#16 こんな寒い日には

 それから雨海は俺に対していくつか古典に関する質問を投げかけた。幸い俺に答えられないレベルの質問は来ず、俺は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。


 そのとき、何者かが教室の扉から入ってくるのが見えた。


 入って来たのは……顔が見えない。その生徒の両手には顔が隠れるほどのノートが積み重なっていた。それからゆっくり歩いていたが……


「……っ!?」


 突然、つまづいて教卓に膝をぶつけた。両手からこぼれたノートは一気に散らばり、すぐ近くの俺の席まで押し寄せてくる……!


「いたぁっ!」

「だ、大丈夫かよっ?」


 雨海はすぐに駆け寄った。


「うぅ~切っちゃったみたいです~」

「あー血が出てるなー……」


 俺はノートを拾いながらやり取りを聞いていた。


 よく見ると木製の教卓にはささくれがあり、そこには血が付着していた。あれで膝を切ったのか。……しかし顔が見えるようになると、色々と納得がいく。


 その小動物的な雰囲気をまとう女子生徒の名は、金子小鞠かねここまり。彼女もまた同じD組の生徒だ。金子は生粋の『ドジっ子』としてクラス内外で定評がある。現に今も、突然何もないところでつまずいたしな……。これが”本物”の実力か……。


「……はいっ。刺さってたトゲも抜いたし、血も拭いた! 保健室行ってきなよ」

「はい~……。あの、えっと、このハンカチ……」

「あ~、血がついたって? いいよいいよ。もう一枚あるから、持っていきなって。あとで返してくれればいいから」

「あ、ありがとうございます~! 明日、洗って返しますねっ!」


 ノートを全て拾い終わった俺は、それを纏めて教卓に置いた。


「配っておけばいいのか? これ」

「いいんですか……? じゃあ……その、お願いしますっ!」


 雨海のハンカチをポケットにしまうと、金子は教室を後にした。しかし……雨海ってこういう感じの奴だったのか。知らなかった……同じクラスなのに。


「……なんだよ?」

「いや……意外だなと思っただけだ」


 俺は山積みになったノートを上から3分の1ほどゴソっと取り、配り始めるのだった。


~~~


「……連絡事項は以上です。あと朝も言った通り、今日の放課後は工事でしばらく断水です。今日からテスト2週間前ですし、ちゃーんと勉強しましょね! はい解散っ!」


 一日の終わりのホームルーム。ちなみにうちの担任は国語担当。今日一日注意して見てみたのだが、たしかに先生は雨海のことを気にかけるような動きをしていることに気づいた。先生からもしっかりマークされてるんだなぁ……。


 放課後、今日は掃除当番だった。机を後ろに寄せては床を掃き、前に寄せてはまた床を掃き、最後に机を戻してはゴミを破棄。ほどなく掃除は終わり、俺は教室を後にした。


 ……しかし、こんな寒い日には暖かい飲み物が飲みたくなる。図書室へ行く前に自販機で温かい紅茶でも買おうかな……などと思いながら階段を下っていると、ある人物が目についた。場所は2階廊下。いたのは雨海と……見知らぬ男だった。


「……力不足ですまない。残念だけど、これ以上僕にできることは……」

「でも……嫌だよっ!」


 見たところ、歳は自分とそう離れてなさそうだ。しかし制服のブレザーを着ていないどころか、コートの下は私服。首には来客用の札を提げている。


「……あっ、二駄木! ……ちょっと来てくれよ」


 雨海がこちらに気づいた。まぁ、わざわざ無視する道理もなく、呼ばれるままに俺は雨海のもとへ行った。


「……彼は?」

「ただのクラスメイトだよ」


 見れば中々に整った顔をしている。


「初めまして。僕は雨海槙人あまみまきと。そこの愛依の兄です。よろしく」

「あ、はい。二駄木宗一です……」


 雨海の兄はさわやかな笑顔で自己紹介してきた。こっちは染めてないんだな、髪。しかし、親ならまだしも兄弟が学校に……? まぁ俺の関知するところじゃあないのは確かだが、変だよな。


「あたし今から部室に行こうとしてたんだけど、ちょっと用ができちゃって……。これ、部室の鍵を代わりに持ってってくれないか?」

「はぁ……まぁいいけど。で、どこだ? その部室って」


 一瞬断ろうとも思ったのだが……彼女の近親者が見ている手前、邪険に扱うのもなんだか躊躇ためらわれた。


「2階の一番奥の教室だよ。もしかしたら部活出れないかもって言っといて。……じゃあ、よろしく」


 そう言うと、雨海は職員室がある方へ歩き出した。兄の槙人は俺に一礼し、一歩遅れてついていった。


 去り際の雨海の顔は、どこか悲しげだった。


