況の俺たちの目の前に、コトリと温かい缶コーヒーが置かれた。
先ほどの事務員さんが、差し入れてくれたのだ。
「お疲れ様、取り敢えず一番大きな山は越えたから、息抜きしておいて。」
「いただきます。今の言い方だと、このあともまだ、山があるってことなんですね。」
「山と言うより、波かしらね。電車の到着に合わせて、こう、ザブンザブンとね。」
事務員さんは胸の高さで手を揺らして、押し寄せる波を表現している。
それが何だか微笑ましくて、思わずクスリと笑ってしまった。
慣れない作業に疲れを見せる俺たちを、少しでも元気づけようとしてくれたのだろう、その心遣いが有難い。
事務員さんが言ったとおり、程なくして次の波がやってきた。
作業自体は先ほどと何ら変わらないのだが、既に
何事も、まずは経験することが大切だということだ。
こうして
受験生が皆、校門で一旦足を止めて、元来た方向を振り返ってから受付にやって来るのだ。
受付担当の職員たちは何が起きているのか分からず、首を傾げながら作業にあたっているが、俺と愛花には思い当たることがあった。
校門付近がザワザワと小さく
二人は他の受験生の視線など然程も気にすることなく、真っ直ぐに受付へと歩みを進め、俺と愛花の目の前で揃って足を止めた。
「ゆうくん、受け付けお願いします。」
「ん、了解。調子はどうだ?」
「うん、いつもとおんなじ、ご飯もちゃんと食べたよ。」
「ならば良し、いつもどおりが一番だからな。アディーはどう? よく眠れた?」
「ええ、お兄さま、おかげさまで、ぐっすり眠れましたし、朝食もちょっとだけ、いただきました。」
「そっか、その様子だと、二人とも、上手くいきそうだな。」
受け付けを済ませて二人に受験票を返却すると、涼菜から一つお願い事をされた。
「ゆうくん、おまじないしてもらっても良い?」
「ん、良いよ。」
俺は椅子から立ち上がって涼菜に近づき、彼女をぎゅっと抱きしめた。
1学期の中間試験の際、涼菜のモチベーション維持のために、期間中の毎朝、抱きしめてから学校に送り出していた。
それはその後も続いていて、定期試験の度に、このおまじないをしているのだ。
「えへへ、ゆうくん、ありがとう♪」
「どういたしまして、じゃあ、しっかりな。」
「うん♪ アデラインさんお待たせ、行こっ♪」
涼菜が俺へのお願い事を終え、待たせていたアデラインに声をかけて試験会場へ行こうとするが、今度はアデラインがその場を動かずに、涼菜を待たせることになった。
「アディー?」
どうしたのだろうとアデラインに近づくと、彼女は顔を桜色に染め上げながら上目遣いでこちらを見て、唇をモニョモニョと動かしている。
アデラインが何を言いたいのか察した俺は、目を細めながら彼女をそっと抱きしめた。
「さ、行っておいで。」
「は、はい、お兄さま、失礼します。」
アデラインを解放すると、彼女はあせあせしながら一礼して、くすくす笑う涼菜の下に駆け寄る。
二人はこちらへ小さく手を振ってから、廊下の奥へと歩いていった。
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