第9話 キス

「セージ」


 コタはじっと私を見て呼んだ。その顔は困惑に満ちている。だが今更隠すこともあるまい。


「お前、私を見て何とも思わなかったのか?」

「いや、それはその……随分俺が小さい頃と変わらないなって思ったけれど、あまり見かけが変わらない人かと」


 コタはそう言った。そう、実は私はコタと初めて会った時から見かけが全く変わっていないのだ。普通なら変だと思うだろうが、コタは軽く考えていたようだ。


「じゃあ、不老不死って本当に? 大魔女の片腕の賢者様だという事も」

「そうだ。自ら賢者と名乗った事はないがな」


 私はあっさりと答える。これは逃れようのない事実だから。

 今から五百年前、私は大魔女と呼ばれるヴェロニカに育てられ、その片腕をしていた。だがヴェロニカが寿命を迎えた時、死に際彼女は私に呪いをかけたのだ。


 それは《不老不死の呪い》


 おかげで私は死ぬ事も老ける事もなくなり、不老不死の秘密を知りたがる人間から狙われるようになった。だから私はあまり人と関わらず、住処を転々としてこれまで暮らしてきた。

 今までずっと。


「じゃあ、セージは一体いくつなの?」

「正確に数えてはいないが、今年で大体五百歳ぐらいになる」

「五百……歳」


 途方もない年数に驚いているようだ。私だってこんなに長生きする予定はなかった。呪いさえなければ。


「わかったか。つまり私はお前と同じ時を生きれないという事だ。これまで私の知る誰もがそうだったように」


 ……皆私を置いて死んで行ったように。


「だから俺を無理やり追いやった? もしかして二十年前、急に姿を消したのも」

「そうだ。だから、もう私に関わらないでくれ」


 一人取り残されるぐらいなら私の方から捨ててやる。

 だが私の言葉を聞いていなかったのか、コタは傍にやってくると私をぎゅっと抱き締めた。


「そんな長くを一人でっ」


 慰めるような言葉と温かく力強い腕に、思わず私の心は動かされそうになる。でもこの優しさに甘えたら最後、もう一人では立っていられない。


 ……私を置いてお前も死んでしまうくせに。同情なんてするな!


「やめろ! もう私に関わるな!」


 私は暴れてコタから離れた。しかしコタは真っすぐな目をして私を見た。


「嫌だ。俺は離れない、これからも関わるよ」


 それはハッキリとしていて私は困惑する。その意思は小さい頃から変わっていないから。


「どうしてお前は昔からそうなんだ。なぜ、私なんだ!!」

「そんなのセージだからだよ。セージが好きだから」


 叫んだ私に、コタは迷わず笑って答えた。だから私はたじろいでしまう、揺るがない思いに。そしてそんな私をコタはもう一度抱き締め、言い聞かせるように囁いた。


「セージ、好きだよ」


 嘘偽りのない言葉に私は言いようのない気持ちになる。


 ……何がそんなにお前にそこまでさせる? 私はお前に何もしてないのに。


「どうして……なんで、そこまで。私がお前に何をしたっていうんだ。お前が小さい頃、たまたま近くに住んでいただけじゃないか」


 私はもう振りほどけない腕の中で小さく呟いた。そうすればコタは私の耳元で答えた。


「セージは覚えていないだろうけど、セージは俺が一番欲しいものをくれたんだよ」


 私はそれが何なのかわからなくて顔を上げる。そうすればコタは笑った。


「セージはね、俺を初めて認めてくれて、頭を撫でてくれたんだ」


 コタは懐かしむように言い、私は困惑する。

 それが一体どうした? 頭を撫でたからなんなんだ? と。

 でもわかっていない私にコタは説明してくれた。


「セージはあまり気にしてなかったけど、子供の頃の俺は本当に無口で、喋りもせず愛想もなかった。だから同い年くらいの子や周りの大人は俺を変な子供だと言ってね。その事に俺は深く傷ついた。けどそんな時にセージが言ってくれたんだよ。『お前は静かにできて偉いな』って。俺、初めて認められたみたいな気がして嬉しかったんだ」

