#18 かけがえなく、描き甲斐なく。

 赤と青の絵の具が飛び散る異様な美術室。おそらく雨海が最初にここへやってきたのだろう。


「って、二駄木までここに!?」


 雨海はこちらに気づいた。同時に女の先生もこちらへ振り向いた。見たことのない先生だが……。


「えっと……あ、君も1年生か。私は川口といいます。情報の授業を担当してるんだけど、授業は2年生からだから私のことは知らないよね?」

「あ、はい。えっと、二駄木宗一です」


 パソコン室から出てきたのだから、そりゃ当然か……。


「あたし、渡り廊下にいて……大きな音を聞いてここに来たんです。ていうか、ここにいる人は大体そんな感じだと思うんですけど……」

「まぁそうだな。俺は元々図書室にいて、先生はパソコン室から出てきてましたよね?」

「えぇ」


 先生そう答え首肯した。


「誰か、怪しいやつを見かけたりとかは?」

「ううん。一番最初に着いたあたしでさえ、誰も見かけなかったよ……」


 目撃者はなし、か。しかし……この状況を改めて見ると、一つ疑問が浮かんでくる。


「……そういや、今日からテスト2週間前だよな。なんでこんな状況なんだ?」


 美術室では普段から長机は横3列、それが奥から手前へズラッと並べられているのだが、今は一番手前の長机3つが左脇の方にどかされていた。そうやって確保したスペースで、どうやら誰かが絵を描いていたらしい。だがテスト2週間前は部活動休止のはず。まぁ将棋部のような例外はあるにはあったが……。


「えっ、二駄木知らないのかよ!?」

「いや知らないが……」


 信じられない……とでも言いたげな顔で呆気にとられる雨海。


「同じクラスだろ、”東金”!」

「クラスメイトの名前くらいわかるっての! で、なんで急に東金が?」


 東金……考えるまでもなく、東金マリーのことだろう。今朝もちょうど彼女の入賞を祝う垂れ幕を見た。


「東金ってめちゃくちゃ絵上手いし、コンクールでもいっぱい実績あるだろ? だから今製作中の作品を描き終わるまでは、テスト前だけど放課後に美術室を使っていいってことになってるってわけ」

「はえ~」


 なるほど。つまりこれは東金の絵ってわけか。まぁもはやどんな絵だったか知るスベはないのだが。


「割と校内でも知れ渡ってるはずなんだけど……」

「いや知らないが……」


 信じられない……とでも言いたげな顔でドン引きする雨海。これはもういいよ……。

 そんなことを話していると、ふと後ろの方から何者かの足音が聞こえてきた。


 コツ、コツ、コツ……


「……これは酷いな」


 近づいてきたその人の顔を見て、川口先生は怪訝そうな顔をした。この聞き覚えのある声……。俺は後ろへ振り向き、その顔を確認した。


「兄ちゃん!?」


 やってきたのは、さきほども会った雨海の兄・槙人だった。


「ええっと、あなたは……?」

「そこの雨海愛依の兄、槙人です」


 雨海さん……紛らわしいな。槙人さんは前に出ると先生に対してうやうやしくお辞儀をした。


「っていうか、なんでここに?」

「愛依と別れて、帰ろうとしたら上の方から大きな音が聞こえたものだからね。まさかと思ったが、やはり愛依もここにやってきたか……」


 俺たちと同様、音を聞きつけその足で来たのだろう。その装いはコートや手袋に身を包んだままであった。


 そんな格好のまま汚れることも厭わずに、槙人さんは美術室の中を観察し始めた。そんな姿を見て、俺も他に気になっていたところを調べてみることにした。もしかしたら何かが分かるかもしれない。


 俺は改めてキャンバス周辺を見渡した。う~んしかしこれは……早く掃除しないととは思うのだが、現在は断水中なのである。水なしでこれを掃除するのはちょっと無理があるだろう。今はこのままにしておくしかない。


 まず俺が気になったのは”制服”だった。絵を描くために左脇へとどかされた長机。机の下には学生鞄が置かれているのだが……鞄はこちらに向かって倒れており、その中からはここ都立富坂高校の女子生徒用の制服が飛び出ていた。おそらく、ここで絵を描いていた東金のものなのだろう。


「絵を描くときはジャージ姿ってことか。まぁ制服は汚したくないだろうし、理にかなってはいるが……」

「うわぁ~……これ、だいぶ絵の具付いちゃってるじゃん。クリーニングに出さないと無理じゃないか?」


 雨海の言う通り、この制服にも赤と青の絵の具が多数付着していた。中々の汚れっぷりで、制服だけでなく周囲の床にも一緒に飛び散っている。だが、俺が気になるのは制服よりも……その”下”だ。


