第144話 主人が居ない家
暫くすると、お父さんが車で迎えに来てくれた。
あたしたちは後ろのドアを開けて、あやねえ、愛花さん、あたしの順に、三人とも二列目のシートに乗り込んだ。
「おいおい、いくら女の子三人でも、それじゃ狭いだろ。」
「全然狭くないから大丈夫よ、ね、すず、愛花ちゃん。」
「私のジュニアサイズは、こういう時、役に立ちますね。」
「くすっ、愛花さん、自分で言っちゃダメですよー」
「どうせ私は、こんな時、役に立ちませんよーだ、デカくてすみません。」
「私、そんなこと言ってませんよ?!」
「あはは、あやねえが大きいのは、態度だよねー」
「やれやれ、姦しいこった、じゃ、出すぞ。」
お父さんは、あたしたちの明るく賑やかな様子に呆れながら、車を出発させた。
本当はみんな、ゆうくんのことが心配で堪らないに決まっている。
でも、ここで暗くなっても、きっとゆうくんは喜んでくれない。
だから、あたしたちは前を向いて、彼のために何が出来るのかを考えなければいけない。
あたしたちのために、その身を投げ出してくれた、最愛の人のために。
「「「ただいま。」」」
我が家の玄関で三人揃って帰宅の挨拶をしても、出迎えてくれる声は聞こえない。
真っ暗な廊下に明かりを点けて家に上がり奥に進んでリビングに入ると、中の空気がひんやりしていて、ここには誰もいないのだと思い知らされる。
「
「うん、やっぱりここには、ゆうくんが居てくれなくちゃ。」
「私、お茶を淹れますね、涼菜さん、手伝ってもらえますか?」
「あ、はい、一緒にやりますね。」
愛花さんはこの家でお茶を淹れたことがないので、あたしが急須や湯呑茶碗、お茶っ葉が仕舞ってある場所と普段使っている電気ケトルを教えてあげると、一言一言に頷きながらお茶の準備を始めた。
けれど…
ガチャン! 「あっ!」
「大丈夫ですか?!」
愛花さんは急須を傾けて湯呑にお茶を注ごうとして、手を滑らせて落としてしまった。
トレイの中にお茶が溢れたけど、幸い彼女には掛からなかったようだ。
「ごめんなさい、手が滑ってしまって…」
よく見ると、愛花さんの両手の指先が細かく震えていた。
彼女は手の震えを隠すように、左右の手指を握り合って俯いてしまった。
「何かしていれば、気持ちが落ち着くと思ったんですけど、やっぱり、ダメですね…」
「愛花さん…」
「病院では気を張っていられたんですけど、ここに帰って来て、悠樹が居ないのは応えます。」
愛花さんはゆうくんの病室で、とても冷静に看護師さんと話をしていて余裕さえ感じられたけど、やはり彼が居ない寂しさには耐えられないようだ。
それは、リビングに居るあやねえも同じだった。
三人分のお茶を持ってリビングに戻ると、彼女は両手を膝に置いて項垂れてソファーに座っていた。
目の前のローテーブルに湯呑をコトリと置くと、顔を上げて薄らと微笑むけど、あまり生気を感じられない。
「ありがとう、こういう時は温かいのが良いね。」
「あやねえ…」
あたしが隣に座って両手で肩を抱き寄せると…
「ごめん、すず、私がしっかりしなきゃいけないのに。」
「あやねえも、泣いて良いと思うよ? きっと、ゆうくんなら、そう言ってくれるんじゃないかな。」
あやねえは一瞬目を見張り、直ぐに沈痛な面持ちになった。
「そう、かな…、ゆうは、許して、くれる、かな…」
「うん、ゆうくん、あやねえが大好きだから、大丈夫だよ。」
「…、ゆう…、ぅ…、ぅぅ…、ゆ…うぅ…、うぅ…」
彼女はあたしの腕に縋りつき、嗚咽を零す。
あたしの頬には、今日何度目となるだろう、涙が伝わっていた。
「そっか、ゆうが、そう言ってたんだ…」
「はい、結菜さんに会いたいと…」
「他には、何か言ってなかった?」
「いえ、他には何も。彩菜さん、涼菜さんも、何か心当たりはありませんか?」
愛花さんが初めてこの家にお泊まりした3日目の夜に、ゆうくんが、ゆいねえに会いたいと言っていたことを聞かされた。
以前と違い、ゆうくんは理由もなくそんなことは言わない筈だ。
しかし、それが何故なのか、あたしには心当たりがなかった。
けれど、あやねえは違ったようだ。
彼女は奥歯をギリリを噛み締め、悲痛な表情で呟いた。
「きっと、ゆうは自分から、ゆいねえに会いに行ったんだ。多分、確かめたいことが、あるんだと思う。」
何故、あやねえがそう思うのか、彼女の口から、ある事実が明かされた。
それは、あたしと愛花さんにとっては、青天の霹靂だった。
その夜、あたしは夢を見た。
あたしは一人で真っ暗な所にポツンと佇んでいて、辺りには何もないし誰も見当たらない。
けれど、不安も怖さも感じない、何だか懐かしくさえ思える不思議な場所だった。
突然、スカートの裾をクイクイと引っ張られた。
何だろうと目を向けると、そこには小さな女の子が居て、あたしを見上げている。
それは、かつて、ゆうくんの陰に隠れてばかりいた、幼い頃のあたしだった。
幼いすずは、あたしの手を引いて歩き出した。
「ねえ、どこに行くの?」
問いかけても何も答えてくれずに、一心不乱に歩き続ける。
思い返せば、あたしはそんな子だったような気がする。
普段は臆病で、何事にもビクビクしているけど、一度これと決めれば脇目も振らずに突き進み、挙げ句の果てが深みに嵌って、にっちもさっちも行かなくなってしまうことがある。
その結果が今のあたしと言う訳だ。
もっと要領よく立ち回らなければ、無理が祟るのも当たり前だ。
まあ、でも、そのおかげで、ゆうくんと今のような関係になれたのかも知れないし、今更言っても詮ないことだろう。
所詮、これは夢の中の出来事なのだから、取り敢えずはこの子がしたいようにさせてみようと思う。
暫く幼いすずについて行くと、誰かの笑い声が聞こえた気がした。
あたしたち以外にも誰かいるのだろうかと辺りを見回すと、離れた所に三人の人影が見えた。
大人の男女が一組と小さな女の子だった。
女の子は、幼いすずと同い年くらいだろうか。
楽しそうに戯れている三人の様子を幼いすずと一緒に黙って見ていると、やがて男性がこちらに気づいて手を振り始めた。
あたしはその男性を知っていた。
その人は、ゆうくんだった。
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