第36話 好きだから

 御善悠樹には9歳違いの和樹かずきという兄が居た。

御善家の両親は、和樹が生まれてからあまり歳が離れないうちに二人目がほしかったのだが、なかなか子宝に恵まれず、結局、9年後に次男の悠樹が生まれた。

 悠樹が生まれた当時、小学4年生だった和樹は率先して弟の面倒を見ようとした。

小学生が幼い弟を乗せたベビーカーを押して散歩している姿は近所では有名だった。


 悠樹が生まれる1日前には、清澄家に彩菜が生まれている。

彩菜には4歳違いの結菜ゆいなという姉が居た。

 結菜は弟の面倒を見ていた和樹の真似をして妹を連れて彼と一緒に出かけようとしたが、幼稚園児が乳飲み児を連れて出歩くことなど親が認める筈もなく、見かねた和樹が2台のベビーカーをよろよろと押して近所を歩き、それを結菜が必死に支えてついて行く姿が、仲の良い許婚として噂の的になった。


 和樹と結菜は許婚だった。

高校時代からの親友だった御善家と清澄家の両親は、お互いの子供が異性なら許婚にする約束をしていた。

 二人は5歳違いだったが両家がお隣さんということもあり、まるで歳の近い兄妹のように育ち、それは悠樹と彩菜が生まれ、その1年後に涼菜が生まれても変わりはなかった。

 寧ろ、二人で歳の離れた弟や妹の面倒を見ることで絆は強くなり、やがてそうなることが決まっていたかのように、二人は恋人同士になった。


 和樹と結菜が恋人同士になってから程なくして、御善家の両親が急逝した。

二人きりで行った登山中の事故だった。

 大学生になっていた和樹は葬儀の喪主を努め、その後も相続など諸手続きに追われ、悲しみに暮れる11歳の悠樹のケアまで手が回らなかった。

そんな和樹の代わりに悠樹を慰めたのは結菜だった。

両親の死を悼む間も与えられずに奔走する恋人を少しでも助けようとしたのだ。

 御善家の様子が落ち着きを見せた頃、和樹と結菜は婚約した。

和樹は20歳、結菜は15歳の高校生だった。


 二人は結菜が高校を卒業するのを待って入籍した。

社会人になった和樹は結菜との新生活のために新居を用意し、彼女とともに引っ越しの準備をしていた。

そんな幸せに満ちた二人を悲劇が襲った。


 引っ越し業者による作業の前に、掃除を兼ねて直ぐには使わない雑貨類を自分たちで運ぼうと新居に向かっていた二人が乗った車が、大型ダンプに正面衝突されて大破した。

二人は即死だった。


御善家の長男は23歳で、清澄家の長女は18歳で、その短い生涯の終わりを迎えた。





「それが2年前の出来事。それからゆうは、ここで一人で暮らしてるの。」


 彩菜の口から語られた俺たちの兄と姉の人生は、実に簡単なものだった。

23年と18年の人の歩みとは、言葉にするとなんと呆気ないものだろう。


「悲しい筈だよね、両親とお兄さんを短い間に亡くして悲しくない訳はないのに、それなのにゆうは、姉を亡くして泣いていた私たち二人を抱きしめてくれたの、俺がずっと一緒に居るからって言ってくれた。」


 それは優しさなどではなかった。

俺自身が誰かに縋らなければ、立っていることが出来なかったからに過ぎない。

けれど、清澄姉妹にとってはそうではなかったのだ。

そして、この時俺が二人にしたことはそれだけではないのだが、彩菜はそれには触れなかった。

神崎さんに話すべきではないと思ったのだろう。


「私とすずはその言葉にどれだけ救われたか、その時にはもう、私たちはゆうに恋してたから尚更だったよ。だから私たちは、きっともっと悲しい筈のゆうを支えようって決めたの、どんな時でも何時までも、二人でゆうの側に居ようって。」


