第97話 通過電車

「ゆう、座って。」


 彩菜は部屋の隅に置いてあった折り畳み椅子を傍らに置いて、俺に座るように促した。

彼女の手には、いつも持ち歩いている化粧ポーチが握られている。

もうここまで来たら何も言うまい。

俺は俎板まないたに乗った心地で目を瞑り、顔を化粧筆で撫でられながら時間が過ぎるのを待った。


「うん、こんな感じかな、ゆう、鏡見て。」


 彩菜の出来上がりの合図に恐る恐る目の前の壁鏡を見ると、そこには涼しげな眼差しのクール系メイドが座っていた。

まるで自分とは思えない変貌ぶりに、言葉を失った。


「やっぱり、思ったとおり、ゆうは化粧映えするよね。」


 愛花さんが初めて我が家に来てくれた時、女子三人が俺に化粧を施して遊びたそうにしていた。

その時は何を言っているのかと思ったが、目の前の仕上がりを見ると、これもありじゃないかと思えてくる。

メイクの力、侮りがたし。


 彩菜に手を引かれて女子たちの前に姿を見せると、皆、一様に目を丸くした。

脇で見ていたスタッフまで、こちらに近づいてきて凝視している。


「ちょっと、何これ、何でこんなにイケちゃう訳?!」

「ゆうは小さい頃、どの女の子よりも可愛かったんだよねぇ。」

「あや、そんな昔の話はしなくて良い。」

「愛花ちゃんが天使みたいって言ってたじゃない。」


 流石に今更天使もないと思うが、自分でも確かにイケてると思ってしまう。

ただ、これだけ身長があると、どこに需要があるのか微妙なところだ。


「こちらのスクリーン前でお写真をお撮りいただけます。次のお客さまがいらっしゃるまでお時間がございますので、1時間ほどご自由にどうぞ。」

「ありがとうございます! さ、男装の姫君と王子改めイケてるメイドくんはこちらへ、撮影とポージング指導はアキさんよろしく。」

「お任せあれー」


 アキさんと呼ばれた先輩女子の手解きを受けながら、彩菜と共に撮影に臨む。

アキさんは撮影スタジオでのバイト経験があり、この手のことは得意としているらしい。

彼女から無理に笑ったり表情を作る必要はないと言われたので、二人とも言われたとおりにポーズを取ってクールに決めていった。

 何度かシャッターを切られるうちに、不思議と楽しくなって来る。

それはどうやら彩菜も同じようで、どちらともなく視線を合わせ、くすくすと小さく笑みを交わした。


「さ、じゃあ、最後に集合写真撮るよー」


 集合写真ではなぜか俺が真ん中で膝を斜めにして椅子に座り、直ぐ後ろに彩菜が立ち、他の女子が脇を固める構図になった。

撮影をスタッフにお願いして、一枚は真面目に、後は思い思いのポーズをとって何枚か撮影して終了した。


「くすっ、ゆうのメイク落としをする日が来るとは思わなかったなぁ。」

「俺は自分がメイクする日が来るとは思わなかったよ。」

「楽しかったでしょ?」

「楽しかったな、何か悔しいけど。」

「二人ともー、イチャイチャタイム終わったー?」

「今終わるから、待ってよー。はい、お仕舞い、お疲れ様。」

「ん、ありがとう、あや。あー、サッパリした。」


 借りる衣装の最終オーダーを終えた桜庭さんから声がかかり、俺たちは貸衣装屋を後にした。

皆、昼食を食べていなかったので、勝手知ったる学園の最寄駅に戻って、駅前のファミレスにでも行こうという話になった。


 俺たちは学園方面に戻る電車に乗るために、駅のホームにやって来た。

平日の昼過ぎとあってホームの人影はまばらで、電車の本数は少ない。

 この駅は各駅停車しか停まらないので、ホームの行先表示板を見るともう少し電車を待つことになりそうだ。

俺は彩菜と共に先輩女子たちに弄られながら、次の電車を待っていた。


 ホームに通過電車があるので注意するようアナウンスが流れた。

この路線はターミナル駅を除いてホームドアが設置されていないので、速度を余り落とさない通過電車には特に注意が必要だ。


 まもなく電車が通り過ぎようとする時、後ろから不意に衝撃を受けた。

堪らずよろけた先にはホームの端があり、このまま倒れ込めばホームから転落するという所まで体が傾いたところに、けたたましく警笛を鳴らしながら通過電車が入線してきた。


 間一髪だった。

ホームで転倒はしたが、踏み出した足に踏ん張りを効かせて倒れる方向を変えて、電車と接触しないギリギリの位置で止まることが出来た。

転倒して手をついた時に腕を擦りむいただけで、怪我らしい怪我はしていない。

電車が通り過ぎてその場に座り込むと、切羽詰まった表情の彩菜が駆け寄ってきた。


「ゆう! ゆう! 大丈夫?! 怪我は?!」

「大丈夫だ、あや。少し擦りむいたけど、それだけだし、どこも打ってないよ。」


 努めて笑顔を見せるが、彩菜には作り笑いは通用しない。

けれど、俺の表情から周囲の人たちに余計な心配をかけたくないという意思を読み取り、それ以上騒ぎ立てはせず、座り込む俺の傍らにしゃがみ込んで寄り添ってくれた。


 先ほど俺が受けた衝撃は、先輩女子たちがふざけ合っているうちにバランスを崩して、俺の背後からぶつかってしまったものらしい。

たまたま俺がそちらを見ていなかったので、対応が出来なかったということだ。

 先輩たちは泣きべそをかきながら謝罪を繰り返していたが、幸い大事には至らなかったし、お互いに周りに注意していれば良かっただけのことだからと笑顔を返しておいた。




 結局、皆、ファミレスには寄らずに解散した。

俺は彩菜と共に我が家に帰り、まずは擦りむいたところを手当てした。

既に帰宅していた涼菜を心配させてしまったが、擦りむいた腕をぐるぐる回して見せると、彼女はホッとした表情を見せてくれた。


 俺と彩菜はまだ昼御飯を食べていなかった涼菜と共に簡単な食事を摂って、今はリビングで寛いでいる。

俺は両側に寄り添っている彩菜と涼菜の温もりと柔らかな感触に癒されながら、先ほどのホームでの出来事を思い起こしていた。




 あの時、通過電車が迫っている刹那、俺の足は確かにホームからの転落を回避して、何とか事故を免れた。

しかし、俺は心の内側に突如広がった闇の中で、まるで別のことを思っていた。



  このまま落ちれば俺は死ぬ

  このまま進めば俺は

  死ねば俺は親兄弟に会える

  死ねば俺はあの人に会える


  あの人に会いたい


  俺が辛い時に慰め、癒してくれた人

  俺に人の慈しみ方を教えてくれた人

  俺に女性の愛し方を教えてくれた人


  ゆいねえ、清澄結菜


  俺の大切な、初恋はじめての人




 俺は心のどこかで、あちらへ行きたがっているのだろうか。



* * * * * * * * * * *


 『幼馴染』第2幕はこれにて終了です。

 幕間を挟んで、引き続き第3幕に入ります。

 ただただ、推しを愛でる幕にしちゃいまし

 た〜

 読んでいただけると嬉しいです♪

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