「私がそんなことを?」

「うん、何気ない言葉だったからセージが忘れていても仕方がないよ。でも俺には大事な言葉だった」

「しかし、それだけで私の事を?」


 私が問いかければコタは首を横に振った。


「勿論、それもセージに好意を抱くきっかけにはなったよ。でも、セージの事を好きになった理由はもう一つあるんだ」

「もう一つ?」

「そう……。アパートメント裏庭で他の住人さんの結婚パーティーがあった時にセージはその新婚さんを眩しそうに見つめて『誰かとあんな風になれたら幸せだろうな』って呟いたんだ。……俺、その時の寂しそうな顔を見て、これからはずっと俺がこの人の傍にいてあげよう。この人を俺が幸せにしようって決めたんだ」


 コタに告げられ、私は少し恥ずかしい思いをする。子供の前とはいえ、そんな恥ずかしい事を自分が言っていたのだと知って。


「でも六歳の誕生日の後、セージが突然いなくなっちゃって……当時は困惑したよ。けれどそれはセージを忘れる理由にはならなかった。俺はセージを幸せにするってもう決めていたから。だから絶対に見つけ出そうと思った。そして、こうして見つけ出した」


 コタはにっこりと微笑み、私は心が揺れる。


 ……子供の頃と同じだ。この子は簡単に私の心に入り込んで一番奥に居座ってしまう。でもだからこそ、失った時は身を引き裂かれるほど苦しくなるはず。ヴェロニカが死んだ時、苦しかったように。……あんな思いをもう一度するのなんてもう嫌だ。愛する人を見送るだけなんて。


 私はぐっと奥歯を噛みしめる。

 大魔女ヴェロニカは私に呪いを掛けた張本人だったが、それでも私は彼女が好きだった。彼女は私の育ての親で、友人で、姉のような存在の人だったから。

 だから呪いを掛けられたあの人を憎むことは今もできない。


「だが、私はお前と一緒にはいられない。言っただろう不老不死の呪いがかかっていると。もう私は大事な人を作って、見送りたくないんだ。それなら孤独の方がいい」


 私は嘘を吐かずに正直に告げた。もう嘘は通用しないと思ったから。


「だからコタ、私の事は忘れて」

「ねぇセージ、大事な事を俺に言っていないんじゃない?」


 コタに言われて私はドキリとする。


「何を……っ」

「呪いをかけられた、という事は、呪いを解くという事もできるはずだ。鍵と錠前が一緒であるのと同時に、呪いもそうだろう?」

「それはっ」


 核心を突かれて私は言い淀む。コタの言う通り、呪いはかけることもできるのなら解くこともできる。そして私は呪いの解き方を知っていた。



【貴方に呪いを掛けたわ。解けるのは愛する人とのキスだけ。貴方に見つけられるかしら?】



 大魔女ヴェロニカは死に際に呪いをかけ、私にこう言った。


「じゃあ、俺がセージに!」


 私がヴェロニカの言葉を教えれば、コタは嬉々として声を上げた。だが私は首を横に振る。


「セージ、どうして? 俺、セージの事を愛してるよ!? あ、セージが俺の事、まだ好きじゃない?」

「違う、そうじゃない」

「セージ! なら、試してみよう!」

「そんな簡単な問題じゃない! ……もし、私とお前がキスをして呪いが解けなかったら? 私は永遠に解く方法を失い、私はこれからも人々を見送っていくことになる。私は……私はそれが怖い」


 私はぎゅっとコタの服を握って、初めて自分の気持ちを他人に告げた。

 キスするのは簡単だが、もしもそれでも呪いが解けなければ、もう他に手段はない。永遠の時を生きなければならなくなるのだ。

 愛した人を見送った後もずっと、ずっと。終わりのない先を見つめて。


「だから私は」

「そうか……。セージは鍵を持っていても、それで錠が開くかどうかわからないから怖いんだね?」


 コタは私の背をぽんぽんっと撫でて言った。そしてその通りだった。


「ああ。だからコタ、私は」


 試せない。


 そう言おうとしたのにコタは私の顎を手に取ると、許可もなく私にキスをしようとした。私は慌ててコタの口元を手で抑える。


「お前は人の話を聞いていたかッ!?」


 私が怒るとコタは私の手をどけて言った。


「聞いていたよ」

「ならどうして!」

「……セージ、一度のキスで呪いが解けなくたって何だって言うんだ。それなら俺は何度だってセージにキスをする。呪いが解けるまで何度だって。絶対に俺が呪いを解く! だから信じてよ」


