第8話 あかねインパクト

 金曜日の放課後、俺が図書室でいつものように今日の課題に取り組んでいると、ズッと読書テーブルを挟んだ向かいの椅子が引かれる音がして誰かが座った。

わざわざそこに座るということは俺に用があるのだろうと、徐に顔を上げた瞬間、俺の思考は停止した。


おっぱいがあった。


 目の前の席に大きな胸が座って…、いや違う、一人の女子生徒が、そのたわわな女性のシンボルを読書テーブルにドンと乗せて、蠱惑的な笑みを浮かべていた。

俺は目の前の光景にしばし固まっていたが、隣に座る彩菜が脇腹を少し強めに小突いたことで我に返った。


「ゆう、おっぱい見過ぎ。」

「いや、普通見るだろ、これ。」


 ジト目で睨む彩菜に言葉を返しながら、俺はかの女子生徒を、ではなく女子生徒の胸を指し示す。

他人に、しかも初対面の女性に対して失礼な言動なのは分かっている。

しかし、思春期の男子にこの衝撃は大き過ぎて、俺の一般常識はどこかに吹き飛んでしまっていた。

もしもこのメガインパクトに耐えられる高1男子がいたら教えてほしい。


「あかねもそんなことしないの。はしたないし、ゆうが困ってるでしょ。」

「だってほら〜、たまにどこかに置かないと肩凝っちゃうんだもん。別に自分が大きくしたかった訳じゃないのに、いやになっちゃう。」

「それ私に喧嘩売ってる?」


 彩菜が、あかねと呼んだ女子生徒をジト目を強めて牽制するが、当の本人は舌をぺろりと出してあっけらかんとしていた。

彩菜もそれなりにある方だが、あれと比べたら勝ち目はない。


「ごめんごめん、彩菜ご自慢の許婚くんを見に来たんだけど、チラッと見たら意外とイケメンで背も高そうだし、私好みだったからちょっと誘っちゃった〜♡」

「ちょっとやめてよね! ゆうは私のなんだから、誘惑禁止!」


 彩菜は立ち上がり、俺の頭を全身で包み込むように抱きかかえると、あかねさんに睨みを効かせた。

こんな時、俺は彩菜のされるがままになっていることが多い。

何せこの状態、彼女の柔らかい感触と香りに包まれて、結構気持ち良いのだ。


 あかねさんは俺と彩菜を揶揄って、実に愉しそうにしている。


「あははは、ホントにごめんね〜。もうしないから許して〜」

「とりあえず先輩方、ここは図書室なので、まずは静かにしましょう。」


 これ以上長引かせると彩菜がさらにヒートアップしそうなので俺が二人を諫めると、彩菜はハッと我に返り、周りを気にしながらバツが悪そうに座り直した。

あかねさんはと言うと、何食わぬ顔で椅子の背もたれに寄りかかり、豊満な胸をテーブルから下ろしていた。

思わず名残惜しさを感じてしまった。


 この寂寥感は男として当然だと思うが、顔に出ていたのか、あかねさんが悪戯っぽく笑みを深める。


「あら〜? 許婚くんは私のお胸に興味津々みたいだね〜、後でこっそり生で見せてあげようか? あ、折角だから触ってみる〜?」

「いいえ結構です! 間に合ってます!」「ゆうは私の胸に夢中だから必要ないよ!」


 尚も続くあかねさんの揶揄いに思わず大声で叫んでしまった俺と彩菜は慌てて立ち上がり、離れたところに座っている数人の図書室利用者と司書当番に深々と頭を下げた。

大声を上げてしまったことも反省すべきだが、それよりまずいのは彩菜が発した言葉の内容だ。

俺の方が声が大きかったので、同時に叫んだ彩菜の声がかき消されていると良いのだが、月曜日の学園の様子を想像すると少々頭が痛い。


「あははは、やっちゃったね〜」

「まったく、誰のせいだと思ってるんですか。」


 俺の抗議にあかねさんは悪びれることもなく、テヘッと赤い舌を見せて声を抑えて笑っている。


「あは、今度こそごめんなさい。ちょっとやり過ぎちゃったね〜」

「もう、勘弁してください。」「もう、勘弁してよー」


俺と彩菜は二人揃って頭を抱え、読書テーブルに突っ伏していた。


 あかねさんとの遣り取りに居た堪れなくなった俺たちは、いつもより早い時刻に逃げるように図書室を後にした。

もちろん、あかねさんも一緒だ。

俺は来週から図書室が利用しづらくなりはしないかと少し心配になっていたが、今考えても仕方ないので一旦思考から外した。


 俺たち三人が揃って廊下を歩いていると、皆がこちらを見ているようだった。

学園の姫君はもちろんだが、あかねさんもふんわりした雰囲気のなかなかの美人だ(しかも巨乳)、人目を引くのはやむを得ないだろう。

…と、俺はそう思っていたのだが、あかねさんと彩菜の見立ては違うようだ。


「あらら〜、みんなあなたたち二人のことが気になるんだね〜。さすが美男美女。」

「ゆうは背が高くて雰囲気も大人っぽいから、私とはお似合いって思われてるんじゃないかな。」


 普段はほとんど笑顔を見せないクールな学園の姫君が、薄くとはいえ微笑みを浮かべていれば、男子と連れ立っているのも相俟って、さらに目を引くことはなるほど頷ける。

取り敢えず、美男ってのが誰のことなのかは置いておこう。


「きっと、『学園の姫君の隣にいるのは噂の許婚か?!』って、感じよね〜」

「え? それって結構広まってるんですか?」

「ていうか、彩菜と許婚くんっていっつも図書室でくっ付いてるし、登下校も一緒でしょ? 手を繋いでるのも見られちゃってるし。それに今まで彩菜は告白されても許婚がいるからって断ってるから、噂が広まるのは当然だよ〜」


 つまり、俺の入学当初には俺と彩菜の噂が立ち始めていたということか。

このことを彩菜から聞かされなかったのは、彼女が大して気に留めていないのと、そもそも二人の仲を隠す気がないからだろう。


 こうなったらもう俺は開き直るしかない。

多分危害を加えられる心配はないと思うが、嫉妬ややっかみが飛んでくるのは覚悟しておいた方が良さそうだ。

中学校に一緒に通っていた時もそんな感じだったから、まあ、何とかなるだろうな。


「ふ〜ん、なんか二人とも余裕綽々だよね〜」


 校門から通学路に出たところで、あかねさんが感心したように二度三度頷きながら、俺たちに声を掛けた。


「う〜ん、だって今更だし? ってか、私が学園に入学してからの1年間は、ゆうと一緒に通学出来なくても我慢するしかなかったからね。折角ゆうが入学してくれたんだもん、もう絶対側を離れる気はないよ!」

「あははは、凄い力の入れよう! 許婚くんもこんなこと言われれば嬉しいよね〜」

「俺もあやを離す気はないですし、そう言ってもらえるのは嬉しいですよ。」

「うわ〜、そんなことさらっと言えちゃうんだ〜、お姉さん赤面しちゃうよ〜」


 あかねさんは実際には顔を赤らめることもなく、口元に拳を当ててくねくねとしなを作っている。

このまま彼女と付き合っていると、彩菜に悪影響が出るのではないかと心配になってきた。

彩菜には友達はちゃんと選ぶように言っておこうと心に誓った。

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