第28話 朝の教室
「髪型変えたい。」
梅雨の真っ只中、今日もしとしとと雨が降る登校中に彩菜が唐突に言い出した。
「急にどうしたんだよ。」
「湿気が酷くて頭が重いし女の子の日でお腹も重いしで、気が滅入ってるの。」
「あー、女子はなぁ。」
確かに彩菜の血色がいつもより良くないように感じていた。
メイクも普段と比べて若干濃いめにしている。
「だからさー、気分を変えられないかなーって思う訳ですよ。」
「うち出る前なら良かったけどな。もう学園に着くぞ。」
「ゆう、学園に着いたら髪結って。」
「え、どこでだよ、場所ないだろ。」
「私の教室。」
「マジですか…」
彩菜のリクエストには大概応えているが、今回のは結構難易度が高い。
髪を結うこと自体は造作もないが、問題はその場所だ。
2年生の教室で衆人環視の下でとなると、アウェイ感が半端ないだろうし、学園内で妙なレッテルを貼られかねない。
今更恥ずかしいとは思わないが、それをネタに弄られるのが鬱陶しい。
俺のクラスでなどは言わずもがなだ。
やがて俺たちは昇降口に辿り着く。
早い時刻なので、生徒はほとんどいなくて静かだ。
「えー、彩菜さん、ご再考いただくことは…」
「ありません。」
「2年1組のみなさんにご迷惑が…」
「さ、一緒に行こうね♪」
「…はい。」
彩菜はニッコリと微笑みながら、俺の腕をグイと引く。
これ以上無駄な抵抗をしても仕方ないので俺は覚悟を決めて彩菜について行き、何食わぬ顔をして2年1組の教室に入った。
「おはよう。」「おはようございます。」
「あ、清澄さん、おはよう、…あれ? その人は?」
「私専属の髪結師、今から三つ編みにしようと思って。」
学園の姫君は、三つ編みをご所望のようだ。
彩菜は自分の席に着くと、体ごと横を向いて後頭部をこちらに向ける。
目の前で揺れる長い黒髪は、今日も艶やかで美しい。
「ゆう、緩めの2本でお願い。」
「かしこまりました。時に姫、ヘアゴムはお持ちで?」
彩菜は鞄から黒いヘアゴムを2つ取り出して俺に渡す。
先ほど挨拶した女子生徒をはじめとして、教室にいる先輩たちが興味津々にこちらに注目していた。
「ねえ、あの人、清澄さんの…」
「うん、多分そうだと思う…」
「姫君の御髪を男が触ってる…」
「何か手慣れてない?」
「 」「 」「 」・・・
あちらこちらから囁き声が聞こえてくるが、脳内で静音処理(所謂シカト)して構わず髪を編み始める。
普段一緒に過ごす時に彩菜の髪を勝手に編んで遊んだり、彼女が遊びに出掛ける時などに希望の髪形に結ってあげることもあるので、それほど手間暇は掛からないだろう。
「ちゃんと三つ編みするの久しぶり。」
「そうだな、一年振りくらいか。髪、引き過ぎてないか?」
「大丈夫だよ? そっか、去年も梅雨だったかな。」
「確か3日で飽きたよな。」
「あはは、そうだったかも。」
左側が編み上がったので、右側に取り掛かる。
SHRには余裕で間に合いそうだ。
「髪、大分伸びたよな、そろそろ毛先整えるか?」
「そうだねー、お願いしようかな。」
「ん、了解。」
「ゆうも切る?」
「俺はまだいいよ、梅雨明け頃かな。」
二人でいつものように緩い会話をしているうちに、右側も編み上がった。
少し後ろに顔を引いて、編み上がりを確認する。
バランスも良いし、後ろから見る限り仕上がりは上々だ。
ポケットからスマホを取り出してパシャリと撮影する。
彩菜の前に回り込んで顔を見ると、心なしか先ほどよりも血色が良くなったように思えた。
彩菜に後ろから見た髪の画像を見せる。
「あや、後ろはこんな感じでどうだ?」
「うん、綺麗に出来てる、良いね。」
「素材が良いから綺麗に出来るんだよ、前は自分で見といてくれ。」
「分かった、スマホ借りるね。」
俺も正面から最終確認をする。
頬に垂れていた髪を耳に掛けてあげると、彩菜は少し照れた表情で目尻を下げた。
「ふふ、ありがとね。」
「あや、ゴム隠しはあるか?」
「うーん、今日は持ってないなー。黒いヘアゴムだからいいよ。」
「おはよう、彩菜。これ使って?」
俺と彩菜の間にえんじ色のリボンが2本差し出された。
2年生のリボンタイがえんじ色なので、色味も合うだろう。
リボンを貸してくれたのは、あかねさんだった。
「おはよう、あかね。ありがとう、使わせてもらうね。」
「どういたしまして、て言うか〜、朝から教室で二人の世界作ってイチャイチャなんて、やるじゃな〜い。」
「イチャイチャしてない。髪編んでもらってるだけでしょ。」
「わ〜、そんなこと言ってる〜。許婚くんの見解は〜?」
「俺たちはこんな感じなんで。リボンありがとうございます、助かりました。」
「いえいえ〜、いつもごちそうさまです♪」
周りは生徒も増えてまだざわついているが、彩菜の髪を編み終えたので俺はこの場を離れることにする。
あまり長居すると色々と話が飛んできそうで面倒だ。
「じゃあ、放課後にな。」
「うん、ありがと、ごめんね?」
「そう思うんなら、次は家を出る前に言うように。」
「はーい♪」
「先輩方、お騒がせしました、失礼します。」
教室の出入り口で頭を下げて、自分の教室へ向かう。
彩菜が急にあんなことを言い出したのは、俺をお披露目したかったからだろう。
彼女は俺をクラスメイトに紹介したいと言っていたので、そのうち何かあるかもと思っていたが、こんなに早く、しかもあのような形でとは予想外だった。
その後、今朝の2年1組でのことが、昼休みには1年生にまで広まって来た。
俺は『学園の姫君専属髪結師』の職を得ていたようだ。
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