 彩菜が話をしている間、涼菜は俺の隣に寄り添いながら、左手を両手で包み込んでくれていた。

そのおかげだろう、俺は少し気持ちが沈みかけたものの、悲しみに飲まれることなく話を聞くことが出来た。

もちろん、彩菜が俺たちの心情を交えることなく、事実を出来るだけ淡々と語ってくれたことも大きかった。

 この姉妹は俺自身がそうするよりも、俺のことを大切に想ってくれている。

俺こそがこの姉妹に救われ、支えられているのだ。





 夕暮れにはまだ早い時刻、俺は神崎さんを送るため彼女と並んで歩いている。

あの後、流石に会話が盛り上がることはなく、少しだけ言葉を交わしてお開きになった。

神崎さんは手土産にケーキを何種類か持ってきてくれていたけれど、それも出さず仕舞いになってしまった。


「ごめんね、神崎さん、折角来てもらったのにあんな話をしちゃって。」

「いえ、寧ろ私が謝りたいです。彩菜さんに辛い話をさせてしまって…。彩菜さんはこの間御善くんと涼菜さんが言っていたことの理由を話してくれたんですよね。」

「うん、そうだね。」

「御善くんも涼菜さんも、辛かったですよね…。すみません…」

「神崎さんは謝らないで、謝るのは俺たちの方だから。」

「そんなことは…」

「あやが、俺たちが神崎さんにあの話を聞いてもらったのは、神崎さんにもう一度良く考えてもらいたいって意図もあるんだよ。」

「え…、それって、どういうことですか?」


 彩菜は神崎さんが言ってくれたことを大切にしたいと言っていた。 

それは、神崎さんの好意をただ受け入れることだけを意味していない。

もしも神崎さんが俺たちとの関わりを負担に思うなら、その時はその意思を尊重してほしいと考えてのことだった。


「神崎さんがこれからも俺たちと普通に接してくれるって言ってくれたことはホントに嬉しかったんだ。でもね、それは俺たちのエゴにきみを巻き込むことでもあるんだ。だから、きみがあの話を聞いて、俺たちと関わり合いたくないと思うなら、離れてくれて構わないと思ってるんだよ。」

「…それって、ずるいですよね。結局皆さんが私にどうしてほしいかを言っていません。」

「うん、そうだね、俺たちはずるい。きみに情報を提供するだけで、ただ判断を委ねているんだから。」

「そうですよ。でも、そんな意図、私には関係ないんですけどね。」

「え?」

「寧ろ、あの話は私を後押ししてくれました。私はもっと皆さんと関わっても良いんだって。」

「それは、どういう…」



「私は御善くんが好きです。」



「…えと、神崎さん?」

「好きな人を応援したいと、支えたいと思うのは当然じゃないですか。」


それは、先ほどの話の最後に彩菜が言っていた言葉そのものだった。


「御善くんが私の気持ちに応えてくれることはないってことは分かっています。でも、そんなに簡単にこの気持ちは消せません。だから、せめてこの気持ちがあるうちは、君を応援させてください。私が言ったことを嬉しいと言ってくれた君たちを。」

「神崎さん…」

「これは私のエゴですから、たとえ皆さんが関わるなと言っても無駄ですので、よく覚えておいてください。」


 またやられてしまった。

どうやら俺たちは見誤っていたようだ。

本当にこの子は俺たちの予想を簡単に外して来る。

今回も俺たちにとって嬉しい方向に。


「俺は、きみには勝てそうにないね。」

「ふふ、私、初めて君を負かしましたね。」

「あー、これも勝負だったんだ。」

「そうだ、勝負に勝ったご褒美をもらっても良いですか?」

「ご褒美?」

「彩菜さんや涼菜さんと同じように、これから私のことを名前で呼んでください。」

「え、俺が? 神崎さんを?」

「はい、そうですよ、悠樹くん。」

「…分かったよ、愛花さん。」

「ふふ、嬉しいです。あ、ここで大丈夫です、送ってくれてありがとうございます。」

「うん、愛花さん、また明日。」

「はい、また明日、悠樹くん。」


 数分前までの重たい空気は何だったんだろうと思えて来た。

この子には本当に敵わない。

明日から愛花さんにどう接するべきかと思っていたけれど、そんなことはもうどうでも良くなっていた。


 俺たちには気の置けない友人が出来た。

これが今日一日の最大の成果なのは間違いないようだ。

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