第31話 初恋

 私・神崎愛花は弟の京悟と一緒に帰宅した。

ハンバーガー屋さんを出てから、二人とも一言も口をきいていない。

さっき御善くんと涼菜さんから聞かされた話があまりにも衝撃的で、頭の中がいっぱいだったのだ。


 京悟は自室に籠ってしまった。

私は自室で本屋さんで買ってきた参考書と問題集、バッグを片付けてから部屋着に着替えた。


 何だかとても疲れている。

頭の中では、あの二人の真剣な眼差しが、言葉が、何度もフラッシュバックする。

一人の男性と二人の女性、お互いを大切な存在だと言っていた。

世間ではきっと二股だとか不実だとか、後ろ指を刺される行為であり、考え方だと思う。


 私は昔から人を見る目は確かだと思っている。

試験のことで御善くんに声を掛けたのも、この人なら私の話をちゃんと聞いてくれると直感的に思えたからだ。

それは、清澄先輩にも涼菜さんにも言えることで、私の直感がこの人たちとなら互いの気持ちをきちんと伝え合えると告げていた。


 私が普段接している御善くんと清澄先輩は、とても仲睦まじくお似合いな二人に見える。

今日会った御善くんと涼菜さんも、お互いを信頼し慈しんでいるように見えた。

 そして、御善くんも、清澄先輩も、涼菜さんも、笑顔がとても素敵だった。

三人共、とても幸せそうに見えた。


 ふと、思った。

はたして、それ以外に何が必要なんだろう、何の憂いがあると言うんだろう。

ただ、笑顔で居られるのなら、それで良いのではないだろうか。


「あ、そっか…」


 そうか、そう言うことなんだ。

彼らのことを否定したくない理由は、実に簡単なことだった。


 私はあの三人の笑顔を見るのが好きなんだ。

三人のうちの誰かが悲しい思いをしてしまうのではなく、三人とも笑顔でいてほしいんだ。

私はあの三人に幸せであってほしいんだ。


 あんなのは理性的じゃない、アンモラルなエゴだ、そんなことは分かっている。

けれど、彼らの真実は彼らだけのものだ。

それを私は理解できないけれど、あの魅力的な笑顔を曇らせてはいけないと思う。


理由など、それだけで十分だ。


 彼らのために、私に何が出来るのか分からない。

いや、きっと何も出来ないだろう。

だからせめて、私は見届けたいと思う。

彼らの歩みを、彼らの行末を、目を逸らさずに見続けたいと思う。

そのために、私は彼らの友人でいよう。

きっとこれが、私が彼らのために出来る唯一のことなのだから。





「京悟、今いい?」


京悟の部屋の前で声を掛けたが、返事は返ってこない。


「京悟、聞こえてるよね。開けるよ?」


 ドアノブを回してゆっくり引く。

鍵は掛かっていなかった。

京悟はベッドの上で、所謂体育座りをして、膝に顔をうずめていた。


「京悟、涼菜さんたちのことで話があるの。」


京悟からの返答はなかったけど、構わず話し出す。


「京悟は涼菜さんが好きだったの?」


 京悟と涼菜さんの遣り取りから、恋愛下手の私でも直ぐに分かった。

しかも、京悟は御善くんとも顔見知りのようだった。

御善くんとは一体どこで知り合ったんだろう。


「涼菜さん、良い子だよね。直ぐに友達になりたくなっちゃった。」


 彼女には二言三言交わしただけで、もっと話していたいと思わせる魅力を感じた。

京悟もそういうところを好きになったのかな。


「あのね、御善くんのことなんだけど、彼は私のクラスメイトなんだ。」


それ以前に、私にとっては目の前に聳り立つ巨大な壁なんだけど。


「入学式の時に、背の高い男子がいるなってちょっと気になったの。だって私との身長差が40cmくらいあるんだよ? コンプレックス刺激されちゃうよ。」


 彼は小動物を見るような目で私を見ることがある。

その時の優しい表情に、時々ドキッとする。


「首席合格したのが彼だと知った時はショックだったなぁ。後で調べたらほぼ満点だったみたい、凄いよね。」


 私はそんな人に中間試験で勝負を挑んだのだ。

今思うと無謀も甚だしい。

結局、実力差を思い知らされて落ち込んだけど、御善くんが私を凄いと言ってくれた時、実はとても嬉しかった。


