第145話 決意
2年半前、ゆいねえが帰らぬ人となった時、私は悲しくて悲しくて胸が張り裂けそうになった。
胸中に渦巻く激流のような感情を制御できずに、ただただ泣きじゃくっていた。
この時、ゆうは私なんかより、ずっとずっと深い悲しみに沈み込んでいた筈なのに、何も言わずに私を優しく、そして力強く抱きしめてくれた、温かく包み込んでくれていた。
まるで、俺が側にいるから大丈夫だと、私に言い聞かせるように…。
私は嬉しかった。
ゆうの優しさが私に溶け込んで、とても穏やかな気持ちになった。
決してゆいねえが居なくなった悲しみがなくなった訳じゃない。
けれど、それすらも纏めて溶かしてくれるような、大きくて頼もしい温もりが、私を慈しんでくれていた。
この先ずっとずっと、一生包まれていたい、この温もりを離したくない。
そんな想いが、私から悲しみの涙とともに溢れ続けていた。
あれから2年半、私はまた、ゆうに救われた。
ゆうが居てくれなかったら、私はもうこの世に居なかったかもしれない。
ゆうは眠り続けている。
けれど、私は信じている。
ゆうは強い。
だから、きっと私たちの下へ帰ってくる。
ゆうが目覚めた時、今度は私が彼を優しく抱きしめてあげよう。
かつてゆうがしてくれたように、私の精一杯の想いを込めて…。
「ゆうが、夢に?」
「うん、5歳くらいの女の子と女の人が一緒だった。」
すずと愛花ちゃんが用意してくれた朝御飯を食べながら、すずが昨夜見たと言う夢の話を聞いていた。
女の人というのは多分あの人だろう、けれど、小さな女の子というのは一体…。
「涼菜さん、その女の人って…」
「顔は分からなかったけど、多分、ゆいねえだと思います。」
夢の話だと分かっている、分かっているのだけど、ゆうとすずの絆を考えれば、まるで無関係とは思えない。
ただ、女の子というのが誰なのか、思い当たる節がない。
「引っかかるのは、もう一人の女の子ですよね。昨日、彩菜さんが話してくれた内容とは合致しません。」
愛花ちゃんの疑問に、すずも頷いている。
二人とも、私と同じように、女の子に心当たりがないようだ。
「そうなんだよね、2歳くらいなら、まだ分からなくはないけど。」
「あたしは知らない子だったけど、ゆうくんは、その子を見て笑ってたんだよねー」
「10年前の愛花ちゃんってことは、考えられないよね。」
「悠樹もですけど、結菜さんも、5歳の私とは会ってないと思いますけど。」
「だよねぇ、うーん…、そうだ、すず、アルバムの写真に写ってた子じゃなかった?」
「あたし、ゆうくんじゃないから、見なきゃ分かんないよー」
食事の後、私たちは幼い頃の写真を収めたアルバムを見返したけど、すずが夢で会った女の子は写っていなかった。
これはもう、八方塞がりだ。
やはり、所詮は夢なのだと、今回のゆうのこととは切り離して考えた方が良いのかも知れない。
けれど、やはり何かが引っ掛かり、何とも心地が良くない。
私は、一体何が引っ掛かるのかさえ分からずにモヤモヤを抱えたまま、すずと愛花ちゃんと共に、再び、ゆうが入院している病院へ向かった。
病院に到着して総合受付で要件を告げると、昨日、私たちをゆうの病室に案内してくれた看護師さんが迎えに来てくれた。
予定どおり、今日も彼女が私たちの応対をしてくれるようだ。
私たちは早速、個室患者の家族控室に案内してもらった。
私たちは備え付けの椅子に座り、入室前に自販機で買った飲み物で喉を潤した。
時刻を確認すると、面会時間までは後3時間半ある。
そろそろ良い頃合いだ。
愛花ちゃんが看護師さんに話を向けた。
「彼の現在の状態は、どうなんですか?」
「昨日とほとんど変わりありません。脳は精力的に活動していますが、深部体温は33度、心肺は生命維持に最低限必要な働きを維持、他の臓器は障害が起きないギリギリのところまで機能が低下しています。」
「措置は点滴だけですか? 人の出入りは?」
「午後の液剤交換とバイタルチェックは私が担当します。その間、他の職員は入室しません。」
「助かります。セキュリティーは大丈夫ですか?」
「リアルタイムでの監視はしていませんが、病室内の録画記録は一定期間残ります。担当部署が違いますので、こればかりは、私も手が出せません。」
「これだけ協力していただければ十分です。面倒事に巻き込んでしまって、すみません。」
驚くことに、愛花ちゃんは昨日の内に看護師さんを抱き込んで、協力者に仕立ててしまっていた。
愛花ちゃんが看護師さんに提示した報酬は、彼女の好奇心を満たすことだった。
病院がゆうを回復させる手立てを見出せていないと分かると、自分たちがそれをやってのけるところを貴女だけに見せると言って、即座に懐柔したのだ。
これまで私たちが愛花ちゃんに話して来た情報と、ゆうの現状を突き合わせて、今何が必要なのかを即座に判断していたと言うのだから、舌を巻くしかない。
私とすずだけでは、きっと何も出来なかっただろう。
だが、この後のことは、彼女に任せるわけには行かない。
これは、私とすずにしか出来ないことなのだから。
私たち姉妹は、愛花ちゃんがお膳立てしてくれたチャンスを活かさなくてはならない。
私たちは今から、ゆうを迎えに行く。
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