第8話 クロエ王女

「何をしているッ!」


 鼓膜が破れそうなほどの声量で叫んだのは、ラヴィンの街につい先ほど送り込んだコタだった。


「な、どうしてここに」


 私は思わず叫んでしまう。だがコタは私の言葉など聞かずに彼らに襲い掛かった。どうやら私がナイフで脅されていると思ったらしい。

 そしてドラゴンを倒したほどのコタに彼らが勝てる訳もなく。グーで殴られて次々と壁へと吹っ飛ぶ。魔法使いなんて呪文を唱える前に杖を折られていた。


「ちょ、お、おい! コタッ!!」


 私は必死に止めるが人の話を聞いていない。怒りで完全に頭に血がのぼっている。そして最後にサバンを捕まえると、その顔を殴ろうとした。顔面にコタの強力な拳を食らえば、頭が吹っ飛ぶかもしれない。

 だから私は慌てて今まで出した事のないほどの声量で叫んだ。


「コンスタンテ、止めないかッ!」


 その声はようやく届いたようで、振り上げた拳がピタリと止まった。


「セージ」

「私は無事だし、話はもうついている。お前は勘違いしているだけだ」


 私が告げれば、コタは胸倉を掴んでいたサバンをぽいっとその場に捨てた。


「セージッ、怪我は? 大丈夫なの?」

「私は怪我一つない。全く、派手にやってくれたな」


 私はため息を吐きながら、部屋の中の惨状を見る。サバンは腰を抜かし、他の三人は完全に伸びている。もしかしたら骨を折っているかもしれない。


 ……猛獣か、こいつは。


「ここで大人しく待っていろ」


 私はコタにそう言うと、作業部屋へ向かった。そして梱包しておいた回復ポーションを五つ取り、再び部屋へ戻ってきた。


「これを使って三人と外の二人を治療しなさい。どうせ外の二人ものしたんだろ?」

「けど」

「今すぐ!」


 私が命令口調で言えばコタはしぶしぶポーションを受け取り、自分でぶん殴った三人にポーションを飲ませ始めた。その間に私は腰を抜かしているサバンに手を貸し、立ち上がらせる。


「すまないな。どうやら勘違いしたようだ」

「いや、助かった。ありがとう」


 サバンはホッとしたような顔で言った。

 しかし、そこで誰かが呆れたような声を出した。


「自業自得ですわね、サバン」


 聞き慣れない声にハッとして振り返ると、そこには白銀の髪に緑の瞳を持つ、まるで妖精のように美しい女性が立っていた。年齢は二十歳ぐらいだろうか。


「クロエ殿下!」


 サバンはハッとして、慌てて頭を下げた。


 ……クロエ殿下? もしかして第二王女かッ? ……これは噂に違わぬ美人だな。


 初めてみる噂の王女をついまじまじと見つめてしまう。


「おい、殿下に不敬だぞ! 頭を下げろ!」


 サバンは頭を下げたまま私に言った。しかしそれを制したのは王女の方だった。


「黒髪に黄色の瞳、黒い服を纏い、その外見は全く変わらない。……随分昔にお婆様に聞いた通りね!」


 王女は私をじっと見つめるとそう言って、優雅に頭を下げた。だから、その事にその場に居る誰もが驚く。王女が頭を下げる相手は国王か他国の王族、それか同等の地位につく者のみだから。

 まあ、私は後者だが。


「初めてお目にかかります、わたくしはこの国の第二王女クロエと申します。貴方様は賢者と呼ばれるセージ様でいらっしゃいますね?」


 王女はちらりと私を見て尋ねた。どう答えるか悩むが、ここで誤魔化してもいずれわかる事だろう。私は観念して正直に答えた。


「よくわかったな。その通りだ」


 私が答えると隣で頭を下げていたサバンが驚いた顔で私を見る。


「え、け、賢者様ってあの大魔女の片腕と呼ばれた漆黒の賢者様ですか!? 不老不死で、高度魔法を使い、ありとあらゆる知識を持つと言う!」


 大分誇張された噂に私は顔を引きつらせる。そもそもなんだ、漆黒の賢者とは。初めて聞いたぞ。


「なんだ、そのダサい名前は……まあ、いい。ところで全く人騒がせだな、何時だと思っている」


 私が不満げに告げれば第二王女は謝った。


「申し訳ございません、セージ様。私がティーグレに恋心を抱いていると大いに勘違いをした従者を引き留めに来たのですが、どうやら一足遅かったようで……。大変ご迷惑をおかけしました」

