第29話 エンカウント
俺と涼菜は彼女が自習に使う問題集を買うため、駅前の書店に来ていた。
これまでは別の問題集を使っていたが、出題傾向や問題文の違うものに取り組むことで、問題への対応の幅を広げたいと考えてのことだ。
涼菜の自習ペースだと1冊を2ヶ月程度で片付けてしまい、これが5教科となるので、どうしても頻繁に調達することになる。
ここは大型書店ほどではないが、学習書が比較的充実しているので、概ねここで調達することにしていた。
「この問題、切り口が面白いな。」
「解答の解説も丁寧な感じだよね、分かりやすい。」
「ああ、これは買いだな。」
「これはどお?」
「あー、躓きやすそうな箇所を重点的に反復する感じか。すずの引っ掛かりと合えばいいけど、そうじゃないと無駄になるぞ。」
「じゃあ、保留?」
「そうだな、これは今回はやめとこう。」
数学を中心に数冊選定してレジに並ぶ。
雨天とは言え土曜日の午後だけあって来店客が多く、順番が来るまで少し時間が掛かった。
会計を済ませて書店を出ようとしたところで、後ろから声を掛けられた。
「御善くん、こんにちは。」
「こんにちは、神崎さん。神崎さんも本を?」
声を掛けて来たのは神崎さんだった。
彼女は俺と同じように書店の袋を持っていた。
小さな彼女が持つと、その袋が大きくて重たそうに見える。
「はい、私は参考書と問題集を。御善くんは?」
「俺はこの子の問題集を買いに来たんだよ。すず、こちらはクラスメイトの神崎愛花さん。」
俺の影に隠れるように立っていた涼菜の背中へ手を回して軽く前に押し出すと、彼女は少し戸惑いながらペコリと頭を下げた。
『神崎』と言う苗字に思うところがあるのだろう。
「こんにちは、清澄涼菜です。」
「神崎愛花です…、あの、清澄彩菜さんのご姉妹ですか?」
「そうです、彩菜はあたしの姉です。」
「うわぁ…、姉妹揃って美人さんなんだぁ…。」
神崎さんは、うわぁと口を開けたまま、目を丸くして涼菜に釘付けになっている。
その様子が餌をねだる雛鳥のようで、開いた口にひょいと食べ物を放り込みたくなる。
書店の出入り口付近でそんな遣り取りをしていると、さらにもう一人、神崎さんの連れが合流した。
「姉貴、お待たせ。って…え?」
現れたのは神崎さんの弟・京悟くんだった。
彼にしてみれば、自分の姉が、想い人とその許婚と一緒に立ち話しているのだから、驚愕して当然だろう。
案の定、彼はその場で石のように固まっていた。
涼菜は薄く苦笑いしている。
「あ、京悟、こちらクラスメイトの御善くんと…、あれ? 京悟、どうしたの?」
俺は弟の様子に首を傾げる神崎さんに声を掛けた。
「神崎さんは弟くんと来てたんだね。」
「はい、この子が本屋さんに行くと言うので、私もついて来ちゃいました。」
「やっぱり仲がいいんだね。それじゃあ、俺たちはこれで帰るね。」
「あ、あの、私たちこの後ハンバーガー屋さんで軽く食べて帰ろうと言ってたんですけど、もし良かったらお二人もどうですか?」
ここにいる四人の中でただ一人、俺と涼菜、そして京悟くんの事情を知らない神崎さんが、四人での懇談を提案してきた。
学園ではクラスが上手く回るように学級委員としてさりげなく気を配っているのを目にしているが、ここでも彼女の気配りが発揮されたようだ。
緊急停止した京悟くんはさておき、俺は一度顔を合わせてから接触のない彼の現状が気になるし、涼菜を見ると構わないという様子だったので、了承することにした。
神崎さんは、まだ意識が戻っていない京悟くんを引きずるようにしてハンバーガーショップに入り、俺と涼菜が後に続く。
小さな神崎さんが片手で傘を差して、もう片方の手で大柄な京悟くんを有無を言わさず引っ張る姿は、姉の強さを感じさせた。
俺たちは飲み物とポテトフライを購入して、四人がけのテーブルに着いた。
京悟くんは再起動したものの、ガチガチに硬くなって飲み物に目を落として動かない。
ちょっと可哀想かなとも思うが、狭い街では遅かれ早かれ起こりうることなので、運が悪かったと思って諦めてもらおう。
「今日は清澄先輩は一緒じゃないんですね。」
「あやはちょっと調子が良くなくて、家で休んでるんだよ。」
「そうなんですね、お大事にと伝えてください。」
「うん、ありがとう、伝えておくよ。」
彩菜は梅雨で天候不順が続いているためか、生理が重くて家で伏せっている。
思えば去年もそうだった筈だ。
女性は本当に大変だと思う。
神崎さんが今度は涼菜へ話を向ける。
「涼菜さんは高1ですか? それとも中学生?」
「あたしは中3です。前武中に通ってます。」
「じゃあ、京悟と同じ学校ですね。この子は2年生ですけど。」
「そう言えば、神崎さんは前武じゃないよね。同中なら俺も分かると思うんだけど。」
「はい、私は私立に行きましたので。なので地元の学校に通うのは3年ぶりです。」
学区が同じはずの神崎さんを知らなかったので、多分そうなのだろうと予想していた。
公立中の学習内容では物足りなくて、私立を選択したのだと思う。
「小学生の時に御善くんの存在を知っていれば、前武に行ってたかも知れませんけどね。」
「今更だけど残念だな、神崎さんが居たら良い刺激をもらえたと思うよ。」
「それ、絶対嘘ですよね。涼菜さんは高校どこを受けるんですか?」
本音を言ったにも関わらず一蹴されてしまった。
神崎さんは会話をコントロールして、俺と涼菜に上手く話を振ってくれる。
京悟くんだけ会話に加われずにいるのがちょっと心苦しいが、今の状況では仕方ないだろう。
「あたしは姉とこの人、ゆうくんが居る稜麗を受けようと思ってます。合格すれば神崎さんも先輩ですね。」
「わあ、涼菜さんに先輩って呼ばれるの嬉しいですね。来年が楽しみです。」
「あはは、あたしも楽しみです。」
「それにしても、『すず』に『ゆうくん』って呼び合ってるんですね。」
「うん、幼馴染だしね。」
「そっか、許婚の妹さんと仲良しって良いですね。この先も円満そうです。」
ここで神崎さんがややこしいネタをぶっ込んできた。
これを聞き逃さなかった京悟くんがピクリと反応して、初めて小声で呟いた。
「…許婚の妹さん、…?」
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