「実はね、京悟のことで御善くんに相談したことがあったんだ。私、学園で親しい男子って御善くんだけなんだよね。」


 私は元来、男子が少々苦手なのだ。

知り合いくらいにはなれても、親しくなることはなかった。

御善くんと何度か遣り取りするうちに、彼は私にとってとても信頼できる存在になっていた。


「京悟、去年の秋頃からちょっと様子がおかしいことがあったから。そしたら直ぐに、京悟は恋をしてたって言われちゃって。ちょっと様子を話しただけなんだけどね。」


 私が恋愛話に疎いから気づけなかっただけなんだけど。

御善くんは同い年だけど、清澄姉妹がいるから恋愛に詳しいのかなぁ…。


「さっき、御善くんは涼菜さんのお姉さんと許婚だって言ったでしょ? 二人は学園で有名な公認カップルなんだよ?」


 御善くんは、二人は付き合ってないって言ってたけど、どう見ても恋人同士としか思えないんだけどなぁ。

そう言えば、付き合ってないと聞いた時、ちょっとホッとしてしまったのはなぜだろう…。


「お姉さん、彩菜さんって名前なんだけど、みんなに学園の姫君って呼ばれるくらい美人なの。あんまり笑わないクール美人って感じなんだけど、御善くんと居る時は笑顔が素敵なんだよねぇ。」


と言うか、私は御善くんと一緒に居る清澄先輩しか知らないんだけど。


 ここまで話して、私はこれから彼らとどのように関わりたいと思っているかを京悟に告げる。


「あのね、私、涼菜さんたち三人を応援しようと思うの。」


 京悟がゆっくりと顔を上げて私を見る。

表情からは生気を感じられなかった。

私は構わず続ける。


「正直、三人の考え方は理解出来ないけど、でも、私は三人が好きだし、御善くんが姉妹どちらと居るのを見ても凄くお似合いだと思った。きっと三人一緒に居ても自然な感じだと思うんだよね。」


 京悟はこちらを見たまま、黙って聞いている。

この子は今、私の話をどう感じているのだろう。


「私ね、あの三人の笑顔が好きなんだよ。それをずっと見ていたいと思った。だから、決めたの。」


私の決意を聞いて、京悟がぽつりと呟いた。


「…そうか。」

「うん。」

「俺、もう少し考えてみる…。」

「分かった。」


それだけ交わして京悟の部屋を出ようとした時、声を掛けられた。


「なあ、姉貴。」

「なに?」

「姉貴って御善さんのことが…。」

「…え?」

「ごめん、何でもない。少し一人にしてくれ。」

「うん、じゃあね。」


 自室に戻って、ベッドに仰向けに横たわる。

私が京悟に話をしたのは、彼のケアと言うよりも、私の考えを誰かに聞いてほしかったからだ。

私の考えを誰かに話すことで、自分の中でもう一度順序立てて整理して、気持ちを固めるための儀式のようなものなのだ。

 思えば最近は、御善くんを相手にこれをやっているような気がする。

私はそれだけ彼を信頼しているということだ。


 そう言えば、さっき京悟は何を言いたかったんだろう。

彼の言葉を反復する。


『姉貴って御善さんのことが…。』


 私が、御善くんのことを何だと言うのだろう。

京悟が言い淀んだ部分を想像しようと試みる。


御善くんのこと…。


 御善くんのことを意識すると、入学式からこれまで見てきた彼の様々な表情が、聞いてきた言葉が次々と浮かんで来た。


少し困ったような彼、

真剣な面持ちの彼、

明るい笑顔の彼、

優しく目を細める彼…、

そして、

私のために紡がれる言葉の数々…。


それら全てがキラキラと輝いていた。


胸が暖かくなるのを感じる。

私は自然と頬を緩めていた。


「あれ? 私…。」


ひょっとして、これって…。


気づいてしまった途端、胸がズキンと痛んだ。

視界が滲む。

やがて両目から涙が零れた。


だって、これはあんまりだ。


折角気づけたのに、初めてなのに、既に叶わないことが分かっているなんて…。


私はうつ伏せになり、枕に顔をうずめて嗚咽を漏らした。

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