第39話 新たな世界へ

 図書室で試験対策を始めて1時間半が経った。

一度に詰め込もうとしても効率が落ちるだけなので、また明日取り組むことにして全員後片付けをしていた。

南雲さんは性も根も尽き果てた様子で力無く笑っている。

愛花先生の講習はあと4日あるというのに、先行きが心配になった。


 彩菜は想定問題を順調に熟していて、今日取り組んだ3科目を全問正解していた。

中間試験は学年5位だったが、この調子なら現状維持どころか、さらに上が見えそうだ。


 司書当番なので下校期限まで帰れない俺と彩菜を残して皆が席を立とうとした時、図書室の出入り口から顔をチラリと覗かせて誰かがこちらを伺っていた。

顔が半分以上隠れているので普通は分かりづらいところだが、常に自己主張している部位がその持ち主が誰であるかを明確にしている。

あの人は隠密行動には不向きなようだ。


「あかねは、ゆうに用があるんだと思うよ?」

「ああ、そうだろうな。」

「あのおっぱい、御善くんの知り合いなん?」

「おっぱいと知り合いになった覚えはないよ。」

「でも、御善くんを見てるよねぇ。」

「胸の持ち主なら知ってる。」

「何か揉みごたえありそうじゃん、あれ。実際どう?」

「知りません。」

「ゆう、背中で感触味わってたよね。」

「悠樹くん?! 小さいのはダメですか?!」

「もう勘弁してくれよ…」


 何だこの見事な連携は。

こいつら俺をおもちゃにして何が面白いんだか。

ひょっとして、俺、嫌われてるのか?


 これ以上ここでウダウダしていても埒があかないので、俺は図書室を出て、あかねさんに声を掛けることにした。


「こんにちは、あかねさん、どうしました?」

「あ、えっと、こんにちは…、あの、ちょっと、いいかな…」(小声)


 廊下に出ると当然あかねさんがいるのだが、なぜか彼女は頬を桜色に染めてモジモジしている。

訳がわからず振り返って近くまで来ていた彩菜に助けを求めると、彼女は大きくため息をついてあかねさんに言い放った。


「あかね、いい加減にしなさい、ほら、ゆうに言うことがあるんでしょ?」

「う〜〜〜、やっぱり無理、かも…、恥ずかしいし…」(小声)

「え…」


この人、ホントにあかねさんなのか?


「教室では普通なんだけど、ゆうの話になると途端にこうなの。」

「え、何で。」

「土曜日にゆうに会った時に、こんな風にされちゃったみたいなんだよねー」

「おい、人聞きの悪いこと言うなよ!」

「あー、神崎ちゃんだけじゃなくて、おっぱいまで落としたかー、由香里、アタシらも気ィつけないとだね。」

「うん、わたしは彼氏いるからーって思ってたけど安心できないなぁ、御善くんってさらっと搦め手使って来そうだもんねぇ。」

「悠樹くん、私は君を信じてますからね!」


どうやらここに俺の味方は居ないようだ。

しょうがない、自力で何とかするしかないか。


「ごめん、みんな、先に帰っておいて、俺はあかねさんに話があるから、あや、今日は俺がやっておく。」

「うん、分かった、みんな帰ろうか。」


 彩菜が他の子を引き連れて図書室から離れて行った。

廊下で俺と二人きりになって、あかねさんはオロオロしている。

それでも逃げ出さずに留まっているので、俺と話をするつもりはあるのだろう。

俺は俯くあかねさんを促しながら図書室に戻り、いつも彩菜が座っている席に彼女を座らせた。

 俺はあかねさんの向かい側に座ろうかと思ったが、少し考えて、いつもの席に彼女の方に膝を向けて腰を下ろす。

あかねさんは俺が隣に座ったのを横目で見て、俯いたままおずおずとこちらに向き直った。


「あかねさん、俺に話があるんですよね。」

「…うん、そうなんだけど、その…」

「ゆっくりで良いですよ、ちゃんと待ってますから。」

「ありがとう…」


 あかねさんは深呼吸をして気持ちを落ち着けているようだったが、やがて小さく口を開いた。

顔は俯き加減のままだった。


「あの、ごめんね? 引き止めちゃって、迷惑掛けてるよね…」

「そんなこと思ってませんよ、そう思ったら話を聞こうとはしませんから。」

「うん、きみは優しいもんね、きっとそう言ってくれると思ってた。」

「あかねさん、先に俺から謝ってもいいですか?」

「…え?」

「土曜日にスーパーで失礼な態度を取ってすみませんでした、先輩に対してするようなことじゃなかったですよね。」

「そ、それは違うよ? きみが嫌がってるのに、わたしがふざけちゃったからいけないの、だから、謝らないで?」

「でも、あかねさんが先週までと違うのは、俺のせいですよね。」

「うん…、それは、そう、でもね、きみの『せい』じゃないよ? きみの『おかげ』が正解かな。」

「どういうことですか?」

「あのね、きみのおかげで、わたしは自分の気持ちを知ったの。」

「あかねさん?」

「ううん、違うね、きみが、本当のわたしを見つけてくれた。」

「あかねさん、俺は…」

「うん、分かってる、きみには彩菜がいるものね、わたしも彩菜を裏切るようなことはできないもの、でもね、もうダメなの、止められないの、あれからずっときみのことばかり考えてる、だから、お願い、彩菜には内緒にするから、いつもとは言わないから、きみがその気になった時だけでいい、わたしはいつまでも待てるから、だから…ねえ、悠樹くん…、わたしを…」


あかねさんは、初めて俺の名前を呼んで、そして…





「わたしを罵ってーーー!!」





…あー、ついに言(逝)っちゃったよ、この人。


「きみに冷たくされたあの時から、もうゾクゾクが止まらないの! きみの姿を、声を思い出すたびに体が震えて全身に電気が走ったように痺れちゃうの! こんな快感初めて!!」


 俺があんな態度を取ったばかりに、人一人の人生を狂わせてしまったのかも知れない。

だから、俺は責任を取らなくてはならない。

今はただこの人のために…


「他の人じゃだめ、満足できない! だからお願い! もっとわたしに冷たくして!!」


そう決めた俺は席を立って、図書室の全ての窓の遮光カーテンを閉じた。


「え? なに? なにが始まるの?」


読書テーブルに置いていた鞄を持って図書室の出入り口に向かい、部屋の灯りを消す。


「え? え? 暗くしてなにするの?!」


そして、図書室を出てから扉を閉めて鍵を掛けた。


「え、うそ? 悠樹くん、鍵を掛けたの? 暗闇に放置?! いきなり監禁?! あーーゾクゾクが凄い!! 凄いの来ちゃう!! いやーーーーーー!!!」


(ドスン)


 何かが倒れるような音がして、図書室は静かになった。

あかねさん、俺は貴女のことを忘れません、どうぞ安らかに…。





 翌日、図書室で発見されたあかねさんは、前日のことを何も覚えていなかった。

それどころか、土曜日に覚醒した性癖も綺麗さっぱり消え去っていた。

どうやら俺のショック療法が功を奏したようだ。(ただの偶然とも言う)


 ただこの日を境に、あかねさんは俺を『悠樹さま』と呼び、メイド服で傅くようになった。

ひょっとしたら、俺はまた彼女の性癖を一つ解放してしまったのかも知れない…。

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