第146話 宝物
芝生に寝転んで、星を見ていた。
これは多分、夏休みに清澄邸の庭から見上げた星空だろう。
隣では、4・5歳くらいの女の子が、俺と手を繋ぎ同じように寝転んで、瞬く星々に目を輝かせていた。
「星を見るのは好きか?」
俺の問いかけに、女の子はこちらを見て、ニコリと微笑んだ。
彼女は言葉こそ発しないけれど、とても楽しんでくれていることが手に取るように分かる。
ここに来てから数日なのか数時間なのか、正確な時間こそ分からないが、彼女と一緒に過ごしているうちに、随分と感情を読めるようになっていた。
もう暫くすると、女の子の考えていることが言葉として聞こえてくるようになるのではないかと思うのだが、きっと、俺がここに留まることが出来る時間はそれほど残されてはいないだろう。
『ゆうちゃんは、もうすぐ帰らなくちゃいけないものね』
女の子の向こう側で、あの人が微笑んでいた。
2年半前と何一つ変わらない、慈しみ深い笑顔だった。
「そうだな、残念だけど、もうすぐさよならだ。」
『あー、残念って絶対ウソ、顔が笑ってるもん、折角ちゃんとお話できたのに』
「来年のお盆も墓参りに行くよ、その時また話すんじゃダメか? あ、その前に命日があるか。」
『もー、一人じゃ戻れないくせに、妹たちをこき使わないでよねー』
頬を膨らませて怒って見せようとするけれど、目元が笑ってしまっているので、本気でないことが直ぐに分かってしまう。
こういうところも、昔のままだ。
「この子にも、会いに来たいんだけどな。」
『ありがとう、その気持ちだけで十分だよ、この子も喜んでる、そうだよね』
結菜が問いかけると、女の子はニコニコとあどけない笑みを浮かべて、コクコクと頷いて見せた。
穢れを知らない無垢な瞳に、俺の顔が映り込んでいる。
もう、まもなく、この子ともお別れなのだと思うと、込み上げてくるものを隠しきれなくなる。
「こっちにおいで、ぎゅーしてくれないか?」
上半身だけ起こして女の子にお願いすると、彼女はぴょこんと勢い良く立ち上がり、俺の膝に乗って首に両手を巻き付けてきた。
彼女の体を抱き抱えながら頭をやんわりと撫でてやると、お返しとばかりにスリスリと頬を擦り付けてくる。
今、胸に広がる愛おしさは、恋人たちに感じるそれとはまるで違うものだ。
俺の中に、これまで経験したことのない感性が芽生えているようだった。
俺が初めて味わう情を噛み締めていると、結菜はもう一人、1・2歳ほどの女の子を抱き上げて、こちらへ顔を向けさせた。
『この子のことも忘れないでね、二人ともとっても良い子なんだから』
「忘れないよ、二人とも、俺の宝物だからな。」
空いている手を伸ばして頬を撫でると、女の子は小さな顔をくしゃりと綻ばせている。
こんなに幼い子でも、俺が誰だか分かってくれているのかと思うと、何だかこそばゆい気持ちになった。
『ゆうちゃん、この子たちのこと、黙っててごめんね?』
「謝るのは俺の方だよ、何も知らない子供でごめん、ゆいねえ、辛かったよな。」
『うん、あの時は、辛かった。でも今は、こうして二人と一緒に居られるから…』
「ゆいねえ。」
『うん?』
「俺、ゆいねえが好きだよ、今でも好きだ。」
『ありがと、わたしも、ゆうちゃんが大好きだよ』
「今なら、ちゃんと言ってくれるんだな、ま、あの時はしょうがないか。」
『うん、今だから言えるんだもん。わたし、かずくんの婚約者だったから』
「それで入籍して、か。墓は別々になっちまったな、一応聞くけど、寂しくないのか?」
『ううん、ぜーんぜん、寧ろ、かずくんと別々のお墓にしてもらえて良かったよー』
「俺、別々になるって聞いた時は、ショックだったんだけどな。」
『だって、わたし、あんなに早く入籍する気なんてなかったんだよ? その前には15歳で婚約させられちゃうし。ぜーんぶ、かずくんの差金なんだから』
「その情報も聞きたくなかったなぁ、知ってたら、兄貴ぶん殴ってでも、やめさせたのに。」
『あははは、かずくん、弱虫だったからねえ、ホントにやめちゃうかも』
「俺の中の兄貴像が、ガラガラ崩れていくんだけど…」
『かずくんって、ゆうちゃんの前ではカッコつけてたからね。わたし、おじさんとおばさんに、ホントに、婚約するの和樹で良いのかって言われたんだよ?』
「ゆいねえ、何て答えたんだ?」
『許婚にしたの、おじさんとおばさんじゃない!って言ったら、黙っちゃった、それはないよねー』
「ゆいねえ、俺とあやとすず以外には、厳しかったよな。あー、美菜さんは違ったか。」
『お母さんは特別だから。あの人、わたしが、ホントはゆうちゃんが好きだってこと、知ってたんだよ? この子たちのことも、お母さんにだけは、話してたし』
「ちょっと待ってくれ、美菜さん、そんな素振り少しも見せてないぞ?」
『うん、口止めしたから。ゆうちゃんの許婚は、あやとすずだからね』
「俺たち、許婚って言う"呪い"にかかってたのかもな。」
『ゆうちゃんは、そう思っちゃうかぁ』
「ゆいねえにとっては、そうじゃないのか?」
『そう思ったこともあったかな、でも、この子たちを授かったからね…』
「そうか…、そうだな、この子たちは、祝福されるべきだよな。ごめんな、お前たち。」
もう一度、子供たちを撫でてあげると、声は聞こえないものの、キャッキャと喜んでくれている様が伝わってくる。
このまま、ここに留まり続けたいという衝動さえ湧き上がってしまう。
けれど、いよいよ、別れの時が近いようだ。
「なあ、ゆいねえ、この前、すずが来たのは初めてだって言ってたよな。」
『うん、あれはびっくりしたよ、しかも二人でだもんね』
「ひょっとしたら…、いや、それは、またにするか。」
『あ、ほら、始まったみたいだよ?』
俺の体を柔らかな熱が、ふわりと包んで行く。
いつも俺を支えてくれている、恋人たちの慈愛に満ちた温もりだ。
「じゃあ、また近いうちに来るよ。」
『うん、じゃあね、三人で待ってる。』
笑顔を交わし合っているうちに、まもなく視界が揺らいで行く。
最後に目に焼きついたのは、こちらに向けて振られていた、二つの小さな掌だった。
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