 揺るぎない声でコタは私に告げた。そこには一切の迷いがなく、自信があった。まるで私の呪いが解けると知っているみたいに。


 ……どうしてそこまで言い切れるんだ。


 そう思うが、私は思い出す。こいつは逃げ出した私を追いかけて、その上私が条件として出したドラゴンを倒してきた。全てを成し遂げてきた男なのだ。


「セージ、呪いはきっと解いて見せる。もしもキスで呪いが解けなくても他の方法を必ず見つけ出す。だから俺の事を突き放さないで。傍にいさせて」


 コタは眉を八の字にして潤んだ瞳で私をじっと見つめた。そして私は昔からこの顔と目に弱かった。

 だから私はコタの誕生日の後、姿を消した。これ以上傍にいたら言う事を聞いてしまいそうだったから。……でも、もう遅いのだろう。


 ……全くこいつは。もう一度逃げたところでどこまでも追いかけてくるんだろうな。こんな奴は初めてだ。かなわないな。


 そう思ったら肩に入れていた力がストンっと落ちるようだった。


「わかったよ。もうお前から逃げない。……だが、約束してくれるな? 私の呪いをお前が解くと」


 私が尋ねるとコタはにっこりと、そして自信満々に答えた。


「勿論、俺ほどセージを愛してる人はいないと思うよ?」

「ハハッ、確かにそうかもしれんな。お前みたいな大馬鹿者は初めてだ」

「な、大馬鹿者なん、んんっ!」


 コタは最後まで言葉を言う事は出来なかった。なぜなら私がコタの顔を引き寄せ、その唇にキスをしていたから。


「これでいいんだろう?」


 私が触れるだけのキスをしてそっと離れると、コタの顔は真っ赤に染まっていた。


「せ、セージ!」


 コタは目を瞬かせ、私はしてやったりと笑う。


「私のような男を好くのはお前ぐらいだ」


 そう言って笑うと、コタは力強く私を抱き寄せ、ぎゅっとその腕に抱くと嬉しそうに叫んだ。


「セージ、大好きだ!」

「わかって、んむっ!?」


 私が言いかけると、仕返しの如く、今度はコタが私にキスを見舞ってきた。

 でも私がさっきした触れるキスどころじゃない、熱烈なキスだ。その上、左手で腰を、右手で後頭部をがっしりと掴まれれば逃げ場がない。


「んっ、ちょ、まっ!」


 私は必死に声を出そうとするが、食われて声が出ない。おかげでコタが満足するまで離れられず、唇が離れた時には酸欠もいいところだった。


「はぁーはぁーっ、コタ……お前」


 ギロリと睨むとコタはさすがにし過ぎたと思ったのか、すぐに謝った。


「ご、ごめん、セージ。つい嬉しくなって……あ、呪いはどう!?」


 コタに尋ねられて、私は自分の体を見る。でも変化は感じない。


 ……呪いが解ける時、何か変わることがあるんだろうか? それともまだ呪いは解けてない? やっぱり。


 私は不安になってしまう。でもそんな私にコタは今度は啄む様にちゅっとキスをした。


「むっ!? こ、コタ!」

「セージ、言ったよね? 俺は呪いが解けるまで何度だってキスをするって。まあ、呪いが解けてもキスをするけど」


 コタはニコニコしながら言った。だからその顔を見ていたら不安に感じていた気持ちがどこかにいってしまう。こいつの傍にいれば、これからもなんとなく大丈夫だと思えたから。


「そうだな。だが、突然するな」

「なら、聞いたらいい? セージ、もう一度キスしたい。してもいい?」


 真正面から問いかけられて私は照れ臭くなる。

 だけど応えてやらなければいけないだろう。私にずっと愛を告げてくれたコンスタンテには。


「……ああ、お前ならいい」


 私が告げるとコタは嬉しそうに笑った。そうして私達はゆっくりと顔を近づけて、唇を重ねようとした。

 だが、触れる直前。

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