第6話 勝負してください!
その日の授業が全て終わり、俺は図書室の読書テーブルで今日の授業で出された課題を片付けていた。
司書当番日以外の図書室での定位置は、出入り口から一番遠い窓際の奥の席だ。
この席を選んだのに深い意味はない。
初めて図書室を利用した時に、たまたま誰も座っていないテーブルを見つけたのが始まりで、いつの間にかここが定位置のようになっていた。
俺は普段、授業が終わって直ぐにほとんど誰もいない図書室にやって来るので、多分これからもこの席を利用し続けることになるだろう。
俺の隣では、いつものように学園の姫君が、やはり今日の課題に取り組んでいる。
俺が学園に入学してから一月あまり経つが、放課後は図書室で彼女と一緒に課題を片付けてから帰宅するようにしていた。
俺や彩菜と同じ中学校出身であれば俺たちの距離感は最早周知のことだが、二人の関係を知らないほとんどの学園生にとって、俺は姫君に纏わりつく謎の新入生と言ったところだろう。
登下校や図書室での様子を見れば、俺たち二人のことはあまり時間を置かずに皆に広まって行くのだと思う。
図書室での時間が30分ほど過ぎた頃、出入り口から小柄な女子生徒が一人入って来て、キョロキョロと誰かを探すような素振りを見せていた。
俺は彼女に見覚えがあった。
ちょっと背が低い彼女は、制服を着ているから何とか高校生と認識できるが、クリッとした瞳にリスを思わせるような少々幼く見える可愛らしい顔つきも相俟って、多分私服だと小学生と勘違いされるのではなかろうか。
神崎さんは奥のテーブルに陣取る俺を見つけると、ダークグレーのポニーテールを揺らしながら近づいてきた。
俺のところへとてとてと歩いてくる彼女を見ていると自然と頬が緩んでくる。
まるで、二本足で歩くフェレットのような愛くるしさだ
やがて神崎さんは俺の傍で足を止めて、緊張した面持ちでこちらへ視線を向ける。
どうやら彼女は俺に用があるようなので、シャーペンをノートの上に置いて声を掛けた。
「お疲れ様、神崎さん。俺に何か用?」
声を掛けられた神崎さんは緊張を隠さずに俺と彩菜をチラチラと覗い、口元をもぞもぞするだけでなかなか返事をしてくれない。
「ゆうに話があるんでしょ? 私、席を外そうか?」
「い、いえ、大丈夫です、清澄先輩。お気を遣わせてしまってすみません。」
彩菜の言葉に神崎さんは少し慌て気味に返事をして、気持ちを落ち着かせるようにこほんと軽く咳払いをしてから、意を決して口を開いた。
「その、御善くん、中間試験で私と勝負してください!」
「え…、勝負って、いったいどういうこと?」
俺は唐突な話に驚いて、神崎さんに真意を問う。
神崎さんは俺の向かいの席に座り、姿勢を正して話を切り出した。
「今年の入学試験、御善くんは首席でしたよね。」
「うん、確かにそうだったけど。」
合格発表の数日後に学園から連絡があり、首席合格したことと入学式で代表挨拶することを告げられた。
発言内容を学園側が用意してくれたので、挨拶自体はなんてことはなかったのだが、その後暫く学友から『首席さま』と呼ばれることに辟易した。
「私は御善くんに次ぐ2位でした。試験の合計点は480点です。」
彼女の言葉に俺は軽く眉根を寄せた。
正直、俺は自分の試験順位に興味がないし、入学試験の点数など知ろうとも思わない。
結果的に俺が首席合格したが、所詮は一発勝負の入学試験だ。
その日の体調や精神状態次第で、試験成績が左右されることもあるだろう。
だから、学園に入学することが出来るのであれば、試験順位などどうでも良かった。
しかし、神崎さんにとっては違うようだ。
「私の試験成績は担任に教えてもらいました。ちなみに3位の人とは合計で30点以上の開きがあるそうです。」
「それはすごいね。」
あの試験問題は随分とレベルが高かった。
きっと例年であれば3位の生徒が首席でもおかしくないだろう。
そんな試験で神崎さんは5教科平均で96点取っているのだから、大したものだと素直に感心した。
「でも、御善くんは私より上にいます。つまり、君はあのハイレベルな試験でほぼ満点の解答をしているということです。」
俺は頷くこともせず、黙って彼女の言葉を聞いていた。
「私はとても悔しいです。私は誰よりも必死に努力してきました。それはこれまで受けた全国模試の結果にも表れていますし、それを誇りに思っています。」
俺は神崎さんの熱に満ちた姿が眩しくて、思わず目を眇める。
彼女は、俺にはない昂りを持っているようだ。
「けれど、私の前に君が立ちはだかりました。だから今、私は君を越えたいと思っています。これからは君が私の目標です。さっきは勝負と言いましたが、これは私の勝手な決意表明です。私はきっと君を越えて見せますので、覚えておいてください!」
神崎さんは一頻り捲し立てると緊張の糸が切れて気が抜けたのか、だらりと体の力を抜いてテーブルに突っ伏してしまった。
まるで小さな子供が元気に遊んでいたと思ったら突然電池が切れたように所構わず爆睡してしまう様だと思い、彼女に気づかれないようにこっそりと苦笑した。
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