第五話 高校一年・二月

#15 高校一年・二月

 それはとある日。将棋部室にて。


「……ちょっとは勉強してるんだね」

「負け続けてちゃ、こっちも面白くないからな」

「あっ二歩」

「……まじか」


 二歩とは将棋のルールの一つで、いわゆる”反則負け”である。俺は初めて数カ月の初心者。雨海も昔からずっとやってるってわけじゃあないが、それでも俺より3年ほど長い経験を持っている。こと将棋と数学に関しては、俺は雨海に教えられる立場だ。ちなみに現部員の中でもぶっちぎりに長いのが本庄先輩で、なんと小1のときに始めたらしい。


「……流石に飽きるねー」

「ま、仕方ねぇだろ」


 最近は二人しか部室にいない日も多い。最初の1時間くらいは将棋を指しているが、大体それ以上は持たない。結局別のことをしたり、早めに切り上げたりってことがほとんど。まさか一人も新入部員が入らないとはね……。


「何する? 素数大富豪?」

「遊びの提案に見せかけたサンドバッグの要求やめろ。数学絡みのニッチな遊び大体お前が勝つじゃん……」

「え~……じゃあどうする?」

「なんかよくわからないボードゲームでも引っ張り出してくるか?」


 俺は席を立ちあがり、部屋の奥にある棚を見た。ここは将棋部のはずなのだが、棚には他にも様々なボードゲームがあった。パッチワーク、バトルライン、スカル……


「ん? これって……」

「なになに? あっ、これか。なんか懐かしいなぁ」

「懐かしいつってもまだ半年経ってないんだが」

「えぇっ! そんなもんか~」


 俺は少し前の出来事に、思いを馳せた……。





~~~~~





「あ~寒っ……」


 運動部のかけ声、吹奏楽部の演奏。今日も今日とて青春の空気感に当てられつつ、読みかけの本も全て読み終えた俺は一人帰宅しようとしていた。


「……! なるほどな……」


 なにか忘れていると思えば、手袋だ。どうりで肌寒いと思った。図書室か教室か、まぁ手袋なら十中八九教室の机の中だろうな……。


 俺は道を引き返した。


 1年生の教室は最上階である5階。遠い……まぁとっくに慣れたが。しかし入学してから早いもので、あと2カ月ほどすればもう2年生だ。この階段移動もじきに4階までとなる。


 階段を上がりD組へ。教室にはもうほとんど人は残っていない。まぁ、”ほとんど”っていうのは、つまり人がいる教室もあったという意味で……。


「……っ!?」


 1年D組。その扉に手をかけて開いた瞬間、バサッという音が小さく響く。教室内を見ると、一人の女子生徒がいた。


 雨海愛依。


 同じ1年D組の女子だ。背は小さいが、明るく染めた髪が妙に存在感を放っている。だがこんな時間に教室で、しかもたったの一人?。


 彼女は両手で机にある何かを覆い隠しながらチラチラとこちらを窺っている。まぁ何をしてたのかは知らんが、手袋を取ったら見なかったことにしてやろう……。


 自分の机の中をまさぐる。……やっぱり、ここだったか。俺は手袋を取って教室を後にしようとした。しかし雨海の机の近くを通ったとき……


「……ってうわっ!? ……ったぁ~ッ!」


 雨海は突如バランスを崩し、机に顔をぶつけた! いたそ~。


 体勢を崩した拍子に、両手で覆い隠されていた何かがひらひらと宙を舞った。……あれは紙だったのか。おそらく力み過ぎた結果、紙で両腕が滑ってしまったとか……まぁそんなところだろう。


 宙を舞った紙はやがて、隣の机の上に着地した。人がわざわざ隠そうとしていた代物だ。じろじろと見る趣味はない……と、言いたかったのだが……。


「っ……! ……み、見たかっ?」


 雨海は一瞬で紙を掴み、背中に隠した。


「……い、いや。別に……」


 たまたま目に入ってしまった”それ”の衝撃が、俺を動揺させる。


「いやいやなんだよその反応! え、えっと……アンタが見たの、多分見間違えだって!!」


 雨海の焦りっぷりを見ていたら、なんだか少し落ち着いてきた気がした……。アニメや漫画ならぐるぐる目を回しながら言ってそうだ。だが、今のは……。


「あ、あたしは決してっ! 国語校内最下位とかっ! と、取ってないからーっ!!」


 あ~あ自分で言っちゃったよこの人っ!! こっちは必死にモノローグで明言しないようにしてたのに!!


「そんなん聞かされたら逆に見間違えだったと思い込めなくなるんだが……」

「『思い込めなく』って、やっぱり見られてたんじゃん……! 」


 恨みがましい目で俺を見つめる雨海。


 俺が見てしまったものとは、先月受けた模試の結果だった。その紙が宙を舞う一瞬の間、まるで目が吸い寄せられるかのように飛び込んできた光景……確かに『国語校内最下位』も衝撃ではあった。ドン引きですわ。


 ……ただ、。『国語校内最下位』以上に俺を動揺させたもの……。


「それこそ俺の見間違いじゃなければだが……雨海。さっきの模試の数学……


 俺は恐る恐る質問を投げかけた。


「え? まぁ、多少は。ただ……古典ができなさすぎてさぁ。ちょっと訳があって、学年末はもっといい点数を取らなくちゃいけないんだ」


 さも当然のように、さらっと流した。まさかこいつがそんなに数学が得意だったとは……。本当に目ん玉飛び出そうになるくらい驚いた。


 彼女が座っていた席に目を向ける。そこ置かれていたのは、学校指定の古文と漢文の教科書、単語帳、文法書。なるほどな……。


「……にしても最下位って。振れ幅デカすぎんだろ」

「うるっさい! そういうアンタはどうなんだよっ? 今回の模試、国語の点数!」

「89点」

「た、高い……」


 まぁ、今回はいつもより上振れた。でも本当は理系志望だし、そっちの科目ができたほうが正直嬉しかったな。


 雨海は俺の点数を見ると、考え込んでしまった。それからうーんと唸り、思い悩むように……ゆっくりと。


 俺の目を見て、彼女は口を開いた。


「……頼むっ! あたしの勉強、付き合ってくれないかっ!?」



