#09 恋愛嫌いは、眉を顰めた
同日、事件が終わり解放された俺は下駄箱へ向かっていた。いつになくベラベラと喋ったからか疲れた。今日は本来部活があったはずだが、まぁ一日くらいサボっても許してもらえるだろ……そうに違いない。
下駄箱の靴を取ろうとする。
「二駄木くん」
そのときちょうど、声をかけられた。六町だった。格好はさっきの青井状態のままだ。
「……今日は本当に、ありがとう」
「どーいたしまして。つーか真鶴は一緒じゃないのか」
「今日も残るんだって。三門くんの作業手伝ってあげるんだとか」
「ほんと、頑張るな」
「ほんとにね」
クスッと笑う六町。靴を履き替えながら、お互いそんな風に言葉を交わしていた。
下駄箱を出て校門へ。気が付けばもう夕日が差す時間だ。今日は澄み切った茜空だった。
「……なぁ、一つ聞いてもいいか」
通り沿いを並んで歩きながら、俺はそんなことを口にした。
「なに?」
「放課後にこっそりあんな格好をしてた理由……あれだけは分からなかった。いや、言いたくなきゃ別にいいんだが」
「……うん、二駄木くんならいいかな」
六町は真剣な顔でそう返した。
「私ね……実は昔、子役やってたんだ。でも今はもう……」
「……はい?」
赤信号にぶち当たり、お互い歩みを止める。元子役……驚かないわけにはいかなかった。
しかし、『でも今はもう……』という表現。これは要するに、今は活動を辞めているということを暗示している。
「……あんま振るわなかったのか?」
「ううん、むしろ逆」
そう言う彼女の眼差しより見えるものは……郷愁、だろうか。
「……私、『青井家の300日』に出てたんだ。姉妹の妹役だったんだけど……」
「……は?」
開いた口がふさがらない……とは、このコトか。
『青井家の300日』。俺が小学生の頃に放送され、当時えらく話題になったドラマ。俺は見ていなかったが、妹があのドラマの主題歌が好きだったことはよく覚えている。しかし……まさか同級生が出演していたとは夢にも思うまい。
「あのドラマがきっかけで私、お仕事が一気に増えて……忙しかったけど、楽しかった」
「それなら、なんで辞めたりなんか……」
「……でも、いい時代は長続きしなかったんだよね。お仕事は次第に減っていって……」
赤信号が青に変わり、再び歩き出す。六町の方へ視線を戻すと……いつの間にか、その顔は悲しさを帯びたものへと変わっていた。
「それでも諦めたくなくって、けどそんな気持ちは結果に繋がらなくて。同級生からも腫れ物みたいに扱われるし……。事務所を辞めてから、私は『普通の子』になろうとしたんだ」
「……高校に入ってから地味な女子を装ってたのも、そういうことか」
六町は無言でこくりと頷く。
「実際、高校に入ってから私の正体に気付いた人はいなかったよ。なのに……結局私は、自分で壊しちゃった」
『自分で壊しちゃった』……青井颯、もとい放課後の令嬢のことを言っているのだろう。
「自分から望んで地味な子になったはずなのにね。あるとき魔が差して、可愛らしい格好をしたくなっちゃったんだ……。いざやってみたら、なんだか浮かれちゃって。そしたらつい、人目のある場所でもやりたくなっちゃって……。結局私なんか……」
「普通だな」
「……えっ?」
六町は目を丸くした。
「要するに久し振りに可愛いカッコしたらテンション上がっちゃって、見せびらかしたくなったってだけの話だろ? 確かにその顔面の良さだけは普通じゃないけどよ、そのマインドはむしろあまりに普通でビビったな」
ゲームでなんかいい感じの構築ができたら、早く試してみたくなるみたいなもんだろう。ゲームに限らない。人間、なんかいい感じのものが出来たら人に見せたくなるのは自然な欲求なんじゃないか。
六町は俺の言葉を聞くと、微笑した。
「二駄木くん、言葉はちょっと怖いところもあるけど、優しいよね」
……ちょっとくらい感謝されるだけなら、むしろ心地よいくらいだろう。
でもこうして『優しい』などと言われる度に、どこか胸が痛むような感じがする。虫がいい、とも言う。
「だから……図々しいかもしれないんだけど、お願いがあるの」
「……なんだ?」
「こんな歳になって言うのも恥ずかしいけど……私、分からないものがあるんだ」
六町は上目遣いながらも視線を逸らし、言った。
「……”恋”って、どんな感じなのかな」
その言葉を聞いた瞬間……
……俺は、眉を
「……意図が読めないな」
「私、昔から芸能のことしか頭になくて、友達いないどころか学校ではずっと浮いてたんだ。その上お仕事でも周りにいるのは女の子ばっかりで、同年代の男の子とは全然関わる機会もなく……」
