人と竜


 ティシェのように竜と共に旅をする者は、多いわけではないが、珍しいわけでもない。

 ゆえ、隣に竜舎が併設されている宿というのも、珍しいというわけでもない。

 店じまいをし、広場をあとにしたティシェとグローシャは、街に滞在してからお世話になっている宿に戻った。

 橙の色に染まっていたと思った空は、いつの間にかさらに暮れ、藍の色が広がり始めていた。

 グローシャは自分に割り当てられた竜舎の一角に向かい、清潔に丁寧にしつらえられた干し草のベッドに早速寝転がる。

 グローシャが広々と余裕持って寝転がるのに、十分な程に広さがある一角。気の抜けた息をもらし、グローシャは目を閉じた。

 一眠りするつもりらしい。ティシェは緩んだ表情で小さく笑い、彼女の金の鱗を一撫でしてから竜舎を出た。



 宿の部屋に戻る頃には空の藍の色は濃くなり、室内は夜の気配に包まれていた。

 廊下からの明かりが開けた扉から伸び、細い光の束が部屋に差し込む。

 と。夜の気配がうごめき、影が飛び出して、姿形を伴って、部屋に足を踏み入れたティシェに飛びついた。

 その飛びついた影からは、すんすんと鳴き声が聞こえた。


「カロン……」


 やや呆れた声と共に、ティシェは影から飛び出したカロンを受け止める。

 軽く息をもらして背負っていた荷を置くと、取り出した灯竜灯を卓に置いてそれを灯す。

 室内をぽぉおと照らし始め、ティシェはカロンを抱いたままベッドに腰掛けた。

 カロンはあかの瞳を揺らしてティシェを見上げるが、彼女にはそれがわざとらしく映る。

 ティシェの蒼の瞳から胡乱げな気配を感じ取ったカロンは、今度は額を彼女の腹に擦り付けて甘える声を出した。


「さみしかった」


 拙い声。けれども、その発音はだいぶしっかりとしてきた声。

 カロンの訴えに、ティシェは嘆息を落とす。

 街を訪れ、稼ぎを始めた初めの頃は、物陰に潜みながら一緒に居たカロンだったが、人がたくさん居るところはもう嫌だと、ここに残ると言って留守番したのはカロンの方だ。


「竜は竜舎なんだけどな。今からでもグローシャのところへ行くか?」


「やだ」


 拒否の意を持って、カロンはティシェの腹へ額をうりうりと押し付ける。

 ティシェはもう一度嘆息を落とし、仕方ないなあとカロンの背を撫でた。

 灯りに照らされてもなお、深い夜の色をした鱗。

 触れて感ずるひんやりとした影竜えいりゅう特有の温度は、夜のそれに似ている。


「ちしぇ、おいてった。はなれないもん」


 その言葉通りに、カロンは爪を立てる。

 服越しでもティシェの肌へ爪が軽く刺さり、微かな痛みにカロンを抱き上げた。

 ティシェの蒼の瞳がカロンを見やる。その瞳に厳しい色が滲んでいて、途端にカロンはしょんぼりとする。

 紅の瞳に反省の色を見たティシェは、結んでいた口元を緩め、カロンを膝上に下ろした。


「よし、いい子だね。人と共に在ると決めたなら、カロンにも気を付けなくちゃいけないことがある」


 ティシェはカロンの前足を手に取り、その足先を触る。指を滑らせ、爪先へ。

 灯竜灯の灯りを弾くそれは、鋭さを帯びていた。


「カロンの爪は、私なんて簡単に裂いちゃうんだ」


「ひっかくと、いたい?」


「そう、痛い。痛いと私は泣いちゃうかもしれないね」


 ティシェの言葉にカロンはがばりと顔を上げる。


「ちしゃ、なくのいやっ!」


「なら、忘れないで。人は竜よりも柔らかくて、弱い存在なんだ」


 真剣な光を宿した蒼の瞳に見下され、カロンは殊勝に頷いた。

 常は表情の乏しいティシェの顔が淡く微笑む。

 カロンを撫でる手付きは優しく、彼は気持ちよさそうにカロロォと声をもらした。


 人と竜。ティシェとカロン。

 ティシェはカロンに少しずつだが、共に在るために必要なことを教える。それが、ティシェが新しく始めたこと。

 これから先も、カロンと一緒に居るために。

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