「……って何してるんだよっ!? 女子が脱いだ制服に触ろうとするとか……ま、まさかヘンタイっ!?」

「別にそんなつもりじゃねぇよ!」


 ……とはいえ、改めて我が振りを顧みてみるとなんだか変態と言われても仕方がなかったような気がしてくる。『脱いである』制服ってのが特に変態ポイント高い感じだ。


「……そんなに言うなら、ちょっとこれ持ち上げてみてくれよ。俺の代わりに」

「ホントに~……?」


 雨海はこちらを蔑むような目で見ながらも、俺の頼んだ通り制服を持ち上げた。その下を覗き込んでみると……


「……やっぱり、下の床にも絵の具が飛んでるな……」

「……??」


 制服によって隠されていた床には、青色の絵の具が付着していた。雨海はまだこの”奇妙さ”が分かっていないようだが、今は説明するのも面倒なので放っておくことにする。ここはもういいとして……


 次はキャンバス右手側に注目した。こちらで気になるのはやはり……


「この椅子だよなぁ……」


 壁際にはおおよそ20個弱の椅子が散乱していた。美術室の椅子ということで、形は定番の背もたれがないタイプ。化学室の椅子なんかも安全上の理由で同じような椅子を使ってるよな。


「さっき聞こえた大きな音ってさ、これだよな?」

「だろうな。他に目ぼしいものもないし」


 あの大きな音はここに散らばった大量の椅子によって起こされたものだったのだろう。しかしなぜ犯人はこんな音を鳴らしたのか? いや、むしろ不可抗力だったとか……? なんにせよまだ結論は出せないか。


 それから床に散乱した椅子から視線を上げると、その椅子のすぐ近くの窓が開いてることに気づいた。俺はなんとなく近づいて、窓から顔を出してみた。


「う~っ、冷てっ」


 二月の冷たい空気が顔を叩く。窓の外には校舎やプール、学校近隣の民家など、入学してからここ1年で見慣れた景色が広がっていた。ぬくい室内にずっといるのは確かに楽なのだが、時折こうしてピリッと張り詰めた外気に当てられると頭が引き締まるような感じがする。俺は嫌いじゃない。


 ふと真下へ視線を落とすと、そこには今朝も見た垂れ幕があった。垂れ幕の上端では角から角へとワイヤーが通されており、窓の下に取り付けられた柵にワイヤーのたるみを引っ掛けているらしい。あまりに簡単な構造すぎて、風で飛んで行ってしまわないか不安になるな……。


<美術室、周辺の図【https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/YwvHnuVo】>


「二駄木……さ、寒いんだけどっ……くしゅっしゅん!」

「なにそのクシャミ……」


 個性的なクシャミだな……。


 クシャミの聞こえた方を見ると、雨海が両腕で自身の身体を抱き、寒さに震えていた。それを見た俺はおとなしく窓を閉め、その場を離れようとしたのだが……ひとつ気になるものを見つけた。


「こんな時計、ここにあったっけか?」


 窓際には、見知らぬ時計があった。少なくとも先週の美術の授業の時にはなかったはずだ。


「あっ……それ、昨日のお昼に佐野先生が見せてくれた時計だわ。先週末に買ったばかりらしいの」

「うわ~なんか高そ~! これも絵の具で汚れちゃってるなぁ……」

「置いた翌日にこんなことになるなんて、佐野先生もツイてないわね……」


 佐野先生とは、美術の授業を担当している教師だ。


 よく見てみると、この時計は針や時計盤がむき出しになったデザインになっている。水晶のように透き通った素材も相まって中々オシャレに仕上がっているのだが……青色の絵の具が飛んでおり、針も時計盤もかなり汚れてしまっている。オシャレなデザインが裏目に出てしまった感じだな……。


 俺はそれを手に取って全体を観察してみたのだが……背面を見てみると、一般的な時計にはある『時間を合わせるためのツマミ』がないことに気づいた。どうやらこれは”電波時計”らしいな。


 ……まぁ、美術の先生の私物が置いてあることになんらおかしなことはない。この時計のことはもういいだろう……。俺は時計を元の場所に置いて別の場所を探そうとした。


 その時だった。


「あれ? こんなところに何か落ちてるわね……マスコット? なんだか、どこかで見覚えがあるような……」

「あれっ、それもしかして私の……えっ……?」


 川口先生が何かを見つけたらしい。先生は端から端まで真っ青なナニかを摘まんでいた。


 ……いや、よく見ると真っ青なだけじゃない。赤色の絵の具が付着している……?


「まさか……雨海?」


 それは、ちょうど俺も今朝に見たものだった。


「なんで……ますますくんがここに……っ!?」

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