六町はどこか自虐的に苦笑して言った。
「学校には恋バナしてる人がいっぱいいるし、映画やドラマでも恋愛モノはジャンルとしてメインストリームの部類でしょ? だから……そんなにいいものなのかなぁって、思ったの」
「……」
恋愛とは昔っから多くの人間がなんやかんや言いつつも気にかけ続けている課題であり、同時に消費対象としても長年愛され続ける最強コンテンツでもある。
おそらく六町にはそれが、己の実感として分からない。だから知りたがる。
……そして俺は残念ながら、こと恋愛というものに対してロクな思い出がない。
「恋愛ねぇ。流石にそればかりは、俺に聞いても仕方のないことだと思うぞ」
「どうして……?」
「『恋愛なんて、ロクなことがない』、俺はマジでこれしか言わないからな」
きっとこれは、彼女の求める教えではない。
「……何か嫌なことがあった、とか?」
「その質問ができるくらいなら、いっそ全く触れない方が有難かったな」
「なら……」
六町は前に出ると、正面からその双眸で俺を捕らえて言った。
「私じゃ、力になれないかなっ……!?」
彼女も俺の気持ちを感じ取ったのか、そう言い放つ表情は不安げであった。
「嫌なことがあったなら、気にならないようにしてあげたい。私はもらってばっかりだから、何か返したいよ……!」
「返すとか、別にマジでそんな必要ねぇよ。……もう俺のことなんかさっさと忘れて、お前は自分の友達と……」
「それにもう一つあるのっ……!」
俺の言葉を、六町は遮った。
「……私のためでもあるの。私、二駄木くんとはすぐに馴染めたもん。これって普通のことじゃないんだよ?」
六町は
「だから、私が君と一緒にいれば……」
その目は俺に視線を外すことを許さない。
恥ずかしげなどなく、あくまで大真面目な顔をして、彼女は言った。
「……もしかしたら、私は君に恋するかもしれない」
そんな歯の浮くような台詞を平気で言えることこそ、過ぎた純真の証左だった。きっと俺は、彼女に勝てない。
「わがままでごめんなさい。でも誰かに付き合ってもらうなら……私は君がいい」
「……分かった、分かったよ。だから一旦離れろ」
少女を助けたつもりが、気づけばこちらが呑まれていた。
~~~~
翌日の朝。
今日もいつもの電車に乗り、いつも通りに乗り換え、いつもの駅へ到着する。俺はホームを上がり、改札を抜けて学校へと向かおうとした。
……まぁ『向かおうとした』っていうのはつまり、それを行う前に人に呼び止められたという意味で……。
「二駄木くんっ」
昨日もよく聞かされた声とともに、背を軽く叩かれる。俺は声のする方を振り返った。
「……おはようっ!」
声の主が誰かは分かりきっていたが……俺はてっきり、そこにいるのは眼鏡に一つ結びの地味な女学生か、長い髪の美少女だとばかり思っていた。
「……どうかな?」
だが実際にそこにいたのは……耳よりやや下ほどの高さで左右に結ばれた二つのおさげ、その顔に眼鏡はなく、見覚えのない美少女だった。
「……思い切ったな。つーか本当に、すげー変わりよう……」
「そう?そんなに? ふふっ……」
目の前の美少女……六町は嬉しそうに笑った。
「……それなら、頑張ってきた甲斐あったなぁ」
こうして、彼女との奇妙な関わりが始まった。
「さ、行こっか!」
六町は高校へ向かって歩き出した。俺も早歩きで彼女を追う。東の空に浮かぶ朝日と、彼女の顔に浮かぶ笑顔が俺にはとても眩しく見えた。
~~~~
その日の放課後。今日も6時限目の授業が終わり、俺はその自由を噛みしめていた。とはいえ今日は部活だ。事件も終わって肩の荷が下り、悠々と教科書を鞄に詰める。
廊下に出ると、視界の端には友達と談笑する六町が見えた。よかったわねぇと独り言ちつつ、俺はそれを横目に部室へ向かおうとしたが……その瞬間、後ろから声を掛けられた。
「おーいっ、二駄木っ!」
……今となっては、だいぶ聞きなれてしまった声だ。しかし、やはり予想していた通り不機嫌そうである。ふええ……怖いよぉ……。
観念して俺は後ろを振り返る。俺の目の前にいたのは一人の女子。明るく染められた短めの髪、サイドテール、ちっこい背丈。
「昨日はなんで休んだんだよ、連絡もせずにっ!」
可愛らしい見た目に反したツンツンっぷりで俺に詰め寄る女子こそ……
……我らが将棋部の現部長・
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