第50話 お引っ越し
夏休みに入って2日目、午前中に清澄姉妹の家具の出し入れが終わり、俺と姉妹は昼御飯を終えてから衣類などの運び込みを始めた。
姉妹が使う部屋は、元々俺と和樹が使っていたウォークインクローゼットを挟んで互いが行き来できる各々6畳間ほどの広さがある洋室だ。
和樹が他界するまでは俺もその部屋を使っていたのだが、その後はあまり使う気になれず、それより以前に亡くなっていた両親の部屋にベッドを入れて、今もそのまま使っているのだ。
プラスチック製の衣装ケースに詰め込んだ荷物を持って、汗をかきながら清澄家の2階と我が家の2階を何往復もしているうちに流石に腕に力が入らなくなってきたが、何とか最後まで持ち堪えることが出来た。
ただ、これで明日の筋肉痛は確定なので、今夜は久しぶりに湯船に浸かりながらしっかりとマッサージをして、出来るだけダメージが尾を引かないようにケアしようと思っている。
運び込んだ荷物を片付けるのは姉妹にしか出来ないので、取り敢えずシャワーで汗を洗い流してから冷たい飲み物を片手にリビングで休憩していると、2階から彩菜が降りてきた。
彼女はソファーで寛ぐ俺の隣に座るなり、俺の腿に両手をついて上目遣いで見つめてくる。
これはおねだりのポーズだ。
「ゆう、ちょっとお願いがあるんだけど。」
「…なんでしょうか?」
「部屋を片付けるの手伝って。」
「思ったより早かったな…」
彩菜は部屋を片付けるのがあまり得意ではない。
彼女はリビングなどの共用部分は綺麗な状態を維持出来るのだが、なぜか自室となると上手くいかなくなる。
どうやら、自分以外の人が手を触れることがないのなら適当で良いと思っているらしく、お気に入りのぬいぐるみたちで溢れる部屋の中で、何度アクセサリーや小物類の大捜索が行われたことか。
幸いにも俺は捜索に加わったことはないが、付き合わされた美菜さんや涼菜は、その都度口を酸っぱくして説教をしているらしい。
ただ残念ながら、これまでその効果が出ることはなかったようだ。
まずは現状を確認しようと彩菜の部屋に足を踏み入れたのだが、その状況を目の当たりにして俺は愕然とした。
荷物は1時間前と同じ状態で、全く手付かずのままだった。
「あや、どうして荷物が運び込んだ状態のままなんだ?」
「えっと、何か荷物がどどんと置いてあると、これをどうして良いのかさっぱり分からなくて、今まで途方に暮れてました。」
確かに彩菜は片付けが苦手だ、先ほども言ったとおり俺もそれは知っていた。
しかし、まさかこれほどまでとは思っていなかった。
途方に暮れたいのは俺の方だ。
「あや。」
「はい。」
「お前は実家に帰れ。」
「もう三行半?!」
こんな娘を16年もの間育ててきた美菜さんの偉大さが良く分かる。
いや、逆か、寧ろこんな娘に育ててしまったことを反省してもらわねばならないのではなかろうか。
いずれにしても、女性特有の衣類やグッズ類は男の俺では手に負えない。
これはもう、美菜さんに責任を取ってもらおう。
「あや。」
「…ぐす、はい。」
「泣いてないで今すぐ美菜さんを呼んでくれ。」
「うう…、ふぁい。」
取り敢えず、初期設定さえしてもらえれば、あとは俺でもフォロー出来るだろう。
美菜さんは、当然呼ばれるものと思っていたらしく、『思ったより早かったわね』と俺と同じ感想を漏らしながら、彩菜の部屋をテキパキと片付けていった。
俺はどこに何が仕舞われているのかを概ね把握して、美菜さんに下着のたたみ方やチェストへの収納の仕方など、
こういうことは洗濯物を片付ける時などには意外と重要なのだ。
美菜さんが彩菜に小言を言い始めたので、俺は彩菜の部屋を出て、隣の涼菜の部屋をノックした。
「すず、開けて良いか?」
「はーい、どーぞー♪」
ドアを開けると、隣と同じ作りの部屋とは思えない、別世界が広がっていた。
「部屋を片付けるってのは、こういうことを言うんだよなぁ…」
「あはは、あやねえの部屋と比べれば、どこだって素敵空間だよねー」
全く同感だ。
彩菜の部屋も今は美菜さんのおかげで綺麗に片付けられているが、はたしてあれが何日保つのやら。
俺と涼菜で時々チェックするしかないのだろうが…。
「なあ、お前たちって、二人とも美菜さんから生まれたんだよなぁ。」
「うーん、あたしも見た訳じゃないからねー」
「俺も見てないしなぁ、じゃあ取り敢えず、遺伝子の悪戯ってことで良いか…」
「そうだねー、何か壮大なテーマっぽいけど。」
「すずとあやの存在そのものが奇跡みたいなものだからな、壮大にもなるよ。」
「うわー、さっすがゆうくん、このシチュでそんなこと言っちゃうんだー」
姉妹を褒め称える言葉ならいくらでも出てくるが、涼菜が若干引き気味になっているので、一つだけでやめておくことにする。
朝からの引っ越し作業で汗をかいているだろう、晩御飯の前にシャワーを浴びるよう、涼菜に促した。
「すずはもう片付け終わったんだろ? シャワーでスッキリして来たらどうだ?」
「うん、そうしよっかな、ゆうくんも一緒にシャワー行こ?」
「俺はもうシャワー浴びたんだよ。」
「そっかー、じゃあさ、今晩お風呂入るでしょ? その時に一緒に、ね?」
「ん、了解。」
「やったー、それでは、シャワーに行って来まーす♪」
「あ、すず、バスタオル忘れるなよ。」
「はーい♪」
駆け出して行く涼菜の後を追うように彼女の部屋を出て、彩菜の部屋を覗くと彼女はまだ美菜さんの説教を受けていた。
彩菜は両目に涙を溜めながら背中を丸めて正座をし、膝の上に両手の拳を乗せたままじっと耐えている。
そろそろ解放してもらわないと、今晩、落ち込んだ彩菜のケアをするのが大変なので、声をかけて彼女をこちらに引き取った。
美菜さんはまだ何か言いたそうだったが、最後に『じゃあ、あとは悠樹くんに任せたからね』と言い残して帰っていった。
これはつまり、残りの説教を俺に託したってことだろうか。
彩菜に視線を移すと彼女は俺の瞳に何かを感じ取ったのか、若干の怯えを滲ませながら体を小さく縮めていた。
美菜さんの期待に応えたいのは山々だが、こんな彩菜の姿を見てしまったら俺のすべきことは一つだ。
俺は暫くの間、彩菜の希望に応える形でひたすら彼女を甘やかした。
美菜さんが先ほど鬼になっていたのは、こうなることを見越していたからかも知れない。
これが彩菜にとって、上手い具合に飴と鞭になってくれれば良いのだが。
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