第7話 可愛いのはどっち?

 やがて神崎さんはやおら上体を起こして、今度は恐縮するように苦笑しながら…


「はあ、緊張しました…、けど、何とか言い切りました。身勝手なことを言って本当にすみません。でも、これで次の目標が定まりました。今日からは君を目指して頑張ります。」

「いやいや、そんな大袈裟な。でもまあ、どんな形でも俺が神崎さんの役に立てるなら、それで良かったかな。俺も神崎さんをがっかりさせないように頑張らないとね。」


 言うべきことを言って気持ちが切り替わったのか、先ほどと違って晴れ晴れとした表情の神崎さんは、俺がいつもと変わらない調子で声を掛けるとぴょこんと背筋を伸ばして満面の笑みを浮かべる。

この子の動作は一々可愛らしい、最早計算ずくなのではないかとさえ思える。


「はい、まずは再来週の中間試験で勝負ですね、お互い頑張りましょう!」


 運動会で元気いっぱいに勝ち鬨を上げる小学生のようだった。

先ほどまで緊張した表情で決意表明していた子とは思えない。

目の前に右手を上げて『おー!』と叫んでいる神崎さんの姿が浮かんだ。


それにしても…


「やっぱり勝負なんだね。」

「その方が気合が入りますので!」


神崎さんは両手にちっちゃな拳を作ってふんっと鼻息を荒くする。


「もう十分気合入ってるんじゃない?」

「いえ、もっと気合を入れないと君には勝てません!」

「そんなに1位が取りたいんだね…」


 俺には彼女が1位に拘る理由は分からないが、だからと言ってそれを否定する必要もないので、頭に浮かんだ言葉を素直に口にしていた。


「それでは言いたいことは言いましたので、私はこれで失礼します。清澄先輩もお邪魔しました。」


 神崎さんは席を立って俺と彩菜にちょこんと頭を垂れて踵を返し、ちょこちょこと小走りで図書室を後にした。


 神崎さんが図書室を去り、読書テーブルには俺と彩菜が残された。

彩菜は毒気を抜かれたような何とも言えない表情で出入り口を見ていた。

きっと俺も似たような顔をしているだろう。


「なんか凄い子だったね。」


 彩菜が楽しそうに笑顔を俺に向ける。

俺も彼女に視線を移して苦笑いを浮かべた。


「ああ、突風に吹かれた気分だ。」

「あ、分かる、いきなりゴーッと来たかと思うと、ババッと通り過ぎてく感じ。」

「だな、こっちを引っ掻き回してとっとと行っちまうんだよ。」


俺が呆れ半分に言葉を吐き出すと、彩菜は悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「でも、ゆう。こういうの嫌いじゃないでしょ?」

「そうだな。と言っても、俺はいつもどおりにするだけだけど。」


 神崎さんに引っ張られて俺まで熱くなる必要はない。

余計な熱を帯びることで自分を見失うことになっては、普段できることも出来なくなってしまうかもしれない。


「ところで、」


突然、彩菜が話題を変えた。


「話は変わるけどさ、あの子、すんごく可愛らしかったね!」

「やっぱりそっちの話になるのな…、はぁ…」


若干興奮気味の彩菜を見て、俺は露骨にため息をついて見せた。

どうやら彼女のスイッチが入ってしまったようだ。


 実は彩菜は無類の可愛いもの好きだ。

彼女の自室はぬいぐるみで溢れ返り、様々なグッズ類がところ狭しと置かれている。

彩菜が愛でる対象は物だけに限らず、可愛いものなら何でも来いで、動物や当然、人にも当てはまる。

なので、先ほどの小さくて可愛らしい女の子は、まさに格好のターゲットとなるだろう。

あの愛くるしさを目の前にして、よく我慢できたものだ。


「ねえねえ、神崎さんのフルネームは何て言うの?」

「神崎愛花さんだよ。」

「愛花ちゃんか〜、う〜ん、見た目どおり可愛らしい名前だね〜、背もちっちゃくて小学生みたい♪」

「それ、神崎さん本人に言うなよ。気にしてるみたいだからな。」


 入学して間もない頃、神崎さんがクラスの女子に身長や容姿のことで少し揶揄われたことがあった。

揶揄った本人に悪気はなく、神崎さんも本気で怒ってはいなかったが、やはり幼く見られることを気にしているようだった。

ちなみに彼女の身長は140cmらしい。


それを彩菜に伝えると彼女は笑顔から一転、プクッと頬を膨らませた。


「む〜、ゆう、まだ彼女と知り合って一月くらいなのにそんなこと知ってるんだ〜、仲良しさんなんだね〜」

「何だよ、やきもちか?」


俺は今日何度目かのため息をつく。


「俺がお前とすず以外の子に興味を持つはずがないだろ。神崎さんのことはたまたま聞こえただけだ。」


 俺がそんなこと気にするなと言うように彩菜を見つめると、頬から空気は抜けたものの、なおも拗ねた様子を隠さない。


「それは分かってるけどさ、ちょっと嫌だったんだもん。」


 何とも可愛いことを言ってくる彩菜を今すぐ抱きしめて撫でまわしたい衝動に駆られたが、図書室でそこまでする訳にもいかないのでグッと我慢して、右手をぽんっと頭に置くだけに留めた。


「まったく、あやの方がよっぽど可愛いだろ、うちに帰ったら沢山撫でてやるから許してくれ。」

「ほんと? 約束だよ!」


 彩菜は俺の右手を両手で包み込み、今日一番の笑顔を見せてくれた。

司書コーナーにいる今日の司書当番がこちらの様子に目を丸くしていたが、俺はあえて無視しておいた。

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