第150話 親の心

 我が家に戻り、ソファーに体を沈めてから、彩菜と二人で結菜の話をした。

彩菜は結菜が亡くなる少し前に、彼女が妊娠していることに気づいたそうだ。


「気分悪そうな時が、何度かあったんだよね。」

「つわりか…」

「うん、ゆいねえ、凄く嬉しそうに、お腹に赤ちゃんがいるって言ってた。でも、誰にも言わないでくれって…」

「そうだったんだな…」

「あの時は、かずにいの子だと思ったんだよ。もう直ぐ一緒に暮らすって時だったし…」


 彩菜は顔を歪めて、まるで苦いものを吐き出すように言葉を紡いだ。


「でも、ゆうに、ゆいねえとのことを聞いた後に、違うんじゃないかって思った。だって、かずにいの子だったら、あんなに嬉しそうにする訳ないもの。ゆいねえ、かずにいのこと、好きじゃなかったし、婚約したのも、結婚することにしたのも、許婚だからしょうがないって…、あの人、ホントに馬鹿だ…」


 先日結菜は、初めての相手は和樹だったのだが、中学生になったばかりの彼女を強引に自分のものにした彼の行為を嫌悪して、その後はただの一度も受け入れたことがなかったと言っていた。

それでも入籍したのは、結局、許婚という呪縛から逃れられなかったということなのだろう。

そして、せめて本当に好きな相手の子を身籠りたいと、避妊をせずに俺と交わったのだ。


「馬鹿は俺だよ。あの時の俺は、自分のことしか考えてなかった。もっと、ゆいねえのことを分かってあげてたら、違う結果になってたかも知れないのにな。」


 あの時、結菜だけでなく俺自身も、許婚というものに囚われていた。

結菜は和樹の許婚だからと、初めから諦めていた。

にも関わらず、彼女と関係を持ち続け、あまつさえ無邪気に告白してしまっているのだから、まったく救いようのない大馬鹿野郎だ。


「ゆう、お願いがあるの…」

「うん…、なんだ?」

「もしも、次にゆいねえに会うことがあったら、子供たちに名前を付けてあげて? 家族なのに、名前がないのは可哀想…」

「あや…、そうだな…、そうするよ。ありがとう、あや。」


 彩菜の優しさが胸に沁みる。

俺たちは、どちらからともなく抱きしめ合って、唇を重ねた。

二人の頬には、涙が流れていた。




 夕方、俺と清澄姉妹は、清澄家の食卓に着いていた。

病院から我が家に戻ったのは良いのだが、外出が推奨されない状況ではスーパーに行くこともままならないので、今週いっぱいは、晩御飯を美菜さんのお世話になることにしたのだ。


「ねえ、あなたたち、これから毎日、うちにご飯食べに来ない? ここのところ毎晩一人で食べてるから、作りごたえないし、つまんないのよ。」


 美菜さんの気持ちはよく分かる。

料理をする醍醐味は、食べてくれる人が喜ぶ姿を目の前で見ることなのだ。

例え夫の翔太さんが後で食べてくれるにしても、一緒に食卓を囲めないのでは、やはり寂しいし、つまらない。

夫婦水入らずで生活するのも良いと思うが、こういう時には他の家族が居てくれた方が有難かったりするものだろう。


「うーん、でも、うちにも腕の良い料理人が居るしねえ。」

「ゆうくん、何日も料理しないと、禁断症状が出るんじゃない? 包丁持って暴れられても困るし。」

「いや、俺、そんな危ない奴じゃないだろ、暴れたことないよな。」


 他の人間が作った料理ならいざ知らず、美菜さんが用意してくれるのなら、寧ろ毎食ご相伴に与りたいくらいだ。


「今だって、月曜日は食べに来てるじゃない、それじゃダメなの?」

「わたしだって、それで我慢しようと思ってたのよ。実際、あなたたちがうちを出てから5ヶ月間、そうしてたしね。でも、そろそろ限界。禁断症状が出るのは、わたしの方だわ。」

「うわー、包丁持って暴れるの、お母さんだったんだー」


 結婚してから23年間、美菜さんは専業主婦として家事を一手に引き受けてきた。

その間、娘が産まれ、更に一人増え、二人増え、やがて五人家族になって、育てるのに手がかかる反面、やり甲斐も喜びもあっただろう。

だから、娘たちが誰も居なくなってしまった今、寂しさを覚えるのは当然のことだと思う。

そして、その娘たちは、俺の下に居るのだ。


「美菜さん、相談があるんですけど、良いですか。」

「あら、何かしら、わたしで良ければ、どうぞ。」

「俺、美菜さんに料理を教わりたいんですけど、お願いできませんか。」

「え? でも、あなた…」

「俺が作るものって、洋食が多くて、和食のレパートリーを増やしたいんですよ。美菜さんなら、沢山知ってますよね。」

「ゆう…」

「ゆうくん…」


 嘘は言っていない、俺のレパートリーは洋食が多く、和食が少ない。

前々から和食のレパートリーを増やしたいと思っていたのも本当のことだ。


「一緒に作れないまでも、せめて食べさせてもらえれば、それで覚えますから。」


 美菜さんは暫し俺を見つめていたが、視線をテーブルに並んだ料理に移し、ふっと息を吐いた。


「本当に、あなたには敵わないわ。」

「それじゃあ…」

「良いわよ、引き受けます。それにしても、まさか娘じゃなくて、お婿さんに自分の味を引き継ぐことになるとはね。」


 俺が引き継ぐのは、多分味だけではない。

お袋の味には、子を思う親の気持ちが込められている筈なのだ。

美菜さんに料理を教わることで、親としての心根が少しでも理解できればと思った。


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