つい、気が緩むから
「星落つる跡地……?」
聞き慣れない言葉に、ティシェは小さく眉をよせて聞き返す。が。
「あれ? それを知ってて、ここに来たんじゃないの?」
少しばかり驚きはらむ声で、問い返される。
「いや、私達は騎士隊からここの話を聞いて目指していたからな」
彼は驚いたように軽く目を見張ってティシェを振り向くと、騎士隊、の言葉に軽く眉をひそめた。
それが穏やかなことでないことは伝わったのだろう。
だが、口を開こうとするも、すぐに何かにはっとしたように閉じる。
ティシェも何も訊かれないゆえ、それ以上を言葉にするつもりはなかった。
星落つる跡地の由来も気になりはするが。
その場で終わる関係。以前のトールが口にした言葉だ。それが、この場においても二人の間に横たわる。
互いに干渉しない。それが互いのためであり、そしてまた、己らが気楽にいるためのものだ。
なんとも言えぬ空気が漂う中、突として、ピッ、と短くラッフィルが声を上げた。
水面が揺れ、ラッフィルが戸惑いの声を上げたようで、視線を泉の方へと投じれば、グローシャが静かに水へと入り込んだところだった。
水面の揺れはグローシャによるものらしい。
ピルルルゥともれ聞こえた声が、なんとも気持ち良さげだ。
被膜を広げ、それで器用に均衡を取っているようで、足を舵代わりにすいと奥へと泳いでいく。
沁み入るような泉。彼女がついつい泳ぎたくなる気持ちもわかる気がして、ティシェは小さく笑った。
いつもは表情が乏しい彼女の顔が、感情で動く。
隣でトールがティシェの顔を見つめていた。
「……やっぱり、君の笑った顔ってレア度高い気がする」
「れあ、ど……?」
またもやティシェの聞き慣れぬ単語に、笑いが引っ込んだ顔でトールを見返す。
トールは少しだけ残念そうな顔をしたあと、困ったように視線を逸らした。
「んー、それはこっちの話だから気にしないで」
そしてまた、困ったように笑った顔をティシェへ向ける。
あの雨夜に向けられた、にこりと笑う顔ではなかった。
困ったような顔――苦笑とも言えるそれは、あの雨夜の一線を引くように、そこに拒む色は見えなかった。
そう思ったら、口から自然と言葉がこぼれていた。
「……つい、気が緩むのかもしれないな」
言ってしまってから、しまった、と乏しい表情下で少しだけ焦る。これでは自分の内心にも、相手の内心にも踏み込む一言だ。
だが、ティシェの焦りに反して、トールはふふっと小さく笑う。色の変わった笑みには、感情の温度が灯っている気がした。
「それはわかる気がする。僕も、つい気が緩んで口に出ちゃうんだよね」
ティシェが蒼の瞳を向ければ、トールも彼女に茶の瞳を向けて応える。
「あんまり出自について触れられると困るから、言葉には気を付けるようにはしてるんだけど、ティシェさんの前だと、つい、ね」
つい、のところで、彼は軽く肩をすくめた。
言葉とは、すとっぷ、や、れあど、などといった聞き慣れない響きのあれのことか。
ここからは、さらに踏み込むことに繋がる。さて、どう反応をするのが正解か。
乏しい表情下で思案し始めた頃。泉の方から、ばっしゃーんっ、と盛大な水音がした。
視界の端できらめきが空気中に溶け、隣では「アーリィ……」と呆れるような、疲れたようなトールの呟きが聞こえる。
淵に座るティシェとトールにも、その飛沫が飛んでくるほどに豪快に飛び込んだらしい。
飛び散る飛沫を手で払いながら、ティシェもトールの視線を追って遠くを見やる。
グローシャのビルルルの声。彼女がアーリィへ抗議をしている。もっと静かに入れと言っているのかもしれない。
アーリィは関係ないとばかりに、グローシャの方をちらりと見ようともしない。優雅にすいーと余所へ泳いでいく。
グローシャの橙の瞳にむっとした色が滲んだのを、遠目からでもティシェにはわかった。
グローシャが泉に潜る。そして、水中からアーリィを狙い、下から頭突きを食らわせた。
そこからはまあ、言わずもがな。竜二頭による、やられやり返せの応酬の開始だ。
その余波はこちらにまで及び、水面は荒ぶり、ついにはラッフィルが追い出される。
ピィピュイと文句をたれながら、ラッフィルは水面から飛び立ち、トールの肩へと避難した。
トールがそんな彼を宥めるため、指先で軽く首筋を撫でてやる。
「グローシャがすまない」
ティシェが謝を口にすれば、トールは緩く首を振る。
「ううん。僕の方もうちのアーリィがごめんね」
と。トールがとある方を指さした。
それを追うと、淵にカロンが打ち上げられていた。その顔が不機嫌さを滲ませて見えるのは、ティシェの見間違いではないだろう。
蒼の瞳をぱちくりと瞬かせながら、カロンへと手を伸ばす。が、伸ばした動作で肩が痛み、すぐに引っ込める。
不機嫌から一転。はっとしてティシェを見上げたカロンは自分で淵から這い上がり、ティシェの元へと駆け寄って気遣わしげな目を向けた。
カロロォと心配する響きを持ったカロンの声に、ティシェは大丈夫だと意味を込めて撫でてやる。
隣から、そっと気遣う声がかけられる。
「ティシェさん、怪我してたんだ」
「まぁな。それで騎士隊がここの話を教えてくれたんだ」
「この泉は体調を整える効能もあるみたいだし、いい保養地でもあるから、一部の人には人気スポットに成り得るか」
納得したような声。
すぽっと、と。またティシェが聞か慣れない言葉だ。
つい、気が緩むから。先程互いにこぼして、笑った会話を思い出す。
今の彼も、つい気が緩んだままなのだろうか。
ティシェの心に、ぽっ、と。少しだけあたたかな温度が灯った気がした。
トールが手で椀の形を作って泉の水を掬う。
透き通る水からは、星の瞬きに似たきらめきのそれが、弾けるようにして空気中へと溶けていった。
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