~~~~



 4月から現在2月までほとんど話したことのないクラスメイトに突然、勉強に付き合ってくれと言われた、その翌朝。


 まだまだ春の兆候は見えず、今日も白い息を吐きながら学校へ向かう。校門を抜けて実技棟に近づくと、最近取り付けられた垂れ幕が見える。


『全日本高校生美術コンクール・優秀賞!』


 校舎2階から実技棟へと伸びる渡り廊下の先……美術室の窓にそれは取り付けられていた。今年度に美術部に入った1年生がどうやら凄かったらしい。その名を東金マリーという。


 同じクラスではあるが、喋ったことはほとんどない。俺などとは違って才能溢れる人間……羨ましい限りだ。


 いつもどおり下駄箱で上履きに履き替え、最上階まで階段を上り、自分の教室へ入る。俺が自分の席で1限の持ち物を鞄から取り出していると……。


「……ありがと。すごい参考になった」


 話しかけてたのは雨海だった。彼女が手に持っているノート、これは俺のノートだ。ほぼ赤の他人だった奴に突然勉強を教えろと言われても正直気が進まなかったのだが……押し切られる形でとりあえずノートだけ貸すことにしたわけだ。


「意外と綺麗で見やすいノート書くんだな、二駄木。あたしのとは大違いだ。めっちゃ分かりやすかった」

「そりゃどうも……。つっても古典で点取りたいんなら、ノート読んでるだけじゃどうにもならない。暗記の努力はやっぱり避けられないしな」

「うぐ、暗記かぁ……これだから文系科目はイヤなんだよなー……」


 雨海はため息をついた。


 まぁ俺も暗記は好きではないし、気持ちはよくわかる。ただ、英語にせよ古典にせよ高校生の勉強に暗記は付き物。”そういうもの”だと理解し、観念するのが利口と言わざるを得ない。


 雨海は鞄に付けたマスコットをいじりながら悩みうなだれていた。ふと視線がマスコットの方へ行く。長い口に丸い鼻、貧弱な胴体、色は全身真っ青……これが女子高生的には可愛いのだろうか……?


「何そのマスコット……めっちゃマイナーなゆるキャラ?」

「えっ、二駄木知らないのかよっ!?」

「いや知らないが……」


 信じられない……とでも言いたげな顔で呆気にとられる雨海。


「あの”ますますくん”だよっ! 口と鼻が虚数単位、耳がネイピア数、体は円周率になってるんだ! 面白いよな~!」

「時代の先を行くデザインだな……」

「ちなみに自分のことは『オイラ』って呼ぶんだ!」

「時代に取り残された一人称だな……」


 ん~にしても本当に、端から端まで真っ青だ。ここまで全身単色で許されるのはチーバくんくらいだろ……。まぁ本人が気に入ってるみたいだからいいのか?


「……で、何の話だっけ? あぁ、暗記の話だったな」

「むぐ……。が、頑張ります……」


 ついさっきまでの勢いはどこへやら、雨海のテンションは一瞬にして落ちた。こんなんで大丈夫なんだろうか? 非常に先行き不安である……。

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