あたたまる


 あたたかな空気は、垂幕の隙間から入り込んだ風に冷やされた。

 冷えた風に堪らずティシェが身を震わせると、トールが「ごめん、肌寒かったよね」と慌ててアーリィを振り返った。


「アーリィ、ティシェさんも居れて欲しいんだけど」


 アーリィはちらりとティシェを見やり、天色の瞳に不機嫌を滲ませる。それから瞳を眇めてトールを見る。

 それだけでアーリィの気持ちが察せられてしまい、ティシェはトールにゆるりと首を左右に振った。


「トール、私は大丈夫だ。その気持ちだけもらっておく」


 常の調子を取り戻しつつあるティシェの顔は、すでにいつものような乏しい顔つきになっていたが、別段気分を害したわけではないことを、トールはもうわかっている。

 けれども、トールは申し訳ない気持ちで眉尻を下げた。

 そこへまた垂幕の隙間から雨に冷えた風が入り込む。

 羽毛に包まれたトールも、これにはさすがに身を震わせる。

 ティシェも同じく身を震わせ、今度は鼻を小さくすすった。

 その様子を見ていたアーリィは、一つ息を落としたあと、渋々もう片方の空いた翼をそっと持ち上げた。

 早くしろと言わんばかりの天色の瞳を向けられ、ティシェはたじろぐ。


「だが、私はアーリィに選ばれた人間では――」


 そうだ。竜は人を選ぶ。竜が傍に人を置いて共に在るのは、竜が自ら選んだ人間のみ。

 グローシャがティシェを選んだように、アーリィが選んだのはトールだ。

 いつだって主導を握っているのは竜なのだ。だから、恐縮するような気持ちが先立ってしまう。

 いつまでも渋る姿勢を崩さないティシェに、やがてアーリィは業を煮やして首を伸ばす。ティシェの襟元を咥えて強引に引っ張り込むと、自分の懐へと押し込んだ。

 満足げに鼻を鳴らしたアーリィは、顔を自身の羽毛に埋めると目を閉じた。

 カロンはこの状況に大丈夫だと判断したのか、とぷんと影に潜ってしまった。

 ティシェが戸惑う瞳をトールへ向ける。

 いいのだろうかと問いかける彼女に、トールは柔らかく笑って一つ頷いた。


「今は温まって。そしたら次のことを考えよう」


 トールの言葉に、ティシェは小さく頷き返す。

 アーリィの方へと身体を倒すトールを横目に、ティシェは身体の強張りが解けていくのがわかった。

 それは温かさを得たことによるものなのか、トールの思いやってくれる気持ちによるものなのか。もしかしたら、その両方かもしれない。

 そんなことを思いながら、ティシェも遠慮気味にアーリィへと身体を倒した。

 じんわりと身体が温まっていく感覚に、ほぉと息を吐き出した。




   *




 そのあとは、商人であるトールも扱う携帯食を夕飯としていただいた。

 火を怖がったティシェのため、トールはうろ内の片隅で彼女の視界に入らないように配慮しながら、食料を温めたり手を加えたりとしてくれた。

 彼のその気遣いが、じんわりと、一滴の水が沁み入るようにティシェの心をあたためた。

 旅をしている身だというのに、温かく柔らかい料理を食べられるというのは、未だに不思議な感覚になる、などの他愛もない話をして、片付けを手伝って。

 ふぅ、と満たされた腹に一心地の息をもらしていると、再びアーリィに懐へと押し込まれる。

 食べ終わったらさっさと来い、と言わんばかりの強引さに、アーリィの懐へ入れてもらうことにも少しだけ慣れた。

 最後の片しが終わったトールが戻ると、アーリィは彼のこともさっさと懐に押し込んでしまった。そして、顔を自身の羽毛に埋めると、目を閉じて寝の体勢に入る。

 トールが傍らに置いていた灯竜灯の灯りをしぼる。うろ内にゆるやかな明るさを灯していたそれが、少しだけ夜の侵入を許して薄い暗さを落とす。

 垂幕からは相変わらず遠い雨音がする。それでも、雨足が弱まっている雨音だ。慣れてしまえば、それは静寂の音に変わる。

 ティシェはその静寂に身を浸すように目を閉じた。




 静寂にアーリィの穏やかな寝息が聞こえ始めたころ、ティシェはゆっくりとまぶたを持ち上げる。

 しぼられた灯竜灯の灯りが薄く揺れ、皆の影を踊らせていた。

 眠れない――。持て余してしまった静寂に、喘ぐように息を吐き出した。

 垂幕の隙間から風が入り込む。冷たい風がティシェの肌を撫で、寒さに身を縮めた。

 どうしてだろう。寒さはさみしさを感じさせる。

 寒さは寂しさを呼び、やがて不安を運ぶ。

 夜の深さが途方もない気がして、すぐ傍の影に手を伸ばす。

 影に手で触れれば、竜の鱗の質感が指先に触れた。けれども、その質感が動くことはない。カロンは眠っているようだった。

 きっと疲れもあるだろう。ようやく飛べるようになってきたところへ、今日はティシェを運んだのだ。

 眠りの邪魔はできない。ゆっくりと休んで欲しい。

 ティシェは息を落とし、重い夜に身を丸めた。

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