第143話 面会時間
面会時間になり、私は彩菜さん、涼菜さんと共に悠樹の病室に案内された。
部屋の中央に進み、ベッドに寝かされた彼の顔を見て、私は息を呑んだ。
私はこれまで、このように青白い顔色の悠樹を見たことがなかった。
先ほどは精密検査の結果、異常は見当たらないと聞いていた筈なのに、私にはとても信じられなかった。
ベッドの脇を見ると、私たちを案内してくれた看護師さんがタブレット端末でデータを確認していたので、疑問をぶつけてみた。
「すみません、この人、なぜこんな顔色なんですか? いくら怪我人でも、こんなことはあり得ないと思うんですけど。」
看護師さんは一瞬ハッとしたかと思うと直ぐに真剣な表情になり、私を睨みつけた。
「患者様の詳しい情報を、ご家族でない方にお話しすることは出来ません。」
彼女の毅然とした態度は、医療従事者としては当然のことだろう。
けれど、私はそんなことで引き下がるつもりはない。
私は、ただ愚直に、正攻法で訴えた。
「貴女の仰ることは理解できます。けれど、納得いきません。彼は私の命の恩人であり、将来を誓い合った恋人です。その人がこのような状態になっているのに、理由を知らずにいることなど出来ません。どうかお願いです。彼に何が起きているのか、教えてください。」
看護師さんはじっと私を見据えていたが、やがて根負けしたように視線をすっと逸らし、タブレット端末をサイドワゴンに置いて操作し始めた。
私が隣に立つと、彼女はポツリと呟いた。
「私には、独り言を言う癖があります。独り言ですので、私個人の見解です。」
看護師さんの言葉からは、二つの解釈が得られる。
一つは、これから聞くことが出来るのは病院の公式見解だが、彼女の独り言なので、聞かなかったことにしてほしいと言うことだ。
もう一つは、言葉どおり、あくまでも彼女の私見であると言うこと。
つまり、病院としては他の見解を持っている、もしくは、見解を持つに至っていないと言うことになる。
はたして、彼女の口からは、独り言が洩れ始めた。
「時間がありませんので、詳しいお話はできません。専門用語を排して簡単に申し上げると、この患者さんはバイタルデータを見る限り、軽度の低体温症としか思えない状態になっています。けれど、脳波を見ると、覚醒して活動している状態なんです。こんなことは通常考えられません。低体温症であれば脳のほとんどの機能は低下する筈ですし、そもそも体温が下がる理由がない。逆に、脳が活発に動いているのに、バイタルがこんな状態なんて…。正直申し上げて、私たちには理解できない状況です。」
なるほど、病院は見解を持っていない、適切な処置が出来ない状況になっているということだ。
意識が戻らないというのに人工呼吸器もつけずに、点滴だけを続けているのも合点がいく。
「病院に1日近く居るのに低体温症…、まるで、脳をフル回転させるために、身体機能を抑えているように思えますね。」
「それはあり得ません。深部体温を下げて、心拍数まで落とすなんて、人間が出来るわけがないですし、そもそも血液が送れなければ、脳は機能を失いかねません。」
「くすっ、この人は歩く常識外れですからね。」
「えっ?」
「いえ、何でもありません。」
私は、悠樹と涼菜さんから初めて彼と清澄姉妹との関係を聞いた時の、彼に対する印象を思い出していた。
悠樹は、清澄姉妹のためなら、常識の範疇から外れたことを平気でやってのける人だ。
しかし、仮に今がそうだとしたら、彼は誰のために、何をしているのだろうか…。
「私たちに出来ることがあるかも知れません。ただ、それには病院の協力が必要でしょう。どなたか一人でも協力してくれれば良いのですが。」
この後、看護師さんと少し言葉を交わしているうちに面会時間が終了した。
私たちがこの部屋に留まることができる時間は30分、そう、たったの30分しかないのだ。
面会時間が終わり、私たちは1階のエントランスに降りた。
まもなくここに迎えに来てくれる、清澄姉妹の父親を待っていた。
彼は悠樹のことが心配で、休暇を取っていつでも動けるように待機してくれていたのだ。
「義務感とか負い目もあるのかも知れないけど、ゆうのことが好きだから、居ても立っても居られないんじゃないかな。」
親友の忘れ形見を彼らに成り代わって育て上げたいという義務感、娘が辛い時に何も出来ずに悠樹に託さざるを得ない負い目、そして、それにも増して、悠樹を一人の人間として認め好意を持っているのだと、彩菜さんは話してくれた。
「お父さん、ゆうくんが居なくなったら、男一人になっちゃうもんね。」
「ふふ、本当はそれが一番なのかも、愚痴を聞いてくれる相手がいなくなっちゃうからね。」
悠樹の帰りを待ち望んでいる人たちのためにも、なんとしても連れ帰らねばならない。
悠樹、私は君を、必ず私たちの下へ連れ戻してみせる。
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