「勘違い?! しかしティーグレがいなくなって殿下は臥せっておられたではありませんか」

「それはそうでしょう! 大事な恋バナ友達がいなくなったのです、少しぐらいは臥せますよ!」

「こ、恋バナ友達!?」


 サバンがあんぐりと口を開けて驚くと王女は腰に手を当ててハッキリと告げた。


「そうです! 全く私がティーグレの事を好きだなんて! お父様も勘違いして私とティーグレを結婚させようとしまし、殿方というのは! いいですか? 私が好きなのはヒューゲル様です!」


 王女は可愛らしく頬を染めながら言った。


「ひゅ、ヒューゲルと言うとこの前副団長になった!? あの冴えない男ですかッ!?」


 サバンは信じられないのか目を見開いて尋ねた。そして私は薬屋で聞いた話を思い出す。

 コタが副団長に選ばれそうになった時、代わりに友人を推薦した話を。


 ……ヒューゲルと言うのは、例の副団長を代わりに押しつけられた友人の事か?


「なんですか、その言い草はッ! ヒューゲル様は優しい方なんですのよ!」

「し、しかし」

「お黙りなさい! 私の気持ちを勘違いし、セージ様とティーグレに迷惑を掛けた事、許しませんよ!」


 王女殿下はご立腹なのか、頬をぷくっとリスのように膨らませた。

 見かけは妖精のように儚げで美しい人だが、中身は大分お茶目なようだ。


「申し訳ございませんでした!」

「謝るのはわたくしにではなく、セージ様とティーグレにです!」


 王女が言うとポーションを飲んで回復した四人は揃って頭を下げた。


「大変申し訳ありませんでした!」

「いや、謝罪はもういいからさっさと帰ってくれ」


 私は面倒臭くなってきたので、追い払うように言う。実際もう疲れた。


「しかし」

「こいつに殴られただろう。こちらはもうそれで十分だ」


 私はコタを見て言う。すると四人はぞぞっと身震いをした。余程怖かったと見える。


 ……まあぶっ飛ばされればそうなるか。


「とにかく、もう夜も遅い。帰ってくれ……ほら、スクロールをやるから今日はラヴィンの街にでも泊まれ」


 私はさっさと帰らせる為にコタに渡そうとしていたスクロールを彼らにぽいっとあげた。

 そして帰り際、サバンは恐縮しながら私に杖を返却し、王女は私に声をかけてきた。


「セージ様、今宵は本当にご迷惑をおかけしました」

「それはもういい。もう夜も遅い、君も帰りなさい」

「はい、ありがとうございます。ただ、二つだけよろしいでしょうか?」


 王女は恭しく私に尋ねた。こう聞かれれば聞かない訳にもいかないだろう。


「何かね」

「ティーグレの事ですが、ずっとセージ様をお慕いしていたのです。少しだけでもいいので、彼の気持ちを考えてあげてください」


 王女に言われて私は口ごもる。


 ……あいつは王女と一体どんな話をしたんだ? 全く。


「あともう一つはお礼を。お婆様がいつもおっしゃっておりました。いつかセージ様にお会いできることがあったのならお礼を告げたいと」


 王女はそう言って微笑んだ。実は私は王女の祖母が若かりし頃、女王として即位する時に少しばかり力を貸したのだ。きっとその事だろう。


「遠い日の事だ。もう忘れた」

「けれど、お婆様がいつも口癖のように言っておりましたので、伝えられて良かったです。では長居いたしました。私達はこれにて失礼いたします」


 王女は優雅に家を出て行った。そして外を見れば王室の魔法馬車があった。

 魔法馬車にはからくりの馬が取り付けられ、一般馬車の五倍の速さで走り、騒音はほとんど出ないという代物だ。街からコタが早く帰ってこれたのはあの王室の馬車に同席したからだろう。

 そして馬車を眺めていると御者席に乗る魔法使いがスクロールを開き、呪文を唱えた。

 すると閃光が走り、目を開けるともうそこには馬車の姿はどこにもなかった。ラヴィンの街に移動したのだ。


 ……やれやれ、何と言う夜だ。


 私は「ふぅ」と一息つく。しかし残念ながらもう一つ問題が残っていた。


「セージ」


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