柔くて、くすぐったくて


「――寝れないの?」


 重い夜を、突として震わせた声。

 びくりと肩が跳ねて、ティシェは弾みで身を起こした。

 常の乏しい表情下に僅かばかりに驚きで口が開く。


「あ、ごめん。驚かすつもりはなかったんだけど」


 声の主はむくりと起き上がると、ティシェに苦笑を向けた。


「いや、私の方こそすまない。起こしてしまったか」


「ううん。僕はラッフィル探しで起きてただけだから」


 ラッフィル探し。トールの言葉の意味を掴みあぐね、ティシェは小さく眉を寄せて首を傾げる。

 どういう意味だと問う蒼の瞳に、トールは苦笑を楽しげな笑みに変えて手を伸ばす――アーリィの羽毛の中へと。

 アーリィを撫でるのだろうかと思った手は、彼女の羽毛の中をまさぐりはじめる。

 トールの突然の行動に、ティシェは蒼の瞳を瞬かせ、ちらりとアーリィを見やる。彼女は少しばかり身じろいだだけで、気にした様子もなく寝息をたてている。

 気にしていないだけなのか、もしくは慣れてしまったゆえなのか。

 ティシェにはわからないが、これがトールとアーリィが共に過ごしてきた中でのよくあることなのだろう。

 トールのその、奇怪にも見える行動を見守ってしばらく、ティシェの視界に突として、ぺろん、と浅緑色の何かが垂れてきた。先にいくにつれて、黄色へと色合いを変えていく。

 見覚えのあるそれを指先で払うと、ピッ、と声が上がる。ひらりと舞い上がり、アーリィの羽毛の中から影が飛び上がった。

 トールが手を差し出すと、羽ばたきと共にそこへ舞い降りた。


「ラッフィル、探したよ。おかげでするはめになったじゃんか」


 トールの口調は文句を言うようなそれだったが、声音と表情は柔らかいものだった。

 ラッフィルはトールの手の平に収まると、彼の指先にじゃれるように頭を擦り寄せる。

 そこでティシェはなんとなくわかってしまった。

 先程の『起こしてしまったか』に対するトールの返し『ラッフィル探し』は彼の用意した気遣いだ。


「……トール、ラッフィル。ありがとう」


「ラッフィルがアーリィの羽毛に隠れることはよくあることなんだ。そのが今夜だっただけだよ」


 ティシェはくすりと小さく笑った。

 タイミング――頃合い。トールと過ごす中で、ティシェが知った言葉の一つだ。


「そうか。そのが今夜だったのか」


「うん。それでさ、なんだか目も冴えちゃったし、また眠くなるまで少しだけ話さない?」


 しぼられた灯竜灯の仄かな灯りが、トールの茶の瞳の中で踊る。それが茶目っ気にきらめいて見えた。




   *




 トールの手の中ではラッフィルが眠っている。

 その背を指先で撫でながら、トールはティシェを振り向く。


「グローシャが心配?」


 そう問いかけつつも、トールはティシェの答えが解っているような顔をしていた。

 ティシェがゆっくりと首を振れば、だよね、とトールは呟く。


「心配はしてない」


 ぼんやり虚空を眺めながら言葉を紡ぐ。


に劣ることはないからな」


 それに、ティシェはグローシャがやられるとも思ってはいない。彼女は竜だ。自然の一部を身に宿した竜なのだ。

 だからあの時、グローシャから離れるのにためらいはなかった。お荷物になることはわかっていたから。

 自然を前に人はいつだって無力だ。それと同じである。

 人に手を加えられ、持て余されて野生化した竜は、自然下で生きる竜には余程のことがない限りは敵わない。

 だから、心配はしていないのだ。


「ただ、さみしい――」


 今にも消えてしまいそうなほどに小さな声だった。

 ティシェの蒼の瞳が瞬く。はっしたように顔を上げた。

 決まりが悪そうに口を小さく引き結び、トールを見やる。


「今のは忘れてくれ」


「やだ。忘れない」


 トールが、にやぁ、と意地の悪い笑みを浮かべた。


「素直な気持ちを吐き出してくれるの、僕は嬉しいけどな」


 そして、トールの笑みが変わる。ふわりとした柔いものに。


「気持ちを吐き出すことでラクになることもあるよ。それは一人じゃできないこと、じゃないかなと僕は思うんだけど」


 彼の茶の瞳が真っ直ぐティシェを見る。

 ティシェはトールの瞳は茶の色をしていると思っていた。けれども、鳶色をしているのだなと思った。瞳の中で仄かに灯りが踊り、綺麗だ。

 たぶん、ティシェの蒼の瞳でも踊っているのだろう。

 柔いもので柔らかいところを撫でられた気がして、くすぐったい。

 ティシェは、ふふっ、と声をもらして笑った。


「そうだな。幾分か気持ちが軽くなった気はする」


 ちらりとトールを見る。トールははっとしたように茶の瞳を瞬かせた。


「トール?」


「あ、ごめん。ちょっとレアだったもので」


 ティシェが不思議そうに首を傾げれば、トールは少しだけはにかむ。


「つい見入っちゃった」


 ティシェのきょとんとした顔に、トールはさらに笑みを深めた。

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