第71話 恋心

あの人が笑っていた

とても美しく、そして妖艶な笑みだった

あの人が見つめる先には男の子がいた

あどけなさの中に凛々しさを併せ持つ横顔に、胸が熱くなるのを感じる

二人は生まれたままの姿で立っていた

あの人は男の子を抱き寄せ、男の子はあの人にしがみ付くように抱きつく

二人はゆっくりと顔を近づけ、目を閉じて唇を触れ合わせた

やがて二人は互いの異性の象徴に手を添えて、そして…




 はっと目が覚めると、そこはゆうのベッドの中だった。


 少し頭が重い。

何か夢を見ていたような気がするけれど、頭がぼんやりとして思い出せない。


 隣に目を向けると、ゆうが眠っていた。

静かに呼吸を繰り返す姿を見て、何故だかほっとする。


 上半身だけ起こして、眠っている彼の唇に触れるだけの口づけを落とした。

体に掛けていたタオルケットが腰まで落ちて肌が露わになってしまったけれど、ここにいるのは私の他にはゆうとすずだけなのだから、気にすることはない。

しかも二人ともよく眠っている。

私はそのまま、ゆうの寝顔をじっと見つめる。


 私はこの眠っていて緊張が解けているのに凛々しさが残る寝顔が大好きだ。

幼い頃から私やすずのことを常に気遣い守ってくれていた頼もしい人。

今でも悲しいときは慰めてくれ、何かを願えば叶えてくれる強くて優しい人。

時折見せてくれる弱さでさえ、愛おしく想える人。

私もすずも、ずっとこの人に恋焦がれている。


 けれど、私は知っている、

 この人は私たちに恋していないことを。


 どんなに優しく抱きしめてくれても、どんなに激しく愛してくれても、どんなに好きだと言ってくれても、そこに恋心はない。

あるのは幼馴染としての情愛だ。


 この人の恋心は、あの人が持って行ってしまった。

 この人は今でも、あの人を想っている。


 だからこそ、私はこの人の側に居ようと誓った。

あの人に連れて行かれないように、私たちの下に居てくれるように、いつか私たちのことを想ってくれることを願って、想い続けていようと。


 それがいつになるのか分からないけれど、

 その日がいつかきっと訪れると信じて…




 すずの誕生日を1週間後に控えた土曜日、私は愛花ちゃんのお宅にお邪魔していた。

愛花ちゃんお気に入りのケーキ屋さんで、すずのバースデイケーキを頼んでから、彼女に誘われてやって来たのだ。


 愛花ちゃんの家はファミリー向けのマンションだった。

彼女に続いて玄関に上がり、初めはリビングに通された。

ご両親と弟くんが居たので挨拶すると、三人とも目を丸くして何故か片言の挨拶が返ってきてしまい、どうして良いか分からなくなってしまう。

慌てた愛花ちゃんに引っ張られて、今は彼女の部屋に連れてこられていた。


「愛花ちゃん、ごめん、私、何か失礼ことしちゃったかな。」

「ち、違います、こちらこそすみません。多分うちの家族が、見たこともない美人さんが来た現実を受け入れられなかったんだと思います。」


 愛花ちゃんが冷たい飲み物を持って来てくれたので尋ねてみると、そんな答えが返って来た。

確かに私は自分でも美人と言われる部類だと認識しているし、他人からもそう言われるけれど、あのような反応をされたことはないので戸惑ってしまった。


「元々私が友人をうちに連れて来たことがほとんどないので、それもあるんだと思いますけど。」

「そうなんだね、私もね、自分の生活空間に他人が入ってくるのって抵抗があったから連れて来たことなかったんだよね。」


 『自分の』と言うよりも、ゆうとすずを含めた『自分たちの』と言うべきだろう。

私は、私たちが過ごす場所を、時間を、他人に犯されることを良しとしていなかった。

そう、つい最近までは。


「でも、私たちは愛花ちゃんと出会ったから。」

「彩菜さん…」


 私たちを否定せずに側に居て見てくれているこの子の存在は、私たちにとっては本当に大きい。

愛花ちゃんとの出会いがなければ、私たちのことを誰かに知ってもらいたいという発想に至ることはなかっただろう。


 私たちだけの、ただ互いの温もりを求めるだけの居心地の良い世界、そんな場所さえ手に入れば良いと思っていた。

私たちが、私たちとして他者と交わっても許される世界などある筈がないと思っていた。

けれど、今は違う。


「大袈裟かもしれないけど、貴女が私たちの世界を変えてくれたんだよ。ありがとう、愛花ちゃん。」

「もう、本当に大袈裟ですよ、私は単に好きな人の側に居たいと思っただけですから。彩菜さんや涼菜さんと一緒です。ただ、お二人ほど覚悟はありませんけどね。」


 そう言って愛花ちゃんは自嘲気味に笑うけれど、彼女はもうしっかりと覚悟が出来ているのだと思う。

そうでなければ、振り向いてもらえないと分かっている人の傍らに居続けることなど出来ないだろう。

多少の違いこそあれ、それは私たち姉妹の覚悟ととても似ていると思った。


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