~~~


 階段を上がって、雨海の言った通りに進む。校舎2階、その奥まった場所に部室はあった。


「ん? 君は?」


 部室の前には、壁に寄りかかってスマホを横に持った眼鏡の男子生徒がいた。上履きの色からして2年生だ。しかしこの、いかにもなオタク感……。


「1年D組の二駄木です。雨海から部室の鍵を持って行くよう言われまして」

「えっ、今日は来れないって?」

「『出れないかも』って言ってましたね。っていうか、もうテスト前で部活はないはずじゃあ……」

「うちの顧問、メッチャ緩くてね。勉強のために使いたいって言ったらテスト前でも鍵使わせてくれるのさ」


 その先輩は俺から鍵を受け取ると、扉の鍵穴にそれを差し込み回した。廊下に置いていた荷物を部屋の中へ運ぶと、再び部室の外へ出てきた。


「いや~それにしても寒いよねぇ~。紅茶でも煎れようと思ってたんだけど、君もどう?」


 奇遇にも俺は、ちょうど温かい紅茶を求めていたところだった。


「それじゃ……お言葉に甘えて」


~~~


 部室に入ってすぐのところにはテーブルと椅子があった。俺は適当に荷物を降ろして座る。


「そういや、まだ名乗ってなかったよね。僕は本庄隆虎。2年B組だよ!」


 自販機で売ってる天然水を電気ポットに入れながら、本庄先輩は言った。学校が断水の中でどうやって紅茶を煎れるのかと思っていたが、なるほどな。しかしこの部屋……


「……なんかやたら色んなモノで溢れてるみたいですけど、ここって何部なんですか?」

 俺は部室の中を見回した。大きな板や傘、それに妙な衣装や将棋盤、ランドセルまで。なんなんすかねこれ……。


「あ~、初見だとやっぱそう思うよね! ここはね……将棋部だよ!」

「将棋部……にしちゃカオスというか、なんというか……」

「ここは演劇部の物置きも兼ねてるんだよ。富坂高校はあまり広くないからね~」


 なるほど……。まぁ将棋部の人間ってのがまず聞いたことないし。小規模ゆえにってことなんだろうな。そんなことを考えていると、部室の扉がガラガラと音を立てて開き、何者かが入って来た。


「やってる~?」

「ここに来るのもなんだか久しいな」


 男女一組、全く見知らぬ生徒だ。上履きの色を見たところによると……


「あっ、岡部先輩! 青堀先輩! しばらく振りです! あれ、でもなんで学校来てるんです?」


 やっぱり、3年生だ。しかし今は2月。各々の受験等のために今は自由登校となっている時期……のはずだ。


「とりあえず今月頭に受けた私立がお互い受かってたから、先生に報告しにね! あと気分転換も兼ねて!」

「二人ともまだ第一志望は受けてないんですよね? 僕、応援してるんで!」

「あぁ。ありがとう! ところで……君は?」


 岡部先輩と呼ばれていた男子生徒が俺の方を向いて言った。まぁ当然そうなるわな。


「まさか……新入部員!?」

「いや、俺はただ雨海に頼まれて鍵を持ってきただけです」

「雨海さん、何かあったのかい?」


 すると青堀先輩と呼ばれていた女子生徒は少し考えこんだ。うーんと小さく唸り……やがて口を開いた。


「もしかして愛依ちゃん……家の人とか来てた?」

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