#17 赤と青

 ・・・


 それから俺は色々と話を聞いていたのだが……岡部と青堀という先輩たちは受験生なのもあって、そう長居はせずに帰ってしまった。


「ま、そういうわけなんだよね。先輩たちも卒業しちゃうし、次の春に新入部員が来なければここも廃部かな……」


 はじめこそ俺に語り掛けるようであったが、本庄先輩の視線はいつの間にか虚空へと向いていた。本庄先輩が言っているのはいわゆる”部活動として認められるためには部員が3人以上必要”……という、まぁよくある規則だ。


「ちなみに~、本当に入部しちゃうって気は……」

「ないです……」

「まじか~っ!……」


 そう言いながら本庄先輩はうなだれた。


「……雨海さんも。せめて僕が卒業するまでは存続させたいって言ってたけど、中々見つからないみたいだし……っとと。客がいるのにあんま湿っぽい話してもね!」


 頭を掻きながら今度はカラッと笑ってみせた。人に心配はかけまいと思ってのことだろうか。何というか、人って見た目によらないな……。


 それから少しして、熱い紅茶も飲み終わったので俺もおいとまさせていただくことにした。


「また来てね、二駄木君! どうせ人も少ないからさ、歓迎するよ! 廃部になるまで紅茶飲み放題! なんてね」

「……ありがとうございました」


 手を振る本庄先輩に手を振り返し、紅茶のいい香りがする部室を後にした。時刻は……大体4時半か。将棋部は中央階段から最も遠いところにある。やっぱり不便なところにあるが、その分静かなのはいいことかもしれない。


~~~


 将棋部を後にした俺は、なんとなく図書室へ赴いてみることにした。しかしテスト前だからか廊下の人通りが少ない。


 我らが富坂高校はなんだかんだ言ってだいぶ真面目な方の学校だ。この時期の放課後は大体の生徒が図書室、自習室、あるいは自宅で勉強しているのだろう。


 俺は階段を降りて図書室のある2階へと向かった。いつもはみんな図書室になど来ないのだが、テスト前になると『友達と一緒に勉強する分には自習室よりも向いてる』という需要が発生する。


 しかし2階へと辿り着き曲がろうとしたところで……


「ひゃあぁっ!!」

「おわっ……!」


 後ろから何者かがぶつかって来た。俺の方はよろめく程度で済んだのだが……後ろを振り返ると、そこには尻もちをついた女子がいた。ちょうど今朝も見た顔だ。


「大丈夫か?」

「うぅ~すみません~!…ってひゃうっ!?」


 ぶつかってきたのは金子小鞠だった。しかしこれは……


「あ、あのっ。そのっ……み、見えちゃってましたか~~っ!?」

「落ち着け! 見えてない。見えそうだったが見えてない。角度的に見えてないっ! だから人が来て誤解される前に落ち着けっ! 落ち着いてください……っ!!」


 スカートから伸びた太ももの付け根部分に広がる暗黒空間は、神の悪戯か「見えそう」で「見えない」というまさにギリギリの角度であった。しかし生粋の”ドジっ子”に恥じないこの転びっぷり、お見事としか言いようがない。いや見えなかったのは本当だったんだが!


 やがて落ち着きを取り戻した金子はスカートについたごみを払いながら立ち上がったのだが、その払う手にもまたドジを匂わせるものがあった。


「……どうしたんだ? その絆創膏」

「そ、それは……えっと、私自習室で勉強してたんですけど、紙で指を切ってしまって……」


 金子の指を見る。たしかに指先には絆創膏が……って多すぎじゃねぇ?? 絆創膏は金子の両手の指や甲に、大量に貼り付いていた。いやそうはならんやろ。これが”プロ”の世界か……。


「なんというか、見てて痛々しいな……」

「うう、お恥ずかしいです……。あの、ぶつかっちゃってすみませんでした~。それじゃあ、私行きますねっ!」

「別に気にするなよ。じゃあな」


 金子はあわただしくお辞儀すると、自習室へ行ってしまった。……あ、何もないところでこけた……。うーんこれはプロの仕事。俺はやがて金子の背中から視線を外すと、図書室へ向かった。


 図書室に入ると、入口すぐ近くには図書委員の推薦図書が並んでいる。今日は特に読むものも決まっていなかったので、なんとなくそれらを眺めてみることにした。


 本には図書委員手作りのポップが添えられており、それはもう推薦する図書委員の熱意が伝わってくる文章だった。惜しむらくは、読む人間が数えるほどしかいないことだが……。俺は次の本のポップを読もうとした。


 ……瞬間。


 ドンガラガララッ!!


 同じ2階の、そう遠くないところから物音が聞こえた。扉越しなのもあり、図書室で気づいたのは俺だけのようだ。おそらく実際はもっと大きな音だったはず。気になった俺は図書室を出た。


 俺が出るのとほぼ同時に、向こうのパソコン室から女の先生が出てきた。その先生は早足で実技棟につながる渡り廊下へ向かっていく。渡り廊下のすぐ先にある教室といえば……


 その先生の後を追うように俺も渡り廊下へ。そこを渡ると、すぐ正面には教室の入口がある。


 ……『美術室』。


 扉は開けられたままだった。教室の中へと入る。


 俺の目に飛び込んできたのは…… 一つのキャンバス。そして……赤と青。


 そこに絵が描かれていたのであろうキャンバスには、赤と青の絵の具が無節操にも覆い被さり、もはやどんな絵だったのか分からなくなっていた。絵全体が覆われる……というほどではないにしろ、それでも絵の具の量はかなりのものだ。


 絵の具が爪痕を残したのは絵の中だけではない。それはキャンバスを中心に、周囲の床にも激しく飛び散っていた。周りを見ると、赤と青、2つの絵の具の容器が転がっているのに気づいた。サイズは学校用の大容量タイプだ。


 先ほど見かけた女の先生もやはりここにおり、この光景を見て絶句していた。


 それからもう一人、先生が着くより先にここにいたのだろうか。


 ……そこには雨海の姿もあった。

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