第141話 今すべきこと

 日曜日の朝、平日と同じように5時過ぎに目が覚めた。

昨夜は愛花と二人きりで長い夜を過ごしたというのに、身についた生活リズムというやつはお構いなしに俺を動かす。

隣に目をやれば、可愛らしくあどけない寝顔を見せる少女が、小さな呼吸を繰り返していた。


 神崎愛花、学園に入学して知り合ってから9ヶ月、初めて会話らしい会話をしてから7ヶ月、これを長いと見るか短いと見るかは人それぞれの感じ方だと思うが、俺にとっては数年分をぎゅっと圧縮したような中身の濃い日々を共に過ごした少女。


 両親が亡くなってからの5年間、坂道を転がり落ちて行く俺に手を差し伸べてくれた少女たちがいた。

心を削られ自我を失って行くばかりの俺の手を取って、縋り付くことを許してくれた。

俺は彼女たちの居る所を自分の居場所とし、彼女たちのために生きると決めた。

他の誰にも犯されない安住の地を見つけて、彼女たちと共に内側に籠って生きて行けば良いと思っていた。


 そんな俺たちの思惑を、愛花はたった数ヶ月で一変させてしまった。


 愛花は"否定"することではなく"理解"しようとすることで、俺たちが本当は外側と繋がりを持ち続けたいと思っていたことを気づかせてくれた。

そんな彼女に俺は恋をして、彩菜と涼菜は"家族"となることを希望した。

そして愛花は、全てを受け入れてくれた。


 はたしてこの小さな体のどこに、あれ程大きな包容力を持ち合わせているのだろうか。


 愛花は俺には敵わないと、俺が目標だと口にすることがあるが、それは全く逆だと思う。

俺は彼女には何一つ敵わないし、彼女こそが俺たちの指標なのだ。

 きっと俺たちは、これからも愛花の指し示す方角を見据えて、共に手を取り歩み続けて行くのだろう。

その先にどんなことが待っているのか、俺は楽しみでならなかった。




 愛花を家族として迎え入れてから過ごした仮初の時間はあっという間に過ぎ、時刻はまもなく16時になろうとしていた。

日が落ち切る前に愛花を家に送り届けようと、彼女を伴って玄関に向かいかけたところで、涼菜が声をかけてきた。


「ゆうくん、あたしも一緒に行って良い?」


 問いかけの言葉とは裏腹に、涼菜は既にコートを羽織っていた。

彼女は最初から送って行くつもりだったのだろう。

そしてそれは、彼女の姉も同じ訳で…


「私も行こうかな、愛花ちゃんともう少し話がしたいし、四人で歩いたことってなかったよね。」


 結局、俺たち三人の考えていることは同じだった。

皆、愛花と少しでも長く過ごしていたいのだ。


「よし、じゃあ、みんなで行くか。」

「あの、嬉しいですけど、もう暗くなってきましたし、良いんですか?」

「愛花ちゃんは、ゆうと二人っきりが良いかもだけど?」

「い、いえ、そんなことは。」

「くすっ、愛花さん、あやねえの冗談ですからね?」


俺たち四人は笑顔で言葉を交わしながら、我が家を後にした。




 四人でワイワイとおしゃべりを楽しみながら、大型スーパーの方向に歩いて行く。

この通りはマンションなどがそこそこあるものの、夕方のこの時刻なら余程大騒ぎでもしない限り、近所迷惑にはならないだろう。


 暫く歩くと、以前、愛花の弟・京悟くんと初めて話した児童公園に差しかかり、俺は一人、足を止めた。

公園を眺めて、今更ながら、彼も誕生会に誘えば良かったかなと思っていたところで、不意に近くでガシャンと酷く耳障りな音がした。


 何事かとその方向に目を向けた刹那、俺はあってはならない光景を目にした。


 一台の大型トラックが、速度を落とすことなく車道を外れ、歩道に突っ込もうとしている。

そしてその先には、おしゃべりに夢中になっている三人の少女がいたのだ。


 親父、お袋、和樹、そして結菜、俺にちかしい人たちは皆、俺の下から居なくなってしまった、二度と帰ってこなかった。

俺はまた、大切な人たちを失ってしまうというのか。


 心の中に想いが駆け巡る。


 そんなのは嫌だ!

 これ以上、あんな悲しい気持ちを味わいたくない!

 俺は彼女たちのために生きると誓った筈だ!

 俺を使うと決めた筈だ!

 今ここで動けるのは俺だけだ!

 ならば、俺のすべきことは決まっている!!



 強い情動と共に、体が咄嗟に動いていた。

俺は自らの体をトラックの前に投げ出し、衝撃と眩い光を一瞬だけ感じて、そのまま意識を吹き飛ばされた。


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