独りと一人
雨音が遠ざかったことで、ティシェはほっと緩い息を吐き出した。
けれども、いつもは傍に在る息遣いがないことに改めて気付いてしまう。掛布を抱き込むようにさらに引き寄せる。
足下で身を丸めていたカロンが顔を上げた。カロロと気遣う声に、ティシェは淡い笑みを浮かべて撫でた。
「大丈夫だ」
そう告げるも、カロンがじぃーとティシェを見上げる。
ティシェの奥を見透かそうとする紅の瞳に、やがて根負けして小さく息を吐き出した。
「……グローシャが傍に居ないのは、心許なく思ってしまうな」
俯き、膝に肘を立てると、額を手の甲をあてがう。
「足元が不安定な感じだ」
こぼれた声音はなんだか弱々しく聞こえ、情けなさがティシェの中で澱んでいく。
自分の足でしっかりと立つための強さが欲しいと思った。
その強さがあれば、かの竜に願うこともなかったのに。あの願いは、願ってはいけなかった。
薄ら開いた蒼の瞳に、澱んだ翳が差す。――ああ、また足下がぐらつくようだ。
遠ざかったはずの雨音が耳元で聴こえる。
と。ぐいっと足に力を感じた。澱んだ瞳が足下に落つる。
カロカロと声を発しながら、カロンがティシェの足を全身を使って押していた。
「カロン……?」
瞬く蒼の瞳から翳りが薄れる。ティシェの声に困惑の響きが混ざった。
「支えようとしてくれてるんじゃないかな?」
トールの声が頭上から落ち、ティシェは顔を上げた。
支え、と口だけで呟き、カロンへ再び視線を落とす。
「頼っていい、って僕は思うよ」
トールがティシェの近くに座った。
アーリィはトールの後ろへ回り込むと、身を伏せて落ち着けあと、片翼を上げて彼を懐に入れる。ふすぅ、と鼻から息をもらし、目を閉じる。
トールはそんなアーリィを撫でながら、ティシェへ苦笑まじりの顔を向けた。
「僕はこうやって頼りっぱなし。……僕も雨は苦手だよ。とくに雨夜はね。アーリィが居てくれるから、まだ平静を裝えてる」
「……トールも言っていたな。終わりも始まりも、雨で夜だったと」
カロンに触れながら、ティシェもトールへ小さく浮かべた苦笑を向ける。
「うん。差し伸べてくれる手があるなら、遠慮なくその手を取ってもいいと思うんだ」
それから、と。
トールは一度言葉を切ってから、茶の瞳を揺らす。
「独りは、嫌だから」
トールの持った声の響きを、想いを、痛みを知っている――気がした。
ああ、自分たちはどこまで似ているのだろうか。
カロンを撫でる手がいつの間にか止まっていたようで、彼が自らその手を頭に乗せさせる。その手を再び動かしながら、ティシェは静かに言葉をもらした。
「そうだな。私も、独りは嫌だ」
けれども同時に、でも、とも思うのだ。
「だが、一人の強さは、やっぱり欲しい。一人で立つ強さは」
ティシェは傷を舐め合いたいわけでも、誰かに寄りかかりたいわけでもない。
「私は隣で並び立ちたいから」
トールの口から息がこぼれる音がした。
アーリィの羽毛に沈んでいた身体を起こし、トールはティシェに問いかける。
「怖く、ないの?」
「怖い……?」
カロンを撫でる手が止まり、ティシェはトールを振り向く。
トールの瞳に傷ついた色が見えた。
「だって、それまで積み上げてきたものが壊れるかもしれない。――壊されるかもしれない」
目を閉じていたアーリィが天色の瞳を覗かせ、懐に抱えるトールを引き寄せる。フルルゥと鳴く声は、彼を元気づけているようにも、甘えさせているようにも聴こえた。
その様子をティシェは静かに見守る。トールに傷つく何かが遭ったのは察せられたが、それに踏み込めるだけの関係性はまだ築けてはいない。
だから、今のティシェが言えることは。
「隣に並び立てれば、相手より一歩先を行き、振り返って向き合うことができる。そうすれば、話ができるかもしれない」
トールがティシェを見る。
「話ができなくとも、相手より先を行くことも、それこそ違う道を行くこともできる」
ティシェは小さく笑って、トールへ改めて告げた。
「だから私は、一人で立つ強さが欲しい」
トールはティシェを見つめながら、眩しいものを見るように目を細め、それから同じように小さく笑った。
そうだね、と小さな頷きを返しながら。
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