第30話 大切な人

「あ、京悟、大人しいから寝てるのかと思った。」

「あ、うん、起きてた。そ、それより姉貴、今の、許婚って…」


 神崎さんが俺と彩菜のことを説明すると、京悟くんは目を大きく見開き、俺と涼菜の間で二度三度と視線を往復させる。

二人揃って苦笑いしている俺と涼菜の様子を見て、彼は意を決したように涼菜に疑問をぶつけた。


「あの、清澄先輩、この人って、先輩の許嫁じゃなかったんですか?」

「え? 京悟、何言って…」


京悟くんの言葉に、今度は神崎さんが目を丸くしている。


 涼菜が視線をくれたので、任せるよという意味を込めて彼女の目を見つめ、頭をふわりと優しく撫でた。

涼菜はふにゃりと笑顔を浮かべてから小さく頷き、表情を引き締めて京悟くんに向き直り、諭すように真実を告げた。


「今の話を聞いたら、そう思っちゃうよねー。あのね神崎くん、よく聞いてね? 確かにゆうくんは姉の許婚なんだけど、実はあたしの許婚でもあるんだよねー」

「「…え??」」


 神崎姉弟が絶句した。


「元々はね、親がそう決めちゃったんだけど、でもあたしも姉もゆうくんが大好きだから、ちゃんと納得して受け入れてるの。て言うかね、あたしたち姉妹二人とも、ゆうくんから離れる気はないし、どっちかを選んでほしいと思ってないんだ。二人一緒にお嫁さんにしてほしいって思ってるくらいなんだよ?」


 これは常日頃、清澄姉妹が口にしていることだ。

現実的かどうかは別にして、気持ちとしては俺も同じで、俺たちならそれが出来ると考えているし、自然なことだとも思っている。

世間からしてみれば、倫理観が壊れていると非難されても仕方ないことなのだろうが。


「俺もすずとあやの二人が好きなんだ。一人一人じゃなくて一組の姉妹として、変な言い方だけど二人セットで好きだし、大切な存在なんだよ。」

「あたしたち姉妹にとって、今、ゆうくんが言ってくれたことって、最高に嬉しいことなの。もうこれ以上はないってくらいにね。だって、ゆうくんは、とっても大切な人なんだもの。」


 俺と涼菜の言葉に神崎姉弟はじっと耳を傾けていた。

二人共、口を真一文字に結びみじろぎ一つせず、俺たちを見据えている。

少しの沈黙の後、神崎さんがため息をつきつつ口を開いた。


「本当に、御善くんには驚かされてばかりです。こんな常識外れな人に会ったのは、君が初めてですよ。」


苦笑いを浮かべながらそう言った神崎さんに、俺も苦笑いを返して続きを促す。


「正直言って…、お二人の考え方は、私には良く分かりません。ただ、お二人が本心から言っているということは伝わって来ました。」

「ありがとう、神崎さん。そう言ってもらえるだけでも有難いよ。」

「私は、君たちの言っていることを理解した訳じゃありません。けど、私にとって御善くんは大切な友人であり目標としている人です。涼菜さんのお姉さんは憧れの素敵な先輩です。涼菜さんとももっとお話ししたいと思っています。」


 神崎さんは一言一言ゆっくりと丁寧に思いを紡ぎ出し、俺たちに届けようとしてくれている。

彼女の真摯な言葉に俺は胸が熱くなるのを感じていた。


「だから私は、これまでどおりに皆さんと接しようと思っています。今聞いたことが理解出来ないからと言って、避けることはしたくありませんので。」


 俺は神崎さんと出会えて本当に良かったと思う。

少しでも理解できない部分があれば、そのもの全てを否定してしまうことがあるのは無理からぬことだ。


 けれど神崎さんは、俺たちの好ましいと思える部分に目を向けて接しようとしてくれている。

それがどれだけ勇気づけられることか。


「ただ、今はまだ混乱しています。なので、あの、今日はこれで失礼しようと思います。京悟もいいよね?」

「うん、分かった…。あの、清澄先輩、御善さん、失礼します。」

「神崎さん、京悟くん、ありがとう、またね。」

「神崎さん、ありがとうございました。神崎くんも、ありがとう。」


 俺たちは席を立つことなく神崎姉弟を見送り、揃って深いため息を吐いた。

どうやら俺は随分と緊張していたようだ。

今この場を包む何とも言えない雰囲気は、決して居心地が悪いものではなく、寧ろ心地良ささえ感じる。


「言っちまったな。」

「言っちゃったね。」


それは涼菜も同じようで、俺たちは顔を見合わせて笑みを交わした。


「あたし、あたしたちのこと、こんなにちゃんと人に話したの初めてだよー」

「俺もだよ。今まではどうせ分かってもらえないと思って、誤魔化してたからな。」

「だよねー、神崎さんたちも多分分かってくれないと思うけど、今までどおりでいてくれるって言ってもらえたのは嬉しいよねー、あたし泣きそうだったよ。」

「ああ、俺もじーんと来た。」


 初めて話した時から、神崎さんは俺の前で常に真摯でいてくれた。

今日、俺が自分たちのことを話す気になったのは、そんな彼女だったからに違いない。

彼女にしてみれば迷惑なことかも知れないが、話を聞いてもらえたことが今の俺たちにとっては本当に有難いことだった。

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