第4幕

第148話 思い出

 その部屋は清澄家の2階にあった。

同じ階にある彩菜と涼菜が使っていた部屋は、二人が我が家に引っ越してからも一部の荷物を残したままなので、今は納戸のようになっている。

けれど、一番奥にある一部屋だけは、ドアを開ければ主人が出迎えてくれるのではないかと思えるほど、当時のままに整えられていた。


「綺麗にしているんですね、昔のままだ。」

「最初のうちは、あの子がいつ帰ってきても良いようにと思ってね、今は、単なる習慣かな。」


 結菜が18年間過ごして来た部屋で、美菜さんは寂しげな笑みを浮かべる。

もう戻って来ないと分かっていても、愛娘との思い出が詰まったこの場所をなくすことは出来ないのだろう。

部屋を綺麗にしていることを彼女は『単なる習慣』と言っているが、きっとこの部屋に入る度に、様々なシーンが甦っているに違いない。

ちょうど、今の俺がそうであるように…。


「そう、結菜と会って来たの…、あの子は元気だった? って言うのはおかしいわね。亡くなって、もう2年8ヶ月だもの。」

「美菜さんは、驚かないんですね。」

「今更よ、うちの娘たちとあなたの間に何が起きても、もう驚かないわ。」


 結菜、彩菜、涼菜、清澄三姉妹と俺との絆は、姉妹の母親である美菜さんから見ても、単に幼馴染だからと言うには強すぎるきらいさえ感じられるかも知れない。

けれど、それが俺たちのえにしなのだから忌むことはないし、互いに余人をもって代えがたい存在として慈しんで行くだけだ。

これまでは幼馴染としてだったものが、これからは家族として共に生きて行く、たったそれだけのことなのだ。


 しかし、ただ一人、結菜とだけは、それは叶わない。


「美菜さん、俺、ゆいねえだけじゃなくて、子供たちにも会って来ました。」

「え…、本当…なの? どんな子だった?」

「二人とも、女の子でした。俺が誰なのか、直ぐに分かってくれて、良い笑顔を見せてくれましたよ。」

「そう、なのね…、良かったわね…、本当に良かった…」


 美菜さんは俯き加減になり、自らの両肩を抱きしめて、嗚咽を漏らし始めた。

彼女が俺と彩菜、涼菜との関係をあれ程までにあからさまに押していたのは、多分、結菜への悔恨の念がそうさせたのだろう。

母親としての情に触れた気がした俺は、美菜さんをそっと抱き寄せて、自然と謝意を口にしていた。


「美菜さん、貴女のおかげで、俺はかけがえのない女性ひとと出会うことができました。感謝しています。本当にありがとう。」


彼女は何も言わず、俺の腕の中で暫く咽び泣いていた。




「本当に、あの子は、悠樹くんが好きだったわね。」

「そんなにですか?」

「だって、何をする時も、二言目には『ゆうちゃん、ゆうちゃん』って。そりゃあ、彩菜と涼菜も、いつもあなたにくっついてたけど、あの子も中々だったわよ?」


 俺自身は、美菜さんが言うとおり彩菜と涼菜が常にべったりくっついていたし、結菜とも仲が良かったのは間違いないが、幼馴染とはそういうものだと思っていたので、特に意識したことはなかった。

彼女は憧れの対象であった訳だから、好かれていたとしても、弟としてが精々だろうと思える程度だった。

 だからこそ、結菜と肌を重ねていても、自分を恋愛対象として見てくれているとは思えなかったのだ。


「だからね、あの子が15歳で流産して、相手があなただと聞かされた時も、全然違和感がなかった。寧ろ、やっぱりなって思ったわ。」

「すみません、俺、何も知らなくて…」

「仕方ないわ、あの子が言わなかったんだし、私も黙ってたしね。」


 俺が性の知識を身に付けたのは、結菜と肌を合わせたのが切っ掛けであり、彼女が全てを教えてくれたに等しい。

15歳の女子高校生と11歳の男子小学生では、知識もさることながら、心も体も、まさに大人と子供ほどの差があった。

それを免罪符にするつもりはないけれど、あの頃の俺は結菜の手解きを受けて、ただただ女性を愛することの喜びに嵌まっているだけだった。


「それでも、ゆいねえ一人が辛い思いをするのは、違うと思います。せめて、支えになってあげられたら…」

「悠樹くん…、まったく、あなたって子は…」


 美菜さんは俺の右手を手に取って、固く握りしめた拳を柔らかな掌でポンポンと軽く叩いた。

そうしてもらうことで、体の力みがふっと抜けて行った。

俺は我知らず、全身に力を入れていたようだ。


「結菜にとって…、ううん、娘たちにとって、あなたはずっと支えだったし、これからも変わらないわ。」

「支えてもらっているのは、俺の方です。ゆいねえと会うことが出来たのも、あやとすずのおかげですから。」

「それで良いのよ、お互いに支え合ってこそ家族でしょ? それが、あなたが求めているものじゃないの?」

「そうですね…、家族、ですからね。」


 結局、俺一人では何も出来ない、家族が居てくれるからこそ、何かを成し遂げることも出来る。

そしてそれは、今、目の前に居るか居ないかは関係ないのかも知れない。


「ゆいねえも、俺たちの子供も、皆一緒に、ですね。」

「ええ、そうしてあげて? あの子たちも、きっと喜ぶわ。」


 俺はつい先日会ったばかりで、今は触れることの叶わない、三人の家族に想いを馳せた。


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